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  • クロアチアの旅(その1)/大橋康隆@クラス1955

    2011年6月10日の朝、St. Andrews島のホテルを出発して、ロヴィニの港に向けて出港しクロアチアの旅が始まった。

    海上から眺めるロヴィニの全景は素晴らしい。(写真1)
    昨晩、ロヴィニからSt. Andrews島へ向かった時と光の方向が逆になっている。空の面積が広いので、油絵に描くのは難しい。ロヴィニ港の近くで撮影した写真を8号の油絵に描いて、10月下旬に開催されるNEC OB パレット会展に出展することにした。(油絵1)

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      $00A0(写真1)
      ロヴィニ全景
      $00A0(油絵1)
      ロヴィニ港
      $00A0(写真2)
       プーラ

    午前中、ロヴィニからプーラを訪れ市内観光をした。円形競技場はローマとは異なり完全に円形が保存されている。(写真2) 
    現地の若い女性ガイドさんは郷土愛と愛国心に燃えており、日本から添乗したガイドさんに正確に英語を日本語に通訳するように要請していた。
    大都市では、現地のガイドさんは、通常道案内して質問に応じたり補足説明をして、大部分は日本のガイドさんに任せるが、小さな町では熱心に説明して下さる。午後は「世界遺産」ポレチュを訪れ、エウフラシス聖堂を拝観した。夕方ロヴィニに帰り、美しい町並みを散策した後、定期船でSt. Andrews島に渡りホテルに宿泊した。
    翌6月11日の朝、定期船でロヴィニに渡り、バスで約5時間、シベニクを訪れた。「世界遺産」聖ヤコブ大聖堂を拝観し、市庁舎などを見物した後、バスに約1時間半乗り、港町スプリットに到着して1泊した。

    6月12日の朝は、スプリット市内観光をした。「世界遺産」ディオクレティアヌス宮殿を拝観し、ジュピター神殿や青空市場を見物した。(写真3)
    その後、バスで約30分、「世界遺産」トロギールを訪れた。昼食後トロギールを散策した後、バスに約5時間乗り、「アドリア海の真珠」と言われるドゥブロヴニクの郊外のホテルに到着して、3泊した。途中ボスニアのネウムで下車してお土産のチョコレートを購入した。クロアチアの通貨はクーナであるが、ボスニアはユーロであり、安く買い物ができるので、アルコールの好きな方達には有難い場所である。ドゥブロヴニクに近付くと、アドリア海に「コルチュラ島」が見えてきた。この島でマルコポーロが生まれたので、当地ではクロアチア人であると主張しているが、現在もイタリアと争っている。

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      $00A0(写真3)
      スプリット
      $00A0(写真4)
      ドゥブロヴニク
      (油絵2)
    $00A0ドゥブロヴニク

    6月13日は先ず街を見下ろすパノラマ・スポットに案内され写真を撮影した。(写真4)
    その後、市内観光をしてフランシスコ会修道院を拝観し、スポンザ宮殿や大聖堂を見物した。城内には内戦時の激しい攻防の写真や、ミサイルを撃ち込まれた穴が木枠で保存されており、当時の激戦が偲ばれる。よくここまで復旧したものだと感嘆した。ハイライトは旧市街をぐるりと囲む城壁の遊歩道を歩き、眼下の町の風景を堪能したことだ。暑くて息が切れたが、最後まで頑張って一周した。登り口から対角線上にあるボカール要塞から撮影した写真を8号の油絵に描き、10月上旬に有楽町の交通会館2Fのギャラリーで開催される本明会展に出展することにした。(油絵2)
    昼食後、アドリア海のクルーズを約1時間堪能した。海から眺める風景は素晴らしい。途中ヌーディスト村の島があったが、当地が発祥の地であることを知った。クルーズの後、ロープウエイでスルジ山に登り旧市街を一望した。

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    $00A0  (写真5)
       コトル
      $00A0(写真6)
      民族舞踊

    6月14日の朝はバスで2時間半、国境を越えてモンテネグロのコトルを訪れた。市内観光で聖トリフォン大聖堂を拝観し、小さな町を散策したが美しい。(写真5)
    その後、バスで40分、入り江にある美しい町ブドヴァを訪れ散策した。
    夕方、ドゥブロヴニクに帰り、裏山の民家で夕食をとりながら、民族舞踊を鑑賞した。(写真6)
    踊りも料理も素朴であったが、観光に対する熱意が感じられた。専用バスの運転手は温厚なスロヴェニア人で、且つ今年より街中でなく裏山の民家を訪れることにしたので、道を間違えて細い山道に入り、前進不能になった。バックした時は冷や汗をかいたが、運転技術は確かであった。少し遅れたので、民家の若い青年が峠まで歩いて迎えに来ていた。

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