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  • スロヴェニアの旅/大橋康隆@クラス1955

    5年振りに欧州の旅をした。


    2月に日本の旅行会社に、スロヴェニア、クロアチアへのツアーを予約していたが、東日本大震災が発生してツアーは中止になるものと諦めていた。
    ところが17名の参加者が集まり、催行されることになったので思い切って参加した。後期高齢者が5名もいて、各自秘かに自分が最高齢者だと思っていたようだ。最高齢者は元機械エンジニアの80才の方で、勤務時代を含めて世界各地を訪れた大ベテランで、貴重な体験談を聞かせてもらい大変勉強になった。小生は2番目であったが、コンパクト・カメラを持っていたのは少数であり、男女とも高齢者が大きな一眼レフ・カメラを自由に操作していたのには驚いた。
    6月7日11時10分にオーストリア航空で成田空港を出発して、約12時間後の16時にウィーン空港に到着。国内便に乗り換えクラーゲンフルト空港に18時頃到着。ベンツの専用バスで国境を越え、約1時間半後にスロヴェニアのブレッド湖畔のホテルに到着した。
    6月8日朝、「ユリアンアルプスの瞳」と言われるブレッド湖を観光。先ず旧ユーゴスラヴィアのチトー大統領の元別荘(写真1)を訪れ写真を撮影した。現在はホテルになっているが、1947年に建てられて以来、昭和天皇や各国の要人が訪れている。次いで小舟プレトナ・ボートに乗りブレッド島(写真2)を訪れた。聖母被昇天教会で礼拝後、1534年に建てられた鐘楼の鐘を綱で鳴らす機会に恵まれた。この鐘を鳴らすと願いが叶うという伝えがある。

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    $00A0  (写真1) 元別荘  (写真2) ブレッド島  (写真3) ブレッド城$00A0

    再び若い船頭さんが漕ぐプレトナ・ボートで湖畔に戻り、バスで崖の上に築かれたブレッド城(写真3)を訪れ、城内で昼食。ここからのパノラマ風景は素晴らしい。しかも城の中庭で民族舞踊(写真4)を見物することができた。

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     $00A0(写真4) 民族舞踊 $00A0  (写真5) 銅像

    午後は、バスで1時間15分、首都のリュブリアーナを訪れた。市の中心部に、プレシェーレノフ広場がある。リュブリャニツァ川を境に新市街と旧市街があるが、これらを結ぶ小さな三本橋のたもとに、19世紀の詩人フランツェ・プレセーレノフの銅像(写真5)が建っている。彼の詩が、1991年の独立戦争後、スロヴェニアの国歌になっている。広場に面してピンク色のフランシスコ会教会がある。

    写真6 大聖堂.jpg$00A0 写真7 市街.jpg$00A0
    $00A0  (写真6) 大聖堂 $00A0  (写真7) 市街

    三本橋を渡り、旧市街に入り、リュブリアーナ大聖堂(写真6)を経てケーブルカーで1144年に建設されたリュブリアーナ城を訪れた。城の時計塔からは市街を一望できる。 (写真7)
    しかし階段を登り切った時には息が切れた。「よく頑張ったね。無理だと思った。」と年下の仲間達から慰められたが、体力の低下を痛感した。旧ユーゴスラヴィアの中で、スロヴェニアは鉄道が昔から発達しており、市庁舎前とリュブリアーナ城の間を、ミニ観光列車が走っている。
    スロヴェニアは、イタリア、オーストリアと国境を接しているため、旧ユーゴスラヴィアの中では最も経済的に恵まれ、チトー大統領の没後いち早く1991年に独立することができた。2004年にはEUに加盟し、2007年からはユーロが導入されている。夕方バスでブレッド湖畔のホテルに帰着した。
    6月9日朝、ホテルからバスで出発し、約2時間後にボストイナに到着した。ヨーロッパ最大の鍾乳洞をトロッコと徒歩で見学した。鍾乳洞内は撮影禁止なので写真はない。絵葉書を記念に購入した。ここでは300名を超す中国人ツアー・グループに遭遇して、成長著しい中国人パワーを実感した。午後、バスで約2時間半、クロアチアのロヴィニに到着。
    国境を越える時にクーナに両替した。ロヴィニ港から小型定期船で聖アンドリュース島に渡り、島のホテルに宿泊した。

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