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  • ETV特集「アメリから見た福島原発事故」を見た/大曲恒雄@クラス1955

     はじめに 東日本大震災及び福島原発事故から半年経った。被災された方々に心からお見舞い申し上げると共に一日も早く平穏な日常が戻るよう祈念したい。


     
     また今日は「9.11同時多発テロ」から満10年の日に当たる。改めて「テロの無い世界」の実現を強く望みたいものである。

     さて、先日大橋兄が紹介されていた掲題のテレビ番組(*1)の再放送があったのでじっくり見た。内容が“濃密”なので、今回の事故に直接関係ありそうな部分をメモ風にまとめて紹介したい。
     (*1)2011/8/16掲載の武田レポートに対するコメント

     (1) 福島第一原発はGEマークⅠと言われるタイプの原発であるが1号機はGEとのフルターンキイ契約で1967年に建設がスタートした。アメリカで建設が始まってから僅か2年後のこと、この時アメリカではまだ営業運転が始まっていなかった。なお、日本にはこのタイプの原発が10基ある。
     (2) マークⅠは全体をコンパクト化するために格納容器を小さくし、それを補う目的で下部に圧力抑制プールと称するドーナッツ状の構造物を設けた点が特徴的。格納容器が小さいために原子炉内で重大事故が起きた場合発生する水素の処理が難しい(格納容器が大きければ水素が発生しても逐次燃焼させるなどの処置がとれる)。圧力抑制プールの問題点について1976年に内部告発があった。
     (3) MITラスムッセン教授による原子炉安全性研究(10億円の国家予算を投入)報告の結論は「原発で人が死ぬような事故が起こる確率は50億分の1以下」となっている(1975/10)。この報告は聖書のような存在で、NRC(*2)の中にも信奉者が多かった。日本にも紹介され、多くの原子力関係者が参考にした。しかし、1979/3のスリーマイル島事故がラスムッセン報告見直しのきっかけとなり、NRCは重大事故のリスク調査を行うことにした。
    $00A0 (*2)NRC:Nuclear Regulatory Commission 合衆国原子力規制委員会

     (4) 1981年NRCはマークⅠの詳細な検証を実施した。その結果重大事故発生時マークⅠは他の型と比べて脆弱であることが分かった。また、1980年代半ばには水素爆発に至るプロセスをシミュレーションによる解析で想定していた。マークⅠの安全性についての議論は何年にも亘って行われたが、結局電力業界からの圧力で何もなされなかった。
     (5) 唯一行われた対策がベントで、1989年以降適用された。格納容器内のガスを放出するため放射能漏れを起こすことになるが、格納容器の破損というより大きなリスクを避ける手段としては有効。
     (6) 全電源喪失を想定したシミュレーションも1981年に行われていた。それによると全交流電源喪失後4時間はバッテリーで凌いだとして、その
    1時間後から炉心の温度は急上昇する。6時間半後にメルトダウンが起こり圧力容器の底に核燃料が落ちる。その30分後には圧力容器が破損する(電源喪失後7時間)、8時間半で格納容器まで壊れる。
     
     (7) 上記の解析を行った担当者は3/12朝(アメリカ時間)福島の事故のテレビ放送を自宅で見ていて、「水素爆発が起こりそうだ」と妻に言った数分後に実際爆発が起こったとのこと。
     (8) 元国立研究所の研究員談:「1980年代マークⅠを廃止すべきか真剣に検討した/現在も検討すべき問題である/特に地震の多い場所では真剣に考えるべき/20年前にマークⅠは廃炉にすべきだった」
     (9) 元サンディア国立研究所研究員談:「何十年も事故をシミュレーションしてきたが全ては理論上のことだった/それが今回は分析したとおりに事故が進んでいった/爆発は我々の想定通りに起きた」

     (10) マークⅠはアメリカに17基設置されているが、すべて本土の東半分にある。これは地震や津波のリスクが小さいと考えられたため。
    元NRC安全部長談:「NRCは地震多発地帯でのマークⅠの安全評価を行っていない。地震や津波が起きたときマークⅠが安全かどうか日本で調査する必要がある。」
     (11) 非常用ディーゼル発電機について:1993年に設置変更申請が出されて承認され、以後発電機2台がタービン建屋の地下に設置された(それ以前のことについて番組では触れていない)。
    東電の元副社長談:「これは設計ミス、人為ミスだ。なぜ東電、メーカー、審査当局の誰も気がつかなかったのか?」
     (12) ベントについて:ベントをするためには2つの弁を開かなくてはならない。非常に重要な機能なので本来なら二重系にする等の信頼性対策が考慮されるべき。それが無かったために、今回2つ目の弁がなかなか開かずベント作業が大幅に遅れ、結果的に水素爆発を防止できなかった。
    (ベント準備作業開始:3/12 09:30、ベント実施:14:30、水素爆発:15:36)

    コメント
    (1)アメリカでのマークⅠに関する評価結果などは当然日本にも伝えられていたはずだが、「原子力村」の住人(特にエライ人たち)はどう捉え、どう考えていたのだろうか?

    (2)福島原発事故発生の直後にアメリカから支援の申し入れがあり、「直ぐに海水注入を始めないと取り返しのつかないことになる」と言われたが、廃炉の決断がつかないためこの申し入れを断ったとか。また、やはり事故発生の直後にメーカー側から支援を申し入れるために東電本社に駆けつけたが、その日は部屋にも入れてもらえず廊下で待たされ続けたとか。
    更に、ベントをやるかどうかの意志決定も遅れに遅れ(3/12朝菅前首相が現地に飛んで直接指示したとの説もある)、やっと実施することに決まって作業開始したもののなかなか2つ目の弁が開かず、実際のベントまでには随分時間がかかってしまった。このようなことで初期対応が遅れ、遂に水素爆発を招いて大事に至ることとなってしまった。
    意志決定が遅れた上に備えのまずさも重なり、「津波にやられた後でもまだかなり残っていたはずの危機回避チャンス」をみすみす逃してしまったように思え、残念でならない。

    追記  この番組が下記のように再々放送されるそうである。
    [ 番 組 名 ]$00A0 ETV特集「アメリカから見た福島原発事故」
    [チャンネル]$00A0 Eテレ/ Eテレ3
    [ 放送日時 ]$00A0 2011年9月11日(日)午後10:00~午後11:30(90分)
    [$00A0 地$00A0 域$00A0 ]$00A0 東京

    2 Comments »
    1. 2011-8-16に武田兄がレポートされた「久しぶりのチェルノブイリ訪問」に小生もコメントしましたが、「アメリカから見た福島原発事故」のテレビ再放送を見て詳細に解説をしてもらい改めて良く解りました。
      記憶が不正確で申し訳ありませんが、テレビで使用済み核燃料の処理について放映を見ました。現在はフランスで世界中の使用済み核燃料の最終処理をしているようですが、処理済みの放射性残滓がシベリアに列車で運ばれているのを見て驚きました。
      先日NHKのテレビ「白熱教室」で原発について、日本、米国、中国の大学院学生が議論していました。原発推進国の米国、中国は当然積極的でしたが、「あなたは原発の近くに住みますか」という司会役の米国大学教授の質問に、推進派の人数が急減しました。お金を出せば、危険を貧しい人達に押し付けて良いのかという基本的な問題提起であったと思います。

      コメント by 大橋康隆 — 2011年9月12日 @ 18:10

    2.  大橋君のコメントに関連して、原子力界では昔から「ニンビー」(NIMBY=not in my backyard)という言葉があります。原発や放射性廃棄物の最終処分場だけでなく、火葬場、ゴミ処理場、刑務所など、もっと日常的な問題の例もありますが、核分裂反応による巨大な第三のエネルギー資源を利用しようとすれば、これは避けて通れない問題です。

      コメント by 武田充司 — 2011年9月12日 @ 22:49

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