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  • 近頃思うこと(その22)/沢辺栄一@クラス1955

     最近新聞で東大が秋入学に移行する検討に入ったとの記事を読んだ。


    その理由としてグローバルスタンダードに合わせる、国際競争に危機感があるとのことである。
     大学の国際競争とは何であろうか。大学の良さは一般的には世界的に評価の高いノーベル受賞者の数、引用文献数が多い、卒業学生の就職先、社長の数などが大学の実力の評価基準になると思われが、それが秋入学にすれば多くなるとも全く考えられない。
     外国人留学生の受入はシンガポール国立大学が30%で一番多く、オックスフォード大学が29%、ケンブリッジ大学が27%、マサチュセッツ工科大学が27%で、これに比べ、東大が7.6%(2年前)と見劣りするとしている。秋入学にすれば外国留学生が多くなると見込んでいる模様だが、日本の大学は日本の学生の育成を主目的としているのであるから、そのようなことは全く気にする必要のないことと思われる。今後の更なる少子化を考え、外国留学生を多くし、独立法人となった大学が採算を考慮して秋入学で外国からの留学生の数を多くすることを考えているのであろうか。学生の応募数を多くするためには講義内容、方法、教授の質等改善するところは多々あると思われる。秋入学にすると高校の卒業が3月であるので10月までの半年のギャップイヤーを外国留学や社会見学に使用できるので良いとしているが、外国留学の出来る学生の割合は少ないと思うし、社会見学の勉強に使えるとしても、1日でも早く大学で正規の勉学、講義を受けた方が、学生個人にとっても有用ではないかと考える。青少年の内に人間を鍛えるため社会奉仕等も行えると考えられるが、それは一大学の問題でなく、社会制度として国全体で考える問題のように思う。日本の会計年度が4月を区切りとしているので、大学卒業が9月になれば社会にでるのが半年遅れることになる。現在は企業において実力主義であるから半年の遅れは問題ないとしているのであろうが、私の古い経験では1日でも早く企業に入れば給料も良く、先輩として行動できる。大学は学生の将来を考えて業務計画を立てるべきであり、大学自身の都合を優先すべきではないと思う。どんな修業でも早く始めればそれだけ良い結果が出ているのはスポーツ、芸術、職人、学術の世界で明らかである。東大が行えば他の大学も追随すると言うような驕り、みんなで渡れば怖くないというような考えでなく、若い学生の将来を考えて大学の改革を検討すべきと考える。
     大学の目的は学生の教育と学術の研究である。現在、大学教員は自分の専門とする研究をすることが条件となっているようである。そのためか、先生方は学生を教授するより、自分の研究に力を入れているのではないかと思われるので、研究専門の教授と学生の教育のみ行う本当の意味での教授とに分けたほうが良いのではないかと思う。研究専門の教授は付属研究所でそれぞれの分野で最先端の研究に専念する。一方、学生の教育を専門に行う教授は学生が卒業後各方面で活躍できるように教える事だけを研究、調査し、検討し、高度な専門知識を授けることの外、人間としての背骨をこしらえ、比較的広い立場で見られる素養を訓練し、哲学と見識と実行力を備えた学生を育成する。私の経験からしても、専門知識の授業は忘れても、特別講義や授業の合間に言われた先生方御自身の経験や考え方は今でも記憶に残っているし、スランプに落ちた時も励みになったことを覚えている。
     この東日本大震災が発生して、これまで以上に、いかに日本の政治家にリーダーがいないかを見せ付けられた。このままでは日本は没落するのではないかと危惧する状態である。最近の新聞雑誌には真の政治リーダーの出現を待つという記事を良く見かけるが、真のリーダーは出てくるものでなく、育成しなければいけないのではないかと思っている。アメリカや、イギリス、フランスなどの欧米諸国ではエリート教育を行い、将来の真のリーダー育成を行っている。教える所はいわゆる日本の武士道精神である。欧米のエリートは皆、抜群に頭脳がよく、使命感に満ち、バランスの取れた国家感を持っていると聞く。日本でもエリートという言葉が使われているが、一流の高校、大学を卒業して大会社の社長、政治家、官僚になった人間をいうようだが、世界で通用するエリートではないようだ。日本で言われているエリートは公のための献身、使命感、倫理観、責任感が少なくて私欲が先立っている者が多いように思われる。
     東大は秋入学を検討するよりも、日本の悪習となった結果平等を離れ、機会平等の立場で日本の真のリーダーを育てるエリート教育はいかに行うかの検討を開始してもらいたい。幸い東大には頭の良い真のエリートになれる学生が集まっている。年齢的には少し遅いのかもしれないが、教育専任の教授により、気骨、見識、使命感があり、人間性も良いエリートを育て、いわゆる、東大気質とか東大色、東大カラーを作り、これを持った人間が各分野で活躍することになれば日本もさらに良くなるのではと思うこの頃である。

    1件のコメント »
    1.  かつてサッカーの名選手だった人が必ずしも良いコーチや監督になってはいない。また、サッカーをやったことがない、他の運動部出身の監督が高校サッカーで全国制覇した例もある。
       ノーベル賞学者の講義は大いに学生を刺激して素晴らしいかも知れないが、それを毎日聞いたってしょうがないかも・・・。たまに特別講義で聴くから感動もする。
       2流の論文を量産することに神経をすり減らしている人には、学生のために自己犠牲を強いられる真の教育は無理かも知れない。
       以上、サッカー狂からの余分なコメント。

      コメント by 武田充司 — 2011年7月21日 @ 23:12

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