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  • 秩父34霊場巡り…その2/斎藤嘉博@クラス1955

     秩父も3日目になるとその地形、街並みに馴染んでお寺めぐりもぐっと楽になりました。


    この日は十番大慈寺からはじめて街の中心部から荒川沿いにある12の観音に納経を済ませました。十五番の少林寺はすぐお隣の秩父神社と縁の深いお寺。ということでその足で秩父神社へ。知知夫(ちちぶ)彦命をまつるこの社は京都の祇園祭、飛騨の高山祭と並んで三大曳山祭りと称される秩父夜祭のお社。12月のお祭りにむけてちょうど境内の広場で笠鉾の組み立てが始まったところでした。寒い時期のこの夜祭りを見たことはないのですが、しっかりした車と軸に飾られて走る曳山は大変勇壮な姿を想像させるものでした。

     23番に音楽寺というあまり観音にはふさわしくないモダンな名前の寺があります。札所を開いた十三人の聖者がこの山の松風の音を菩薩の音楽として聞いたのが名前の由来とか。このお寺のご詠歌に「音楽の、みこえなりける小鹿坂の、調べにかよう峰の松風」と。音楽の上達を志す人のお参りが多いそうですので楽器をやっておられる方はお参りしてみてください。 二十番 岩之上堂と秩父の山々(30%).jpg

    二十番、岩の上堂
    と秩父の山々

     そしてこのお寺を懐にする山の一帯はミューズパークというよく整備された公園になっていて、沢山の小学生、幼稚園のこどもたちが来ていました。黄ばみはじめた木々の多いこの公園のベンチで、武甲山を眺めながら、道の駅で買ってきたお弁当をゆっくりと食べて次のお寺へ。
     秩父の中心街、市役所の傍らにロイド・ライトの設計になるしゃれた建物の銘仙博物館があり、当時の織機や銘仙模様、それに銘仙織りの歴史などが展示してあります。明治のはじめ、この地は養蚕業が盛んでそれを基に銘仙の織りが大切な産業でした。しかし当時のヨーロッパ不況のあふりで生糸が暴落。そこにもってきて松方財政による増税のお達し。農民たちはその日の食にも困って蜂起したのが秩父事件。状況はいまの時代にあまりにもよく似ているようで、大阪の維新の会の発足はさしずめ農民たちの一揆ということでしょう。先の音楽寺の一隅に“秩父困民党無名戦士の墓”として「われら困民党暴徒と呼ばれ暴動といわれんことを拒否しない」と彫った碑が建てられています。ミューズパークは一揆の人たちがその日の朝ここに集まって気勢をあげたところのよし。明治17年(1884年)、いまから128年前の事件でした。

     最後の4日目に残ったのは三十一番、三十二番、三十四番の三寺。31番は34ヶ寺の中で一番の難所。街から東北に20キロ余り離れた山の中にあります。参詣専用とも思われる小さなトンネルをくぐったところに駐車場。そして一本石造りでは日本一の仁王像と書かれた仁王様の守る山門をくぐって、300段あまりの石段を上がります。石がしっかりと組まれていて段数の割には楽でしたが、それでも周りの杉林をみながら、途中で休み休み上がりますと観音堂の中に聖観音が迎えてくれます。
     最終千手観音をおまつりする三十四番水潜寺は三十二番から車で20分ほど。一車線しかない狭い九十九折れの山道をあがります。ここにはたいした石段もなく参道に観音の三十三相を示した石像が並んで迎えてくれました。本堂で般若心経をゆっくりと唱えて参拝を終え、納経所で日本百観音結願の証を頂きました。最初の大和長谷寺の参拝から39年の年月を経てようやく百観音への参拝を終えたのです。このあと長野善光寺に参るのが通例とされていますがこれは「近いうちに」ということにいたします。
    三十一番番 鷲窟山観音院(30%).jpg

    三十一番札所
    鷲窟山観音院

    34番納経印のコピー元(30%).jpg

    三十四札所
    水潜寺納経印

     歩いて本格的な巡礼修行をしたわけでもなし、観光半分に納経をしてまわったのですが、それでもなんとなくすがすがしい気持ち。頂いた結願の証は「貴夫が死んだら棺桶に入れてあげる」と家内。これがやがて三途の川を渡る割引証となるのか、閻魔様の尋問軽減につながるのかなんて思いながら陽が傾きかけた寺を後にしました。ところがご利益はてき面。つい先週のことです。家内が地下鉄の券売機の傍らに財布を置き忘れて先方に着いてから気づき、すぐ駅事務所に電話をしたら「届いてますヨ」との返事。若い女性が、急ぐからと名前も告げずに財布を届けてくださったのだそうです。観音様がひろってくださったに違いありません。
     このお寺の近くに秩父華厳の滝という秩父八景の名所がありますので帰途立ち寄りました。背丈は日光にはとても及びませんがなんとなく風情、雰囲気がそれを思わせる滝でした。こうして観音さまの霊気を頂きながら、秩父の街を学びながら4日間34のお寺の巡拝を終えましたが、そのきっかけはこのブログへの投稿だったのです。ブログを守って下さっている二人の仁王様に感謝です。

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