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  • チェスキー・クルムロフ 秋/小 凱@クラス1955

     この2月に大橋兄がチェスキー・クルムロフへの旅行記を力作の絵と共に紹介されたが、私もこのボヘミアの古都を3年前の秋に訪れた事があり、大変懐かしく拝見しました。


    その時のコメントで、秋もまた夏とは違った風情があり、ブログで紹介しましょうと言う事になっていた。時期は秋風の吹く頃にと思ったが、今年は殊のほか猛暑が続き9月も下旬になって漸くその季節となった。
     2007年10月8日、朝プラハを発ち10時頃チェスキー・クルムロフに着いた。この町に就いては、大橋兄が地図も添えて紹介されて居るから詳細はそちらにお任せし、今回は写真と共にこの町の秋の風景を紹介します。

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     チェスキー・クルムロフは川に突き出た島の様な旧市街を、ヴルタヴァ川がS字形に囲む形に流れ、それを北側の丘から眺望する様に城が建っている。私達のバスは城の北側に到着しそこから徒歩で城に入った。城と駐車場の周辺は紅葉した木々に囲まれ、城と西側の劇場を結ぶ回廊が木々の間から眺望された。(写真1)
     私達は城の裏門から入ったので判らなかったが、城内には意外に沢山の観光客が居た。中庭の木は紅葉の盛りで、建物の白壁と赤い屋根が秋空に良くマッチして居た。城の塔はこの広場の近くにあるが、そこへ登るのは時間の都合で断念した。(写真2)

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     城の東側の門から出て、緩やかにカーブする石畳の道を下って行く。この道は大橋兄もチェスキー・クルムロフに到着してすぐ歩かれたと所と思うが、中世からの街並みは美しく修復されて居り下った先がヴルタヴァ川に行き着く。前の日に居た首都プラハでは、ヴルタヴァ川は数百mの川幅があったが、ここでは清流のせせらぎである。この橋を渡った先の細い道から旧市街広場に入るが、此処で振り返ると城と塔がすぐ真上に見える。(写真3) この写真左側の建物が、大橋兄が泊ったホテルではと推察したが如何ですか。
     ここから少し歩いて旧市街広場に入ると、色んな店が集って居るが車が走って来ないからのんびり見物できる。この後広場の東にある聖ヴィート教会を訪れた。プラハ城内にある同名の大聖堂と似ているが、小さい中にも質素で気品がある。

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     昼食は教会の東隣にあるホテル・ルージェでいただいた。ここは16世紀に建てられた修道院の建物を改築した処だが、中は近代的なホテルになっている。ホテルの裏手がヴルタヴァ川を見下ろす庭とテラスになって居り、紅葉と家の赤い屋根が川の青さに映して見事な眺めであった。
    (写真4)
     ホテルの前を少し下った処に、街並みと川向こうに城全体を望む撮影スポットがある。ここから撮った写真は色んな案内や印刷物に使用されているからお馴染みの景色である。(写真5)
     ゆっくり街を散策して秋の陽が西に傾き始めた頃、再びバスに乗って次の目的地ザルツブルグへ向った。
     
     この時の旅行ガイドブックにチェスキー・クルムロフは次の様に紹介されていた。
    「13世紀に南ボヘミヤの領主がこの地に城を築いた。…やがてこの城を中心に町が発展し、その後時の流れに取り残された中世そのままの町は、1992年世界遺産に登録された。」
     現地での案内やその後のTV番組では、「この町は第二次世界大戦とそれに続く共産圏時代に大きな被害を受け荒廃した。しかし1989年のビロード革命以降、全面的な修復が行われ世界遺産への登録につながった。」と説明されていた。
     これをもう少し詳しく見ると、この地域は16世紀に商工業の繁栄期を迎え、ルネサンス様式の建物が多く建設された。
    19世紀になると町は衰退するが後にハプスブルグの支配下に入る。20世紀に入り第一次大戦でオーストリア・ハンガリー帝国が崩壊するとここはチェコスロバキア領となり、その後ドイツ系住民の保護を理由に1938年ナチスによる併合、そして第二次大戦後のチェコスロバキアへの復帰と、それに伴うドイツ系住民の追放で住民の主要部分を失ない、その結果もたらされた町の荒廃など激動の20世紀を経た様だ。しかし私が訪れた時は、その様な歴史は全く感じさせない様に、美しい街並みが静かに秋の陽に映えていた。$00A0(2010/9/23)

    2 Comments »
    1.  とても素晴らしい写真を何枚も見せて頂き、有難う御座います。「百聞は一見に如かず」と言うのも変ですが、写真を眺めて、万事納得みたいな気持ちになりました。
       それにしても、共産圏に組み入れられていた時代に、こうした美しい文化遺産が荒廃してしまったという嘆きは、旧ソ連圏の国では、よく聞く話です。僕が長年付き合ったリトアニアの首都ヴィルニュスも、その旧市街は、まとめて世界遺産になっていますが、リトアニアが旧ソ連邦の一部であった時代には、立派な教会が無神論者の博物館(集会所)になっていたり(全くひどい皮肉ですが)、大きな教会の建物の中を整理して(空にして)倉庫として使ったりしていましたから、僕が最初に行った当時は、まだ、ひどく荒れ果てた教会が多く、本当に心が痛みました。

      コメント by 武田充司 — 2010年10月11日 @ 18:40

    2. 待望のチェスキー・クルムロフの秋景色を紹介して頂き有難うございます。写真3の左側の建物は、確かに私達の泊まったホテルで、家内と共に懐かしく拝見しました。写真4は素晴らしい秋景色ですね。城内の写真を眺めると、懐かしさが蘇ってきます。
      歴史の流れで破壊された、この美しい眺めを、ここまで復興した人々の情熱に、心から感服しています。二度と破壊が起きないことを願っています。

      コメント by 大橋康隆 — 2010年10月11日 @ 21:56

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