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  • チリの思い出/大橋康隆@クラス1955

     最近チリでも新型インフルエンザが蔓延しているという記事を新聞で読み、私も昔一度だけチリのサンチャゴに出張したことを思い出した。


    記憶が薄れる前に過去の記録を整理して、下記に報告することにした。
     アルゼンチンのブエノスアイレスで、1977年8月8日(月)~11日(木)の4日間にわたり行ったNECの技術講演会は大好評であった。気を良くした役員の方々は、急遽計画を現地で拡張して、本隊は予定通りに帰国し、海外営業の南米部長と3人の技術者(交換、伝送、無線)を選び、チリのサンチャゴで技術講演をするように命じた。私は伝送から光通信の講演をすることになった。よく考えてみると、チリは銅の産出国であり、光ファイバーが普及すれば銅の電線が売れなくなるので積極的に導入するか疑問であった。しかし命令であれば、火の中、水の中でも突撃して行くよう戦時中に教育を受けたのが我々の世代である。更に当時、チリでは大洪水の後で肝炎が流行していた。予防注射をしてから行くべきであったが、帰国後に仕事が山積していたので、生ものを食べなければ大丈夫だと言われ、省略することにした。8月12日(金)には、本隊のいる間に協力を得て、1日でチリでの講演会の準備を完了した。夕方には、受講した方々とのパーティに出席して親睦を深めた。

     8月13日(土)にブエノスアイレスからサンチャゴに飛んだ。ホテルに到着して、窓から見下ろして驚いた。隣はモネダ宮殿であったが、1973年9月11日の軍事クーデターで砲爆撃されてペシャンコになっていて、アゼンデ大統領の非業の死を思い出した。改めて部屋を眺めると多数の弾痕を発見して、当時の壮絶な有様が蘇った。当時の詳細はグーグル検索で知ることが出来るので、興味のある方はぜひ読んでもらいたい。現在の立派なモネダ宮殿の写真を眺めると、自分が過去の人間であることを痛感する。しかし歴史は客観的かつ科学的に認識する必要があると思う。
     8月14日(日)は、久しぶりの休日で、サンクリストバルの丘に登り、サンチャゴの全景を眺めた。8月15日(月)はNational Holiday であることを現地で知らされた。現地でお世話を頂いた商事会社の方が、当地駐在の日本人の方々から4人分のゴルフ道具を集めて下さり、「アンデス山脈を眺めながらのゴルフは滅多に出来ることではないですよ。」と言われた時は、現地の方々のご好意にいたく感激した。
     ゴルフ場からの眺めは素晴らしかったが、ロングホールは600ヤード以上もあり芝生は堅くてスコアは散々だった。救われたのは、中学生位のキャディーの男の子の熟練度で、9番アイアンを取り出すと、7番アイアンに取り替えてくれ、その通りにするとグリーンに乗るのである。お客の腕前を素早く感知する鋭さに感心した。
     
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      1977年のサンチャゴ
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       空港からの
       アンデス山脈
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          上空からの
          アンデス山脈

     8月16日(火)にENTEL(通信公社)で講演をして、8月17日(水)には、サンチャゴからNY経由で帰国したが、上空から眺めたアンデス山脈も素晴らしかった。講演会終了後、最後の夕食では、やけくそで当地の生の海産物を食べたが美味であった。神のご加護があり帰国後全員肝炎にはならなかった。

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