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  • つれづれ三本立て ― 暁斎・石山寺・蕪村/武田充司@クラス1955

    □□□ もうだいぶ前のことである。京都で河鍋暁斎展があるというので、夫婦で見に行くことにした。せっかくだから、ついでに、もう一ヶ所まわろうということになった。

    昔は、夫婦でよく京都や奈良に出かけて寺めぐりをしたものだが、最近は、さっぱり出かけなくなったから、この際、どこか見落としたところに行こうということになった。
     常々行ってみたいと思っていながら、京都から少しばかり離れているので、関西の地理や交通の便に疎い我々は、つい億劫になってまだ訪れていない石山寺がよいということになった。ところが、パソコンであの辺りの様子を調べていると、近くにミホ・ミュージアム(MIHO MUSEUM) という美術館があって、たまたま蕪村展をやっていることを発見した。そうなると、どうしても行ってみたくなる。というわけで、1泊2日で3ヶ所まわることになった。

     □□□ 怠け者の我々にしては早い時刻に東京駅を発ち、京都で河鍋暁斎展をたっぷり堪能し、夕方には石山寺近くに予約しておいた「菩提樹」という旅館に入った。案内された静かな離れの部屋は少し高い位置にあって、眼の前は瀬田川であった。夕食までちょっと時間があったので、寺まで行ってみたが、既に拝観料をとって見せる場所は閉まっていた。
     翌朝、石山寺を訪れ、紫式部が源氏物語を起筆したという「源氏の間」などを見て、ミホ・ミュージアムに向かった。JR石山駅前からバスで50分ばかり揺られて到着である。しかし、そこにミュージアムはない。そこから大きなトンネルを抜けると、緑豊かな山中に忽然とミュージアムが現れる。のんびりと蕪村の俳画などを見て、夕方には、また同じバスで石山駅まで戻ってきた。あとは、新幹線で東京にもどるだけである。

    □□□ 僕が蕪村句集を手にしたのは高校時代だが、その時から蕪村の発句に魅せられていた。しかし、大学3年の頃、萩原朔太郎の「郷愁の詩人与謝蕪村」を読んだのが決定的であった。蕪村愛好家の殆どが、僕と同じような体験をしているらしいのだが、僕が読んだのは昭和26年(1951年)初版の新潮文庫の第2刷(1953年2月発行)である。最近になって、藤田真一著「蕪村」(岩波新書:2000年12月初版)を読んだ。蕪村の文人としての多面性や、独特の重層的表現の裏側を解き明かしてくれるので大変勉強になった。このように素晴らしい蕪村研究者の著書が手軽に読める時代になったのだから有難い。しかし、それでも、詩人朔太郎の本は忘れ難い青春の書であり続けるだろう。
     一方、注釈つきの源氏物語全巻を手にしたのは高校卒業前後だったが、それは高校の同級生からもらったものであった。なぜ彼が、当時あのような高価な新本のセットを僕にくれたのか、その話は省くとして、結局、殆ど読まずに終った。先日、テレビを見ていたら、瀬戸内寂聴さんが「口語訳でもよいから、源氏物語は全巻を読み通しなさい。特に、小説家ともあろう人は、一度は、全巻を読み通すべきだ」という趣旨のことを言っていたが、「流石にいいことを言うなあ」と思って聴いていた。我が家には、女房殿がもってきた「谷崎源氏」が揃っていたので、彼女は全部読んだらしいのだが、対訳つきや口語訳なんぞ見るものかと虚勢を張っていた僕は、なにも読まず、友情にさえ応えず終ってしまった。

     □□□ 暁斎との出会いは山口先生の講義である。岩波文庫にジョサイア・コンドル著/山口静一訳「河鍋暁斎」とか、山口静一・及川茂 編「河鍋暁斎戯画集」という本があるが、その山口静一氏である。とはいっても、僕は先生の講義は一度も聴いたことがない。以下のことは全て我が女房殿から聞いたことの受け売りである。
    英文学専攻の山口先生は、昭和30年(1955年)に東大を卒業して都内の某私立高校に奉職した。そのとき、彼女も大学を出てその高校の教師となった。いわば、先生とは同期の桜である。先生は若いときから仏教美術に関心をもち、さらに、英文学者としての利点を生かして、フェノロサや岡倉天心、ジョサイア・コンドルのことなどを研究して大学教授となった。あるとき、ひょんなことから、彼女が山口先生に再会したのだが、彼女は、地元在住の大学のOGらと、カルチャー・センターみたいなものを作って活動していたので、これ幸いと、薄謝で山口先生を講師に引っ張り出したのである。
     先生の「仏教美術」の講義は好評だったのだが、しばらくして、先生は「河鍋暁斎」をやりたいと言い出した。長年の研究成果を踏まえ、薀蓄を傾ける先生の講義は絶品なのだが、暁斎はそれほど知られていないから、いまひとつ人気が出なかったようである。しかし、先生の講義に出ている彼女からの又聞きで、僕は大いに興味をそそられた。長くなったが、これが僕を暁斎に結びつけた縁である。
     暁斎の絵は奇想天外、見る者を驚かせ、飽きさせない迫力がある。それだけでも十分過ぎるのだが、それを支えている暁斎の超絶した筆力、日本画家としての空前絶後の匠の技が圧巻である。明治維新という激動の時代に、こんな日本画家が居たということは、日本の伝統文化の底力と素晴らしさの証だと思う。また、それを発掘して紹介することに執念を燃やし続けている山口先生に、僕は大きな共感をおぼえているのである。

      武田充司 2012年3月記

    1件のコメント »
    1. 石山寺は瀬田川近くの西国13番札所。近くに岩間寺(12番)三井寺(14番)もあり私は二回参拝したことがありますが、ミホミュージアムのことは全く知りませんでしたし不明で暁斎のことも知りませんでした。仏教美術、特に曼荼羅を中心にした密教美術は私も好きで関心がありますので機会があれば暁斎の絵をみたいと思っています。よいお話を伺はせていただきました。

      コメント by サイトウ — 2012年3月16日 @ 11:18

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