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  • パソコン今昔物語 (その1:パソコン事始め)/森山寛美@クラス1955

     パソコンの進化は,より速く,より大容量に,より便利にと留まるところを知りませんが,われら世代は1971年のIntel 4004マイコンの誕生から始まるこの進化の時代を生きてきたことになります。

    この間,パソコンやビデオ関連技術の進化に振り回され,また新しいものを追い続けてきた自分史が見えてきます。勤務先で使ったパソコンは別として,小生が手にした自分用パソコンはデスクトップ型,ノート型と様々ですが,(その1)では自分用パソコン黎明期のヤマハC1から定年後に起業した「モーリスレンダリング」で使用した業務用パソコンについて取り上げ,(その2)ではビデオ編集を始めた以降のパソコンについて触れたいと思います。ここでは,「自分用パソコン事始め」のヤマハ C1を除いて,デスクトップ型を中心に振り返ります。
     余談ですが,この投稿を纏めるにあたって,「日経パソコン」に三菱電機のパソコンへの取組みを紹介した小林兄の写真が大きく出ていたのを思い出します。

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       ($00A0写真1)
       ヤマハC1

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    自分用パソコン事始め
     最初の自分用パソコンは1988年に入手したヤマハC1です。これはWindows 3.1が出る前のMS-DOSマシーンで,MIDI (Musical Instrument Digital Interface)が組み込まれ,独自のシーケンサーを搭載したノート型パソコンでした。CPUはIntel 80286/640KB,記憶装置は3.5” FDD×2です。シーケンサーとしてはよくできていましたが,青っぽいモノクロモニターはバックライトの寿命が短く,1年で交換した記憶があります。MIDI機能が付いた最初のエレクトーンHS8をこれで動かして自動演奏を楽しんだものです(写真1:ヤマハC1,ヤマハのWEBページより)。

    業務用パソコン時代
     1991年「モーリスレンダリング」を企業し,翻訳用に設備したマシーンは,顧客が標準として採用していた富士ゼロックスJStarの Islandタイプでした。これはXeroxのPalo Alto研究所が開発したStarの日本版で,DTP(Desktop Publishing)のはしりです。これで英/和の営業資料,取扱説明書,論文などの文書(図面や表入り)を作成し,専用のプリンターで印刷して顧客に納入しました。Microsoft Wordのような汎用アプリケーションのない時代だったので,顧客のフォーマットに合わせる必要から高価なマシーンを設備せざるを得ませんでした(写真2:1988年当時のワークベンチ,右側がIBM Aptiva H64,左側がJStar Island,ノート型はバックアップ用)。

    写真2:ワークベンチ1998.jpg$00A0
      $00A0(写真2)
      ワークベンチ1988

     JStarの寿命は短く,やがて汎用パソコンやWindows/Wordなどの汎用アプリケーションに飲み込まれてしまう運命にありました。独自のOSで動作し,独自のビットマップフォントを持ち,独自のハードで動作するマシーンは,ソフトウエアの開発負担が大きいこと,世の中の変化に即応できないことなどで,やがて衰退の一途を辿ることになってしまいます。結局当社でのライフは7年でした。ただビットマップフォントだったので,独自のフォントや記号を作ることができました。
     JStarには,ファイル削除で失敗した苦い思い出があります。Windowsパソコンではファイル削除は「ごみ箱」というバッファーがありますが,JStarのファイル削除はデスクトップ上でアイコンを選択し,ほぼワンクリックで完了します。削除は簡単ですが一旦削除したものを回復できません。これで完成寸前の約100ページの取扱説明書を誤って削除してしまい,何日もかけてやり直したことがあります。こういうのを「泣きっ面に蜂」というのでしょうか。

    汎用パソコン時代
     1995年,顧客がJStarの後に採用したのがMicrosoftのWindows/Wordでした。汎用ソフトが使用できるようになり,アプリケーションさえ合わせればパソコンは自由に選べる時代になりました。1993年から2004年にかけて当社の設備としてリースしたのは,IBMのPS/V 2410,Aptiva H64,PC300PL,Vista A22p,Think Center A50pです。この間にCPUはIntelの486SX (33MHz),Pentium (166MHz /16MB),Pentium II (450MHz /128MB),Pentium IV(2~3.46GHz /1~2GB),またOSはMicrosoftのWindows 3.1,Windows 95,Windows NT,Windows 98,Windows 2000,Windows XPと目まぐるしく変わりました。
     初期のWindowsは安定度に問題があり,よくハングアップしたりフリーズしたりしましたが,その度に再据付けやら再入力やら手間をとられ,出来の悪さにはよく泣かされました。Windows NTやWindows 2000を使用したのは安定度を求めてのことでしたが,アプリケーションやドライバー適合の問題があり,デュアルブートで試用するに留まりました。Windows 3.1から付き合い始めたWindowsも,Windows XPでやっと安定に近づいたように思いますが,安心して使用できるのはWindows 7まで待たなければなりませんでした。
     (その2に続く)。

    3 Comments »
    1. 森山様 懐かしいJStarの名前を見ましてペンならぬマウスを取り上げました。僕が会社で現役の時、僕がいた事業本部で富士ゼロックスとの関係でJStarを多数台入手し、森山さんと同じく営業資料、取扱説明書などの作製に使用しました。その縁もありましてパロアルト研究所訪問の機会を得ました。パロアルト研究所はいはゆるPARCと呼ばれサンフランシスコ市郊外のパロアルト地区にあり、近くにはスタンフォード大学やスタンフォード研究所がある学園、研究所地区で、門の外には、羊が草を食んでいる素晴らしい環境でした。環境だけではなく研究、開発内容も素晴らしく、今でこそゼロックスと言ってもパソコンを連想する人は少ないと思い出しますが、パソコンには大きな貢献をしております。それは用語に残っています。マウス、アイコン、イーサネット、smalltalk,GUI等はここで生まれた言葉です。したがって、アップル社、マイクロソフト社が非常に強い関心を示していたようであります。更にはメインフレーム、パソコンに続くユビキタスコンピューテイングについてもリードする概念をまとめていたようであります。僕が持った感想は、これだけの技術を持ちながらなぜパソコン事業に成功しなかったんだろうか、どこに問題があったのかということでした。 

      コメント by 新田義雄 — 2012年3月7日 @ 10:45

    2. パソコンを使い始めた動機は、人様々だと興味深く拝読しました。またパロアルトのスタンフォード大学を昔一度だけ訪れたことを思い出しました。
      森山兄が大曲兄へのコメントでSSDを全面的に導入されたことを知りました。いずれその効果なども紹介があると期待しています。小生も昨年末に購入したパソコンの一部にSSDが入っていますが、アナログフィルムのスキャンでは著しい効果が出てこないようです。

      コメント by 大橋康隆 — 2012年3月7日 @ 19:10

    3. 新田兄へ:
      早速のコメント有難うございます。貴兄の感想は確かに同感です。一つの見方ですが,小生が起業最初の5年間にJStarにかけた費用は,JStarの5年リース,同保守契約,JStarスクール,イメージスキャナ,同保守契約などで合計約5,400k¥と非常に高価でした。これは,当時未熟だったとはいえ,Windows3.1とWordを搭載したパソコンの10倍以上です。このような殿様商売では,ガレージから出発した大衆向け汎用環境には到底勝目がなかったように思います。
      大橋兄へ:
      早速のコメント有難うございます。SSDの効果は,パソコンのソフトがどれだけ記憶装置とやり取りしているかで決まるので,Windowsの立上げやビデオ編集ソフトなどの場合には効果が大きいと思います。例えばWindowsの立上げはSuperWin Utilitiesで測定できますが,一つの例としてHDDの場合の53秒がSSDで10秒になっています。アナログフィルムのスキャンではメカのスピードで決まってくるか,または記憶装置とのやり取りが少ないのではないでしょうか。

      コメント by 森山 寛美 — 2012年3月8日 @ 07:17

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