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  • 近頃思う事(その10)/沢辺栄一@クラス1955

     NHKで司馬遼太郎原作のドラマ「坂の上の雲」が3年に亙って放送されるということで2009年の分が放送され、楽しませて貰った。


    書店でも「坂の上の雲」に関する各種の図書、雑誌が数多く並んでいるが、私も20年以上も前に松山出身の友人に勧められて読み、明治時代の若者の志とその行動力、何かを行おうとする気概に感激したのを思い出す。
     20世紀末の20数年も前にリーダーズ・ダイジェストで「20世紀の偉大な出来事」という分厚い図書を刊行したが、その本を開いて直ぐのところに1905年に行われた日露戦争の日本海大海戦のことが色付きでしかも6頁にわたって書かれ、東郷元帥の作戦の素晴らしさを克明に紹介していた。その中で作戦のほか下瀬火薬が勝利の決定的な要因のひとつであることが記されていた。下瀬火薬は海軍技官の下瀬雅允が発明した炸裂力、爆風力がそれまでになく著しく高く、三千度以上の高熱のガスを出す焼夷弾に類するもので、甲板も大砲も高温で近寄れず、軍艦としての機能は無くなったとのことであった。日本人の私にはそれまで何とも思っていなかったこの海戦がアメリカに対して如何に大きな衝撃を与えたかが伺われた。賞賛された表に立つ東郷元帥の後ろに秋山真之という名参謀がこの作戦を創り支えていたことをこの小説で初めて知り、また、下瀬雅允の創造力があったことを知り、当時の日本の総合力の高さを感じたことを覚えている。
     幕末や明治時代初期の人物を紹介している東大教授の山内昌之先生は「坂の上の雲」に出てくる人物は格別に異能の才に恵まれているわけでもなく、司馬遼太郎は「何者でもない」人物が時代の移ろいとうねりの中で「何者か」になっていく小説を書いたのだと言っている。司馬遼太郎は兄の秋山好古に弟の真之がこれから世に出て行こうとした時に激励の意味で「若いころは何をしようかということであり、老いては何をしたかということである」と言わせている。主役の3人は個人としては文化人にも、軍人にも成り得ただけでなく、優秀な政治家としても発揮できる才能を持っているユニバーサルマンであり、彼らだけでなく、幕末、明治の時代にはこのような多能な人間が多くいたと山内先生は指摘されている。このような多能を持った人間が多くいたことは時代の所産であったかもしれないが、何らかの形で多くの人が人間としての基本の上に、しっかりとした考え方、志を持つことを若い時に植え込まれたから何をやるにも自分で考え行動できたのだと考えられる。
     最近あるクリーニング・チェーンで「正社員・月収24万円」で学生を募集した所180名の応募があり、12名が採用されたが、1週間経ったら1名しか残らなかったと日経ビジネスで報じていた。また、私の住んでいる川崎麻生区にある普通の区立中学校では授業中よそ見と雑談とゲームで先生の話を聞く者がいないので授業が成り立たなくなっており、学級崩壊になっているという話を聞いた。昔と異なり何らかの罰を与えることができない上、良心的な何とかしなければと思っている先生はノイローゼになってしまっており、何もしない無責任な先生が元気でいるということである。責任を回避して信念のない教育委員会も文部科学省も何も行動を起こさない。どうしてこうなったのか、豊かさと甘やかしからであろうか。戦後の家庭をも含んだ教育によるのではないかと思う。
     ある本で体罰は性悪説を考える欧州の英国海軍教官により海軍兵学校で初めて導入され、それまで日本では寺子屋、学校で殴ることは行われなかったということを読んだことがあるが、それでも当時立派な人間が育ったのは何故か知りたいものである。
     最近、二宮尊徳の勉強をしていると言ったら笑われた事がある。もうそんな時代でないと思ったのだろうが、尊徳の言葉に「遠くを謀る者は富み、近くを謀る者は貧す」という言葉がある。正に教育は50年先、100年先を目指して行う事であり、将来の方向を明確にしないまま、当面の目先のばら撒きに勤めている鳩山政権が官僚依存を廃し、透明度を高めているところは評価しているが、票にはつながらない将来の日本を決める教育面にもっと力を入れてほしいと思っている。教育面で折角、日教組の影響が少なくなって来たと思っていたら、民主党が日教組を基盤とし、日教組に支援されているため、日教組の言う事が取り入れられつつあり、献身的な教師もいる中で、また、何もしないサボ教師が多くなるのを危惧している。鳩山首相は各種の現場の現状をしっかりと把握して政策に反映してもらいたいものだ。
     人間形成時期の初期基礎教育は尤もらしい学者や教師の言うように未だ何も判断能力のない幼い本人の自由意志で行うものでなく、強制的に行うことが必要だと思っている。人間は本来弱い怠け者であるので、子供はなおさら本人の自由意志で勉強させたら怠けてしまう。基礎教育の段階で強い精神と肉体を作る教育を行い、幕末、明治時代の強靭な肉体の上に高い志、強い意思と忍耐力を持ち、自分でものを考えることの出来る多くの若者を排出する教育はどのような教育なのか。大学で専門に教育学を研究されている先生に外国の真似でなく、日本の江戸時代や明治初期の学校制度が始まる前の教育について研究して頂き、児童教育の方法論を確立してほしいと思っている頃である。

    1件のコメント »
    1. 「坂の上の雲」は私も昔読んで、明治時代の人達の刻苦勉励、観察力の鋭さ、に感嘆していたので、今回のテレビドラマは興味深く観賞した。ただ3年に亘り次回は来年末になるのは残念である。時代の大転換期にある現在こそ、過去の歴史を正確に理解すべきであると思います。人間の努力は20%位で残り80%は運と言うか時代環境によるものだと私は思います。明治時代の日本の置かれた危機的状況を明治政府は富国強兵によって乗り越えた。経済的に恵まれない日本人も、職業軍人の道を選べば、高等教育を受け、海外留学も可能であった。明治革命の成功は、教育の機会均等であったと思います。

      コメント by 大橋康隆 — 2010年1月1日 @ 22:57

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