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  • 忍熊王の旧蹟地を訪ねて/西道夫@クラス1955

    私の家から西南西方向約1,5kmの当たりは昔からの集落で、押熊町と言う。ここに忍熊王旧蹟地があるので訪ねた。なお、当時は忍熊と書いた様だ。

    [旧蹟地にあるもの]
    1.石の標識(表面、縦書き):忍熊王子、籠坂王子旧蹟地                

              (裏面、縦書き):明治百年記念謹呈(筆者注:昭和42年)
      (なお籠の字は筆者の当て字。実際は現在不使用の複雑な文字である)
    忍熊旧蹟a.jpg
    2.石の鳥居:高さ約2,5m.幅約2m
    3.石組み:高さ約60cm、幅約1,8m、奥行き約1,6mの石組みの枠内は土で、ここに高さ20cm程の2段重ねの丸石2基、小さいお社1基、花立て2本などが
    あり、榊1対が活けてある。(写真は石組み)
    4.忍熊王の説明(立て看板):「忍熊(おしくま)王
    籠坂(かごさか)王」
    ・日本書紀によれば忍熊王と兄の籠坂王は仲哀天皇の皇子で、母は彦人大兄の娘、大中姫(仲哀天皇の妃)である。
    ・仲哀天皇崩御の後、神功皇后は新羅出兵を終え筑紫に還り誉田別皇子(後の応神天皇)をお生みになった。翌年春二月皇后は皇子とともに大和へ凱旋の途につかれたが、このことを知った忍熊・籠坂両王は、皇位が幼皇子に決まることを恐れ、皇后軍を迎え撃とうと餓野(今の大阪市北区)に出てその吉凶を占うと狩を催したとき、兄の籠坂王は突然赤猪に襲われて亡くなられた。
    忍熊王とその軍は、皇后軍のため次第に押され菟道(宇治)まで退却。一方皇后軍は三月の初めに山背(山城)へ進出し、菟道に至って河の北に布陣。戦闘を始めようとした忍熊軍は謀略にあざむかれて敗退。山背と近江の境の逢坂における最後の戦いにも敗れ、忍熊王は瀬田の渡し場付近で入水して亡くなられた。
    ・この日本書紀の伝承にある忍熊王は、当時この地を支配していた実在性の高い人物、王の一人であったとも考えられる。そしてこの地域にある日本有数の巨大な前方後円墳を含む「佐紀盾列古墳群」とのかかわりも考えてみる必要もある。古来より連綿として忍熊王を奉斎してきたこの地域の古い歴史を忍ぶことができる。
    忍熊王子神社の祭日は四月十八日で、当日は宮庭の者が参列して古来の儀式によりお祭をする。また農家では昔からこの日を「だんご休み」といって農作業を休み「よもぎだんご」を作って祖先にお供えするとともに近隣縁者の家に配る風習がある。
    ・ここに「押熊」は鎌倉時に作成された「西大寺田園目録」の中の、添下郡京北三里の所に「秋篠押熊原」との地名がみえ、また「大和国添下郡京北班田図」にも「押熊里」の記入があることにより押熊が古代からの由緒ある歴史的地名であることに疑いはない。
    ・なお、この旧跡地に隣接する「カゴ池」、「カゴ坂」は押熊の祖先が籠坂王に因んでつけた名称であろう。
    ・系図:
       系図(4).jpg
    (参考)天皇の在位年(筆者が別途調査の結果)
      第11代  垂仁天皇  前29年~
      第12代  景行天皇    71年~
      第13代  成務天皇  131年~
      第14代  仲哀天皇  192年~
                    神功皇后  202年~
      第15代  応神天皇  270年~
      第16代  仁徳天皇 313年~
    [感想など]
    ・この旧蹟地を訪ねた際、お年寄りが2歳位の孫をカートに乗せてお参りに来ていた。地元の人々が先祖を敬っていることが判る。
    ・日本書紀は誰でも知っているが、書かれている内容を読んだのはこれが初めてであった。
    ・奈良に30年程前に越して来た頃の住所は「山陵(みささぎ)町」であったが、その後住宅が増えて「神功」となった。神功皇后の御陵は家の南南東1,8kmにある。幅150m、奥行き300mの大きな前方後円墳である。私はハイキングで3回訪ねたが、他の参拝客を見たことはない。
    ・神功皇后は相当な「やり手」の人物であった様だ。瀬戸内海に行くと、神功皇后の話が必ず出てくる。鞆の浦のお寺を拝観した際、説明する住職に私の家の住所が神功であることを伝えたところ、まるで皇后の子孫が来たかの如くに丁重な応対になってしまった。
    ・次のブログでは兼六園にある日本武尊の立像の石台を紹介する。 
                              以上

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