龍馬がヨコハマにやってきた/大曲恒雄@クラス1955
記>級会消息 (2012年度, class1955, 消息)
2月9日の朝日新聞に「龍馬がきたぜよ」という記事が載っていたので、 翌日早速カメラを担いで赤レンガ倉庫広場へ“ご挨拶”に行ってきた。
記事の要点は
『幕末の英雄が開国の地にやってきた。高知県の農業の魅力を伝えるイベント「高知野菜の夜明けぜよ」の一環。像は高さ5.3mで発泡スチロールやウレタンでできている。普段は高知駅前に設置されており、県外に「脱藩」するのは初めて。トラックに横たえて2日間かけて運んだ。
高知の関係者は「龍馬だけでなく、害虫退治に天敵の昆虫を使う高知農業の工夫にも注目して」と言っている。』
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$00A0 (写真1) | $00A0 (写真2) |
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2月10日は好天にも恵まれ、3連休の中日ともあって赤レンガ倉庫周辺はすごい人出。龍馬の像の近くは写真を撮りたい人で大混雑、像に近づくのにかなりの忍耐力を要したが頑張っていろいろな角度から写真を撮ってきた。
近くで見るとなかなかの迫力で、幕末の闘士にふさわしい気迫に満ちた風貌であった。
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$00A0(写真3) | $00A0 (写真4) | $00A0 (写真5) |
龍馬が非業の死を遂げたのが1867/11/15、明治に改元されたのが1868/9/8。また、横浜開港はそれより早く1859/9/8である。開港の前、横浜は戸数僅か数十戸の横浜村という寒村だったそうだが、没後150年近く経って初めて訪れた大都会横浜の姿を見て龍馬は何と言うだろうか?
付け足し
龍馬は超有名人なのでWikipediaに詳細な解説が載っている。その中から写真を3枚借用した。(写真6)は有名な写真で、龍馬と言えばこの写真が出てくる。慶応2年または3年に上野撮影局で撮影されたそうだ。
(写真7)はWikipediaの冒頭に出てくる写真で詳細不明。(写真8)は初めて見る写真で、タイトルは「坂本龍馬座像」となっている。撮影は慶応3年頃。
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$00A0(写真6) | $00A0 (写真7) | $00A0 (写真8) |
龍馬暗殺の下手人については当初新撰組の関与が強く疑われ、土佐藩士の強い主張により近藤勇が斬首に処せられた。しかし、実際には箱館戦争(1870)で捕虜となった元見廻組の今井信郎が「部下7人が龍馬を暗殺した」と供述したそうで、現在ではこれが定説となっている。
なお、龍馬の墓は京都霊山護国神社(霊山墓地)にあるが、靖国神社にも祀られているとのこと(これは初めて知った)。
2013年2月16日 記>級会消息
坂本竜馬の像は金属製の様に見えますね。材料は本当に発砲スチロ-ル?
高知駅前には半永久的に設置されているのですか?高知にはバス旅行で何度か行った事がありますが、駅は未だです。
コメント by 寺山進 — 2013年2月16日 @ 20:07
寺山兄へ
像に直接触ることはできなかったのでよく分かりませんが、本物の銅像でないことは確かだと思います。理由は、本物らしく見せるための塗装が少々ドギツ過ぎるように感じたからです。
また、この像が高知駅前に常設されているのかどうかは分かりません。
念のためインターネットで検索してみたら、高知市のホームページ(2011/6/16)に『7月9日高知駅南口に「龍馬伝幕末志士社中」というパビリオンがオープンし、それにあわせて坂本龍馬、武市半平太、中岡慎太郎の3志士像が高知駅南口に集結する』との記述がありました。URLは下記の通りです。
http://www.city.kochi.kochi.jp/soshiki/39/
ryomadenbakumatsushishishachuu.html
コメント by 大曲 恒雄 — 2013年2月17日 @ 09:18
寺山兄へ
先ほどのコメントの補足です。
高知駅南口のストリートビューが無いか探していたら3志士像が並んでいる写真が見つかりました。勿論中央が龍馬で、横浜に出張して来たのはこの像のようです。
URLは下記の通りです(Internet Explorerのアドレス欄を一旦削除した後、このURLをコピーして貼り付けた方が楽です)。
http://www.panoramio.com/photo_explorer#view=photo
&position=1688&with_photo_id=66870227&
order=date_desc&user=6447737
コメント by 大曲 恒雄 — 2013年2月17日 @ 17:19