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  • 安土城跡へハイキング/西道夫@クラス1955

     5月19日、ハイキングで安土城跡などを訪ねた。
    1.場所:京都から東へ東海道線で約43km行くと、安土に着く。


    ここで降りずに行くと、約1,5kmで左側に安土山が見える。線路から0,5kmの距離、山裾に駐車場がある。琵琶湖からは6kmあるが、琵琶湖につながる西の湖があるので、その港まではo,5kmである。山の標高は199m、だが、琵琶湖の水位は90mなので、高い山ではない。山頂の西側に安土城があった。

     2.ハイキング:安土駅北口を出ると、小さいロータリーに信長の像がある。線路と直角方向(ほぼ北西)に進み、右折左折を繰り返すとセミナリヨ跡に着く。宣教師オルガンチーノが開いた神学校の跡で、今は史跡公園である。いよいよ山に向かう。前記の駐車場の先が大手門跡(写真)で、ここで拝観料500円を払って、全部で405段ある石段を登り始める。直ぐ左側に羽柴秀吉屋敷跡(写真)がある。30分程で安土城跡に着く。ここで昼食。下山後は前記の港(今は常浜公園)や湧水を見た後、線路を渡って駅南口の安土町城郭資料館に着く。ここに1/20の安土城模型(写真2枚)がある。見学後、駅北口に戻り、和菓子店で信長を偲ぶお菓子など購入して、JRに乗った。歩行距離は5,5km。  安土城1.jpg
          大手門跡
     安土城2.jpg
        羽柴秀吉屋敷跡

    3.安土城の紹介
    ●歴史:天正4年(1576)に丹羽長秀を総普請奉行に据えて築城開始し、その3年後の天正7年5月、我が国初めての天守閣(但し、安土城だけは天主閣と称している)を持つ安土城が完成した。しかし天正10年6月2日未明、明智光秀の謀反で信長は京都・本能寺で自刃。この混乱の中、安土城は6月15日に消失した。原因は諸説あるも、不明。
    ●石段など:石段の幅は5m程あり、1段は10個程度の石で構成されている。素晴らしいのはエッジが一直線で、かつ石の継ぎ目に隙間がないことである。他所には無い階段であった。1段の高さは平均すれば25cmだが、実際には50cm程の部分もある。石材もいろいろあるが、中には近くの山から持ってきたという石仏も何個かある。これを踏みつけて登るとは、やはり信長だなあ、と思った次第。
    ●秀吉の屋敷跡:階段を登り始めて直ぐ左側に秀吉の屋敷跡がある。柱の基礎の石が整然と並んでおり、建家の大きさは4間×6間或いはそれ以上だと思う。先に紹介した春日山城の周辺に建てられた小屋は2間×3間で、しかも礎石の無い建家だから、ここのは相当立派なものと言えよう。

    ●安土城の構造:背丈程の石垣に囲まれた28m×28mの台地に建てられた五層七階(地上6階地下1階)の天主で、高さ33mの木造高層建築は当時としては初めてのものであった。前記模型は中心より少しはずれた部分で二つに離れるようになっていて(写真)、内部構造がよく判る。  安土城3.jpg 安土城4.jpg 
            安土城模型(1/20)  
          二つに分割されている

    ●和菓子「まけずの鍔」:桶狭間の戦いの前に熱田神宮で戦勝祈願した際、一握りの永楽通宝を投げ上げたところ、すべて表向けになったので、戦勝を信じた。今川義元を討ちとった後、永楽通宝模様を愛刀の鍔につけ、以後連戦連勝、そして安土城を築いた。この模様を最中の皮につけたのがこのお菓子である。中の餡として小豆(紫色)とえんどう(緑色)が半分ずつ入っている。美味しかった。
    ●付け足し:安土城が映画になる?パンフレットによれば、「火天の城」が9月12日全国ロードショーとなる。地元で長期ロケをした由。   以上

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