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  • 「新世界交響曲」/大曲恒雄@クラス1955

     ドボルザーク作曲 交響曲第9番ホ短調作品95「新世界より」 (*1)   

    「家路」として広く知られているメロディを第2楽章第1主題に持つドボルザークの代表的な交響曲で、彼がアメリカに滞在していた1893年に作曲された。郷愁を誘うメロディーが全曲に溢れている。
     (*1)昔小生がクラシックを聴き始めた頃は第5番であった。
     これは出版順に番号が付けられていたためで、その後作曲順に整理されて第9番となった。

     数ある交響曲の中で何故この曲だけがこれほど郷愁を誘うのか不思議に思っていたが、過日放送されたNHKの「名曲探偵アマデウス」で謎が解けた。

    新世界a.jpg$00A0
     $00A0ショルティ/シカゴ
         交響楽団

     ポイントは2つあり、その1つはヨナ抜き音階(*2)で構成されていること。
     
    $00A0 (*2)第4音と第7音を欠く音階で、正確には
    「四七抜き」と書くべきかも知れない。

     ヨナ抜き音階と言えば直ぐに演歌を思い出すが、世界の民族音楽に多いそうで例えば「蛍の光」や「七つの子」もヨナ抜き音階で作られている。素朴で親しみやすく、世界中の誰もが郷愁にひたれるという特徴がある。
     余談になるが、クラシックではホルストの「惑星」のうち「木星」の第4主題もヨナ抜き音階で書かれており、これはスコットランド民謡がベースになっている。シンガーソングライターの平原綾香がこのメロディーを借用して「ジュピター」という曲を作って歌いヒットさせた。
     
     もう1つのポイントは、第4楽章に前3楽章の主題の断片がまるで「走馬燈のように」入れ替わり立ち替わり現れること。どこかで聞いた懐かしいメロディーがフッと出てくる。これも郷愁をかき立てさせる大きな効果があるように思える。

     ドボルザークはチェコ・ボヘミア生まれ。この地方の民族音楽も多くがヨナ抜き音階でできていて、その素朴な響きに触れて育った彼はやがて作曲家の道へと進む。1892年、作曲家として名声を得た彼はアメリカに新しくできた音楽院の院長として招かれ、張り切って赴任する。所が、故郷ボヘミアと大都会ニューヨークとの間には差があり過ぎたために強いホームシックに襲われたらしい。
    「新世界」第2楽章、イングリッシュホルンの独奏で奏でられるハイライト部分には、ドボルザークの心の葛藤(故郷を愛する気持ち、故郷に帰れない切なさなど)が実にうまく表現されていると番組では解説されている。

     ドボルザークはアメリカの黒人霊歌やチェコの民族音楽の要素も取り入れ、見事に融合させた形でこの「新世界生まれの交響曲」を完成させた。
    同時代の作曲家ブラームスはドボルザークの才能を「我々の頭の中にあるメロディーとハーモニーをすべて合わせてもドボルザークの小指にも満たない」と評したとか。
    初演は1893年12月カーネギーホールで。新しい交響曲の誕生をアメリカの聴衆は大喝采で迎えた。

     本箱の隅に眠っていた1969/1版「レコード芸術付録・作曲家別洋楽レコード総目録」を改めて眺めてみた所、この曲のレコード(全曲版)が29種類載っていた。その中には名盤として名高かったトスカニーニ/NBCシンフォニーやアンチェル/チェコフィルの名前もあり、大変懐かしい。
    ウィキペディアによると、オーケストラの演奏会で最も頻繁に演奏されるレパートリーの1つであり、「運命」、「未完成」と並んで「3大交響曲」と呼ばれることもあるそうで、末永く愛され続けるものと思われる。

    4 Comments »
    1. 懐かしいドボルザークの第5番「新世界より」(現在は第9番)の話を興味深く読みました。そこに名盤として紹介されたトスカニーニ/NBCシンフォニーの盤を持っています。あらためて確認すると、ビクターLS2014で、もちろん第5番と書かれています。このため、私は、その後何十年も9番に変わっているのを知りませんでした。
       発売年月、録音年月は明確に記入されていませんが、説明文からすると、発売は、トスカニーニが87歳で引退した年で、1954年(昭和29年)のようです。なお、同時にNBSシンフォニーも解散したとの事です。録音は、その前の2年以内のようです。
       番号が変わったようにドボルザークは昔はドボルジャック(チエッコ語風)と言っておりました。
       雑談を一つ:同じくチエッコの巨匠スメタナ作曲「わが祖国」の中のモルダウはドイツ語のMoldauでチエッコではVltavaと言います。あるときアメリカに帰化したチエッコ出身の技術者に、「Vltavaはどう発音するのか」と聞きましたら、「前をどいてくれ」と言われたのでおかしなことを言うなと思って尋ねましたら、「唾が飛ぶから」と言われ大笑いしました。ドボルジャックも唾が飛びそうですね。

      コメント by 新田義雄 — 2011年11月16日 @ 22:43

    2. Antonin Dvor^a’k は初めアメリカ行きに余り乗り気でなかったそうですが,それでもアメリカに行ったのは,大陸横断鉄道にのるためといわれています.彼の鉄道好きは有名です.大陸横断鉄道は1869年に東西が連結し,1876年には特急列車が New York から San Francisco までを 83 時間 39 分で走っています.彼は1892年9月から1894年5月までNYに滞在しましたが,1893年夏にはChicago 等中西部に旅行しています.さぞアメリカの鉄道旅行を満喫したことでしょう.因みに新世界交響曲第1楽章の冒頭(多分)は,SLの音を模したものといわれています.以上どうでもいい話・

      コメント by 吉村久秉 — 2011年11月17日 @ 17:09

    3. 新田兄へ
      コメント有り難うございました。
      引用した「総目録」の曲名欄は「交響曲第5(9)番ホ短調(新世界より)Op.95」となっています。
      この時点(1969年)の呼び方としては第5番と第9番が混在していて、第5番の方がまだ主流(?)だったということのようです。
      それから、作曲者名のカタカナ表記はドヴォルジャックとなっています。
      この原稿をまとめるに当たり、昔愛聴していたLPのジャケットを写真として添付しようと考えていたのですが、トランクルームに預けっぱなしになっていて取り出すのが面倒なので手許にあるCDで代用しました。
      総じてLPのジャケットの方がCDやDVDより “カッコ良かった” と思いますが、如何ですか?
      吉村兄へ
      ドボルザークにまつわる面白い話を紹介して頂き、有り難うございました。

      コメント by 大曲 恒雄 — 2011年11月17日 @ 19:46

    4. 大曲様
       返信有難うございます。こちらのLPジャケットは、真っ赤な中にインデイアンの酋長の顔が大きく出ており、真っ先にドボルザークを思い出させるものです。
       やはりLPジャケットは大きいので、印象的なものが多いように思います。

      コメント by 新田義雄 — 2011年11月22日 @ 14:40

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