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  • 覚えていますか?/大曲恒雄@クラス1955

     今から70年ほど前、我々が小学校に入った時 

    初めて手にした国語の教科書は写真1(右下)であった。表紙a.jpg
    サイタサイタa.jpg
    そして最初のページは写真2(左下)のようになっていた。
    皆さん記憶ありますか? 
    小生は、全然覚えていないがこのページには何となく懐かしさのようなものを感じる。いわゆる既視感と言われるものかも知れない。
     
     実は数年前、某出版社が昔の教科書の復刻版を通販で販売しているのを新聞広告で知りこの国語読本を衝動買い(?)したが、すっかり忘れていた。最近になってヒョッコリ出てきたので紹介する気になったもの。
     この教科書にはモモタロウa.jpg童話が3つ載っているがその最後が「桃太郎童話」(写真3:左)で、54ページから75ページまで延々22ページを占めている。恐らく3カ月くらいかけて学習したものと思われる。
    教科書の最終ページに1年間の学習成果をまとめたリストがあり、それによるとカタカナ全部(*1)、漢数字10字、漢字11字(*2)となっている。
    なお、“終わりの言葉”は「ヲハリ」となっていて異国語のような感じがする。
      (*1) 濁音、半濁音、拗音(キャ~ピョ)を含めて合計112種 
     (*2) 山、川、小、木、大、日、目、中、犬、上、人
     
     この教科書の後付けに「印刷・発行:昭和7年12月」と記されているので、昭和8年度つまり我々の5年先輩から使われていたらしい。
     小生は小学生時代を山口県下関市の長府で過ごした。教科書のことを書いているうちにこの頃のことを思い出したので、少々脱線するが“思い出三題話”として披露したい。
    (1)「山の向こうは・・・」
    何年生の時か覚えていないが町の近くにある山へ遠足に行ったことがある。中国山地の西端近くにある低い山だと思う。山の頂上から向こう側の風景を初めて見た時、整然と区切られた田畑が広がるのどかな田園風景の中を汽車が煙を吐いてゆったりと走っていて、普段見慣れているこちら側の風景とは全く違って見えた。大げさに言うと「山の向こうに別の世界があった!」と、子供心にも大変強いインパクトを受けたことをよく覚えている。
    (2)紀元節の頃は猛烈に寒かった
    山口県は長州藩伝来で質実剛健の気風のある所、それに長府は乃木大将のお膝元。更に戦時中とあって小生の通った豊浦尋常高等小学校(3年生からは豊浦国民学校と改称)では冬でも靴下、足袋、手袋が禁止だった。町の北側の山から吹き下ろす“空っ風”の影響もあって冬は非常に寒かった。特に紀元節の頃の寒さは強烈で、今でも鮮烈な記憶が残っている。
    (3)緊急集団下校時の班長さん
    父が神戸製鋼に勤めていたので社宅(今で言えば団地)に住んでいて同じ学校に通う子供が沢山いた。戦争の終盤に関門地方は頻繁に空襲を受けた。豊後水道をB29が北上するのが発見されると警報が発令され、子供達は方面別にグループを作り、防空頭巾をかぶって急いで下校する。
    小生は神戸製鋼社宅組の班長で、チビ・ガキの一連隊を引率して社宅まで帰った。小学校から社宅までかなりの距離があったので帰るのに長時間かかり大変だったはずだが、イヤな記憶は残っいないので特別のトラブルは無く、班長としてのミッションを無事達成出来たものと思っている。国語新a.jpg
    付け足し
    孫が今年小学校に入ったので1年生の国語教科書を見る機会があったが、その最初のページは写真4(右)のようになっていた。この教科書はB-5版で上下巻併せて204ページ、それに対して昔のはA-5版で78ページ、活字も大きく情報量の差は10倍くらいありそうな感じ。また、1年生の間に学習する漢字の数は72字に増えている。
    この70年の間に世の中は大きく変わった。その変化の大きさを表す一つの指標と言えるのかも知れない。

    3 Comments »
    1. このサクラの頁はよーく覚えています。逆に言うと本当に覚えているのはこの頁だけかもしれませんが・・
      何れにしても大変なつかしいものを見せて頂き有り難うございました。

      コメント by 山崎 映一 — 2009年6月22日 @ 08:51

    2. 私もサクラの頁は良く覚えています。更に私は国語の試験で大ショックを受けました。
      日頃、母から「先生の言うことを性根を入れて聞いておれば、何も心配することは無い。」と言われて、私は真面目に性根を入れておりました。従って、試験問題も順調に回答できたのですが、最後の問題で参りました。「ン」で始まる単語が判からないのです。「ンコ」と書いたのですが、「ウンコ」が正しいし様だし、こんな汚い問題は出ないだろうと考え、消しゴムで消しました。次に「ンテンシュ」を思いついたのですが、やはり「ウンテンシュ」が正しいと思って又消した瞬間に、終了の鐘が鳴りました。
      現在でも正解は判かりません。しかし担任の先生は偉大であったと感謝しています。生まれて初めて脳味噌を使った気がしました。又学校は大変な所だと気がついて、その後は、曖昧なことは徹底的に先生や友達に聞く習慣が身に付きました。

      コメント by 大橋康隆 — 2009年6月22日 @ 21:10

    3.  コメントに対するコメントはルール違反かもしれないけれど、大橋君のコメントには、思わず笑ってしまいました。
       すごい先生もいたものですね。いや、素晴らしい先生です。NNKO やNNTENNSI でどこが悪いか。みんな、子供はそう言っているじゃないか。案外、先生はそこを狙っていたのかも・・・。
       僕の住んでいた近くに、王子駅というのがあって(今でもJRの駅ですが)、「わうじ」と書いてあった。Dojoh は「どせう」だったか、とにかく不思議でした。言ってることと書いてることが、違うんだから子供には分からないのも無理はない。昔は、どこにも、面白い先生が沢山いたみたいですね。

      コメント by 武田充司 — 2009年6月26日 @ 22:26

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