カルルシュテイン城/大橋康隆@クラス1955
記>級会消息 (2009年度, class1955, 消息)
2005年8月3日の朝プラハ本駅でチェコフレキシーパス(日本で購入)の使用手続きをした。
これは外国人専用のチケットで、最初の駅の窓口で使用開始日、終了日、パスポート番号の記入を受け、駅名入りのスタンプを押してもらう必要がある。この後は使用する日を乗車前に自分で記入すればよいので、大変便利であり、且つ割安である。
AM9:25にプラハ本駅から南西方面のベロウン(Beroun)行き列車に乗り、AM10:05にカルルシュテイン(Karlstejn)駅に到着した。初めて旅行する国の駅の名前を覚えるのは難しい。唯一の頼りは時刻表であるが、これは必ずしも正確とは言えない。そこで出発前に駅でカルルシュテイン駅は10番目であることを確認した。因みに終点のベロウン駅は12番目である。小さい駅であったが、駅の表示は大きくて、降りる人数は他の駅より遥かに多かった。
髪の毛が黒い若い学生風の人達が多かったが、日本人ではない。彼らの積極性に感心し、同時に彼らにとっての豊かな時代の到来を改めて認識した。駅から線路に沿って暫く歩いて左折すると美しい川に掛かった橋がある。橋の上から、川辺の静かな風景を撮影した。(写真1)
橋から更に10分程歩くとカルルシュテイン城が見えてくる。ここで撮影した写真を帰国後F8号の油絵に描きNEC OBパレット会に出展した。(油絵1)
写真1 | 油絵1 | 写真2 |
ここからは坂道となり最後は聳え立つカルルシュテイン城を見上げながら城門に入る。(写真2)カルルシュテイン城は1348年にボヘミア王国の王であり、神聖ローマ帝国の皇帝であったカレル四世が建立し、以後長期に亘って増改築が行われた。そのため(写真2)の上方に聳える堅固な城は、右に見える「王宮」、中央の「聖母マリア塔」、左方に見える「偉大な塔」、の3部分から構成されている。午前中は城内のガイドツアーⅠ(約50分)に参加して、「王宮」の「騎士の間」「先祖代々の間」「王の寝室」「謁見の間」、更に「聖母マリア塔」の1階にある「宝石の間」などを見学した。
午後2時からはガイドツアーⅡ(約70分)に参加したが、1ケ月以上前からの予約が必要である。日本からインターネットで予約出来たので、技術進歩の有難みを享受した。予約していない若者達が、ツアーⅡの入口で騒いでいたが、屈強な現地の青年が厳重に判別し、強引な若者達をつまみ出していたのには感心した。午後のツアーⅡは、「聖母マリア塔」の2階から始まり、「聖母マリア教会」、「聖カテリナ礼拝堂」を見学した。ここから二つの塔を結ぶ橋廊下を渡り、「偉大な塔」に到着。2階には「聖十字架礼拝堂」があり、神聖ローマ帝国の王冠、ボヘミア王国の王冠、などの財宝庫となっていて、当時の栄華が偲ばれた。1階には博物館、地階には城を守備する火薬などの戦備品の貯蔵庫がある。
写真3 |
「偉大な塔」の北側の壁は厚さ6メートルもあり、1422年にフス軍に包囲され、大きな石灰石の球をカタパルトから打ち込まれたが、大した被害は受けなかったそうである。1648年にはスエーデン軍に包囲されたが、守り抜いたとのことで、歴史上、一度も落城したことが無い難攻不落の名城である。城の庭の南東の端に「井戸の塔」があり、深さ80メートルの井戸が籠城する時に役立った。「聖母マリア塔」まで攻め込まれても、「偉大な塔」への橋廊下を切り落とせば、最後の砦となる。城内からは、これまで登ってきた坂道の家並みが一望できた。(写真3)
カルルシュテイン城の見学後、急に曇ってきて小雨が降り出した。城の裏側の麓へも歩いて行き写真を撮影したかったが、薄暗くなったので諦め、坂道を下って駅へと急いだ。
2010年3月11日 記>級会消息