ルーマニアの旅(その1)/大橋康隆@クラス1955
記>級会消息 (2009年度, class1955, 消息)
以前、2006年8月のブルガリア旅行を紹介したが、今回はその続編である。8月5日の夕方、ドナウ川の橋を渡って首都ブカレストのホテルに到着した。
ここで、ブルガリアで大変お世話になったガイドさんとドライバーから、ルーマニアのツアー・グループに引き継がれた。新たな仲間は、フランス人7名、ベルギー人4名、日本人2名、ガイド2名とドライバーで合計16名が、マイクロバスに乗り72歳のガイドさんはフランス語で説明。幸い、金沢大学に留学した26歳の女性アシスタントが同行したので助かった。食事の時は、お互いにたどたどしい英語で話すのだが、珍しい体験をした。参考までに今回の旅行の簡単なルート図を掲載する。
旅行ルート図
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コジア修道院中庭
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シビウの嘘つき橋
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8月6日の朝、ブカレストを出発して西へ向かい、かってのワラキア公国の首都でエピスコパル教会を見学した。ルムニック・ヴァルチェアで昼食をとり、北へ向かい、コジア修道院を見学した。この修道院は、外観も美しいが、中庭は白壁と花壇の花が眼を見張るほど素晴らしかった。更に北上して夕方シビウに到着、市内観光をした。立派な時計塔前の小広場の正面に「嘘つき橋」がある。この上で嘘をつくと橋が崩れるという伝説がある。この商業都市は、ハンガリー王の要請でザクセン人(ドイツ人)が植民して建設した。ドイツ名はヘルマンシュタットである。
ビエルタンの要塞
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シギショアラの時計塔
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シギショアラの町並み
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8月7日の朝、シビウを出発して北へ向かい、ピエルタンの世界遺産、要塞教会を見学。見張り台から見下ろした村は緑の樹木の間に赤い屋根が連なり見事なコントラストであった。更に北上してシギショアラを訪れ、レストラン、カサ・ヴラド・ドラクル(ドラキュラのモデルの生家)で昼食。時計塔に登ったが、内部は博物館になっている。ここからは、山上教会や美しい町並みが一望できる。帰国後この「シギショアラの時計塔」を8号の油絵に、「シギショアラの町並み」を6号の油絵に描き、展示会に出展した。
午後、ビストリツァに向かって出発したが、途中、全員の強いリクエストがあり、特別にトゥルグ・ムレシュで停車して市内観光。美しい町であったが、文化宮殿は真に素晴らしかった。この町はハンガリー人の一部族であるセーケイ人によって建設され、近郊にはハンガリー人の村が点在している。 | |
文化宮殿
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夕方、ビストリツァに到着して短時間だけ市内観光をした。小説「吸血鬼ドラキュラ」の冒頭に出てくる町である。この日は夕食後、熱心な質問攻めにあい、夜10時頃まで「侍とヤクザの違い」「談合とは」「芸者の育て方」等の解説をした。フランスから参加した年配のご婦人は、南極、北極以外は世界中旅行して、日本には3週間滞在したとのこと。「世界中で何処が良かったか。」と尋ねたところ、「インド」という答。多くの人がおっとりとして、ギラギラしていないのが好きだと話していた。どの位前に旅行したのか聞いていないが、現在はすっかり変わっているはずだ。
2009年12月1日 記>級会消息