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  • 近頃思うこと(その12)/沢辺栄一@クラス1955

     昔、学生の時に内村鑑三が箱根芦の湖のほとりで開催された夏期学校の講演を記述した岩波文庫「後世への最大遺物」を読んだことがある。


    「世話になったこの地球のために何か遺して逝きたいと考えるのは悪いことではない。遺すものとしてまず考えられるのはお金であり、これを遺せない人は事業であり、また、思想を遺すことも大変良いことである。しかしこれらを遺すには特別な才能が必要で誰でも遺せるものでない。誰でも遺せる後世への最大遺物は勇ましい高尚なる生涯である」と言うことを読み自分でも自分なりの生き方に大変参考になったことを覚えている。
     
     ところで素晴らしい遺物という事であれば、現在では世界遺産であろう。2009年7月現在890件が世界遺産に登録され、689件が文化遺産である。ヨーロッパ等に観光旅行に行くと世界遺産やそれに準ずる文化遺産を鑑賞する機会が多い。有名な宮殿、城、聖堂等は皆100年から200年以上400年もの時間を掛けて建設されているのが普通であり、その設計者、技術者、職人、彫刻や美術、絵画の芸術家たちが腕を揮った結果としてのその素晴らしさに圧倒され、来て良かった、観ることができて良かったという感を受ける。しかし一方で、それらを建設した専制君主や王また宗教団体が一般住民からの搾取、浄財の献金等による富の集中や富の格差を図ったから実現されたものが多いことが頭の中に入ってくる。我々を圧倒するこれらの遺産は自分の威光を示したい、自分の名を後世に残したいという不純な我欲によって、領民を苦しめながら構築されたのではないかと一歩引けた立場になる。また一方で、もし、専制君主や王が領民のために貧者への恵を行うなどの善政を行っていたら、今日、我々は素晴らしいこれらの遺産の美の享受をすることができなかったのではないかとも思い、我々にとって圧制君主等が居たことは良かったことなのか、居たから最高級の遺産に接する事ができたのではないかとも思い悩む。いずれにしてもいつも当時の知られない人々の苦労を偲びながら鑑賞している。
     
     現在のように民主主義が発達し、民衆の監視が厳しくなって、できるだけ格差を無くす方向に動いている状態で、20世紀に人類が構築した文化を100年後、200年後にどのような遺産の形で評価されて登録されるのだろうか私には想像できない。現在でもバルセロナにあるガウディが設計したサグラダ・ファミリアの建設は今後100年から200年も掛かるといわれているが、富の集中が難しい現在以後の文化は公共施設以外では全般的にはものが小粒になるのであろうか。古代や中世に建設されたような圧倒的な文化遺産は出てこないのではないかと思う。
     19世紀後半からの文化遺産は技術に関するものが多くなってきているが、ライト兄弟の初めての飛行機も、20世紀の生活を変えたトランジスタも博物館行きのように思うし、新幹線も鉄道博物館展示、20世紀最大のイベントである月への着陸を果たせたアポロのサターンVロケットもスミソニアン博物館の展示ということになるのであろうか。ルーブル美術館、スミソニアン博物館等を世界遺産にするようなこともあるのだろうか。ローマ帝国の建設した水道路、コロセアムなど公共施設に対応するものとしては、現在ならダムや原子力発電所等が考えられるが、20世紀の文化遺産を対象とするためには将来、選択の基準、考えの基準を変えていく必要があるのではないかと思うと共に、内村鑑三が示唆するような為政者を除く人間遺産も世界遺産に加えてもよいのではないかと思うこの頃である。
                                  (2010.2.22)

    1件のコメント »
    1. 沢辺さんのこのコメント全く同感です。私もヴェルサイユではそこに落穂拾いに命をつなぐ農民の姿を想い、ピラミッドには熱砂の中に死んだであろう沢山の奴隷たちを想像するのです。だから私は文化遺産よりも自然の中をトレッキングするのが好きです。本当に100年後の未来に残る、その頃の人たちが楽しめる現代の遺産は何なのでしょうか。

      コメント by サイトウ — 2010年3月4日 @ 22:57

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