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  • 近頃思うこと(その15)/沢辺栄一@クラス1955

     近頃のニュースで東京足立区の113歳の老人が30年も前に亡くなっているのに、届出もなく、

    支給された年金を子供や孫が使っていたことが明らかになり、各地方行政が100歳以上の老人の所在を確認した所、連絡がつかなかったり、所在が明らかでないものが300件以上もあったと報じていたが、その後、さらに総務省が調査した所、戸籍に残っていたが連絡が取れない100歳以上の人間が2万4千人もおり、生きていれば200歳にもなる人がいたとのことであった。役所の担当者の手抜きと家族からの届けがなかったためと思われるが、常識で考えてもたとえ健康であっても100歳以上の老人が1人で生活することは大変難しく、誰か家族か、近親者が一緒にいなくてはならないのではないかと思うし、子供は親が心配で常に親の状況を掴んでいるのが普通である。それがこのような状態になったことは家族制度の崩壊だと識者は言っている。
     
     三島由紀夫の父親の手記「倅・三島由紀夫」の中に倅が聞いたあるアメリカ人の放言として、「どんな国でもその国の家族法をずたずたにしてしまえば、その国の解体・奴隷化は簡単だ。その点、日本の家族制度は牢固で他国に脅威を与える災いの根源になっていた。これをアメリカ製親族法で解決し、最大眼目の一つは見事に達成された。それなのに日本人は問題の根本が一国の興亡にも関わる民族的課題であることに気付かない。まったく笑いが止まらない。」と書かれているそうである。マッカーサーは日本の強さを恐れ、日本の弱体化のため、憲法、民法の親族法、教育を変えた。親族法の影響もあるであろうが、特にGHQが押し付けた個を優先した教育と教師の自覚をなくしたサラリーマン教師が最も影響を与え、戦後65年経過し、その効果があらゆる所で現れてきたように感じる。墓の中のマッカーサーは思い通りになったと喜んでいることであろう。
     最近、中央教育審議会が公立小中学校の学級編成基準を1学級40人から35人に減らす提言をしたとメディアが報じていた。学生一人一人に目が届くようにすることで不登校、いじめ等を無くす意図があるようだ。中央教育審議会がどんな委員で構成されているか知らないが、これらの委員さんたちは現在の本当の教育の問題が何によって生じているかあまり考えていないで、格好の良い安易な提言をしているのではないかと門外漢の私には感じられる。われわれが小学校、中学校の時には1クラス50~60人であったが、戦時中のため勤労奉仕などにより学力低下はあったと思うが、不登校、校内暴力等教室内での問題は今日ほどひどい現象は起こっていなかった。江戸時代の寺子屋でも一人で多くの子供を教育した例がある。九州大分県で約200年前に私塾を開いた広瀬淡窓は多い時には230人もの塾生を彼等の持つそれぞれの個性と能力を生かした教育を行っていたことを読んだことがある。
     
     子供の教育に関しては、家庭教育、教師の質、教授内容、人間そのものの特性、能力など総合的な視点から考えていかねばならないことであろうと思われる。以前、このブログで教育者は江戸時代の教育を調査する必要があることを述べたが、自分なりに僅かではあるが調査した結果では江戸時代の一般庶民が行く寺子屋ではどこの寺子屋でも読み書き算盤のほか、礼儀や躾、公を重んじる心を必ず教えていた。使用した教材は「実語教」または「童子教」という初歩的道徳教科書が使用されていた。「実語教」は平安時代に書かれ、それ以後幕末まで使用されており、一般庶民の精神的拠り所となっていた。また、武士は7~8歳で所属する藩の藩校に強制的に入学し、文武を習った。文では「四書五経」の素読と習字を中心として学んだという。藩校でも、寺子屋でも過去の偉人や伝説を伝え日本人の素晴らしさを教え、誇りを持つことを教えていたようだ。約一千年来、子供の時から「実語教」、「論語」などの人間の成長を促す考え方を学ぶ人間学を教えた教育が近代日本を創ったと思う。孔子でさえも「我は生まれながらにして之(仁、義、礼、智、信)を知るものに非ず」と言っている。聖賢自身も人間学を学んで聖賢になったことを示しているが、吸収力の高い子供の時代に人間学の教育が必要であるとしている。
     日本の子供達の現状を見て、私塾で「論語」を教えているところや、「論語」を教えている学校も出てきており、そこで「論語」を学び、覚えた子供は生き生きとして目が輝いてくるという報告を読んだことがある。1学級の人数を減らすことより先にやることがあるのではないかと思う次第である。
     今から開始しても結果が出るには50~60年掛かってしまうが、戦後無くなった人間が社会で生きていくための基本である人間学の教育を普通の学校で一般的に全学校で実施されることを願うこの頃である。   $00A0$00A0$00A0$00A0$00A0$00A0$00A0$00A0$00A0$00A0$00A0$00A0$00A0$00A0$00A0$00A0$00A0$00A0$00A0$00A0$00A0$00A0$00A0$00A0$00A0$00A0$00A0$00A0$00A0$00A0 2010.9.25

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