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  • 七福神/斎藤嘉博@クラス1955

     あけましておめでとうございます。この稿を皆様への年賀状とさせて頂きます。


     お正月といえば初詣。明治神宮は定番ですが七福神にお参りするのも街めぐりを兼ねて面白い趣向です。私の生まれは牛込余丁町。すぐ近く、新宿からの通りが戸山と市ヶ谷に分かれるところに抜け弁天という弁天社がありました。本名は厳島神社。そんな所縁で数年前に“新宿牛込七福神”にお参りをしました。
     恵比寿さまを祀る新宿歌舞伎町の鬼王神社、昔は閑静な住宅地でしたがいまはホテル街の中心になっています。恵比寿さまはビールの神様ではなく、持っておられる鯛と釣竿に象徴されるように漁業の神様。それが店を広げて商売繁盛の神様としてあがめられています。ここを起点にして歩き始めますと坂を上がって寿老人の法善寺と福禄寿の永福寺。上述の弁天様のすぐ近くでいずれも商店街の中の静かなお寺です。お二人とも白い髭を生やし、寿老人には鹿、福禄寿には鶴がお供をして、中国の道教に起源のある長寿の神様。小生はそれにあやかろうと髭をのばしたのではありませんが。
     抜け弁天の弁天さまは七人の中で唯一人の女性神。琵琶をかかえて足を組んだ様子はなかなかチャーミングです。水の神様ですからお社も水の中。この抜け弁天には小さな池しかありませんが、不忍池、井の頭公園や江の島の弁天、琵琶湖竹生島の弁天など皆、大小の池水に囲まれたなかにおられます。水が流れるようにと文章、音楽の上達、さらに広げて学問の神様です。ギリシャ神話のミューズの神といったところでしょうか。ここから坂を下って牛込柳町、経王寺には大黒天が祀られています。頭巾をかぶり打ち出の小槌を持って二俵の米俵の上に鎮座ましましている神様は、その様子からも知れるように農業、財福の神様。訪れる人が多いのもうなずけます。昔からの花街として栄える神楽坂、大久保通りからすぐのところにある善国寺の毘沙門天は重量挙げで優勝しそうながっちりとした体つき。実は帝釈天を守る四天王の一神、多聞天の別名で戦の神様。花街にはちょっとそぐわないようです。

     ここからもう一度新宿に戻って新宿御苑に近い太宗寺に布袋様。この繁華街にはめずらしくゆったりとした境内を持つお寺です。布袋の大きな太鼓腹は現代であればメタボ、日に一万歩は歩いてと言われそうですが実在の布袋和尚をモデルにしたといわれています。何がご専門かよくわからないのですが拝めば福運間違いなしとか。こうして七寺社を巡ると写真のように宝船に乗った七つの朱印集が出来上がります。 新宿山手七福神朱印(30%).jpg
    新宿山手
    七福神朱印

     七福神はここに述べたもの以外に江戸時代から下谷七福神、浅草七福神など数多くの七福神めぐり信仰があります。

     先年“下谷七福神”にお詣りしました。日暮里から田端にかけての街には和菓子、紙細工の老舗などまだ江戸の情緒が残った店がたくさんあってそれを楽しみながら歩くことが出来ます。前述の不忍池弁天堂はこのグループになりますし、大黒天の護国院は旧音楽学校(芸大)のすぐそばです。 谷中七福神の納経帳から(30%).jpg
    谷中七福神の
    納経帳から

     “浅草七福神”は観音さまの浅草寺に大黒天、お隣の神輿で有名な三社様こと浅草神社には恵比寿様が、そして新吉原の中にある吉原神社には弁天様がおられます。江戸の版画にも描かれている大川端、待乳山聖天は夫婦和合の神様で、ここに勇壮な毘沙門天がおられるのはなぜでしょうか。向島の桜で有名な墨堤沿いに“隅田川七福神”があります。萩のトンネルの向島百花園に福禄寿が祀られています。私がよく訪れるのはこれも弁天さまを祀る長命寺。弁天へのお参りよりもお隣さんに桜餅を買いに行くのが目的です。白髭橋に近い白髭神社の寿老人はぴったりといったところでしょう。
     昨年末に寅さんの柴又、帝釈天を訪れました。友人の案内でお経を題材にした壁面の彫刻ときれいなお庭を拝見し、そのあと小春日和の中を矢切の渡しのところまで歩いてみました。視線をさえぎるビルがない江戸川のひらけた景色は昔の自然を思い起こさせてくれましたが、ここ柴又にも七福神があって帝釈天の題経寺には毘沙門天が祀られています。
     七福神は庶民に幸福をもたらす神様。上に述べたほかにも全国に沢山の七福神めぐりがあるようです。一年の幸せを七福神の初詣でスタートされてはいかがでしょうか。
     今年もお元気にお過ごしください。

    5 Comments »
    1. 新年明けましておめでとうございます。今年が明るい年になることを期待したいものです。
      斉藤さんの稿に「抜け弁天」が出ていたので大変懐かしく思い、コメントを書くことにしました。
      前に「サクラサクの思い出」(2009/2/23)に書きましたが、親戚が新宿富久町に住んでいたので東大受験の時から1年半ほど居候をしていました。当時抜け弁天裏の大通りには13番の都電(新宿~萬世橋)が走り、抜け弁天の直ぐそばに停留所がありました。親戚の家から停留所までは徒歩数分程度、大変便利だったので通学・都心へ出かける時などは殆ど利用していたわけで、当然「抜け弁天」の前は数え切れないくらい通っているはずです。しかし、弁天様には一度も「ご挨拶」をしたことがなく、大変失礼致しましたという気持ちです。
      60年余り前の思い出です。

      コメント by 大曲 恒雄 — 2013年1月1日 @ 12:01

    2. 本日、七福神のご利益を受けたので報告します。ここ数年は1月2日に目黒雅叙園で開催される石倉昇九段解説の公開対局を観戦しています。本日は吉原(旧姓梅沢)由香里5段と福島里優アマ6段(小学校6年、少年少女大会全国2位)との3子局でした。途中の休憩時間に「次の一手」が出題されます。今回は珍しく観戦者全員が不正解の難問でした。再開後間もなく微妙な場面で2回目の「次の一手」が出題されました。19名の正解者に私が含まれたのは、山手七福神大黒天のご利益でした。
      目黒駅から急な坂道を下って雅叙園に行く途中に、神社があるのは知っていましたが、斉藤さんのブログを昨日拝見したのでお参りしたのです。お参りのご利益があるものですね。
      なお、対局結果は白1目勝ちの熱戦で、3子局の名局だとの石倉9段のお話がありました。小学生6年のアマ女性が、黒石すべてが繋がる厚い碁で、吉原プロの白石を6ケ所に分断して終始苦しめた構想力には感心しました。将来の成長が大いに期待されます。

      コメント by 大橋康隆 — 2013年1月2日 @ 18:50

    3. 大曲さんの都電13番のお話はもう一度小生の子供のころの記憶をよみがえらせてくれました。東大久保抜弁天から新宿角筈までは専用軌道でした。いまは車道路になり、大久保通りの地下には大江戸線が通って!
      大橋さんがお参りされたあの急な行人坂途中の大円寺の大黒さま。このお寺は目黒のお不動さま(恵比寿さま)を含む山手七福神の一寺です。“次の一手”の正解は貴兄の棋力の賜でしょうが、今年は新春から縁起がいいようですネ。

      コメント by サイトウ — 2013年1月3日 @ 20:49

    4. 斉藤さんへ
      確かに、抜け弁天から都電に乗り新宿方面に向かうと直ぐに大通りを外れて専用軌道を走っていました。路面電車なのに道路から外れてしまい、ヘンな所を走るなと最初の頃奇妙に感じたのを覚えています。
      花園神社の近くでまた大通りへ戻るのですが、現在の新宿7丁目交差点まで行かずにショートカットしていたのには何か特別の事情があったのでしょう。まだあちこちに戦災の焼け跡が残っていた頃ですから、その専用軌道のそばにも草が生えていたような淡い記憶があります。

      コメント by 大曲 恒雄 — 2013年1月6日 @ 11:14

    5.  コメントが遅くなりました。過去の歩こう会の資料を探していたので…。2001年1月14日に武州稲毛七福神(約16km)を歩きました。小田急線の登戸駅から百合丘駅までです。
       また、2002年1月14日に、2003年1月13日に、2004年1月11日に、川崎七福神巡り(約15km)の歩こう会に参加しました。川崎七福神は東横線の本住吉駅から南武線の武蔵新城駅まで歩きますが、毎年通る道を少し変え、または歩く向きを変えて計画されていました。
       地区ごとに七福神があり、1月初旬に歩こう会が行われているようです。2004年3月以降に坐骨神経痛に悩まされて歩こう会参加は急激に少なくなりました。以上が私の七福神に関する思い出です。

      コメント by 高橋 郁雄 — 2013年1月6日 @ 18:18

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