近頃思うこと(その8)/沢辺栄一@クラス1955
記>級会消息 (2009年度, class1955, 消息)
トップが良ければそのグループはよくなると云われている。グループはトップ以上の能力を出す事は難しいとも云われ、
グループの成果はトップ次第であることを表わしている。ニューヨーク市では御存知のようにあれほど凶悪犯罪が多く、夜のタイムズスクエア、夜のセントラルパークなどは危険な場所であったものが、ジュリアーニ氏が市のトップになったら、犯罪が著しく減少し、夜の地下鉄も安全になり、夜ジョギングができる公園になった。企業の例としてP社はN社長になって業績を伸ばし、S社はI社長になって業績が低迷し、社長が変っても今日も低迷が続いている。企業においては利益、発展を目指し、倒産の危惧を避けるため、現トップが真剣に次期トップを選定するが、能力、性格等の資質を十分に知っている部下の中から選んでも当たり外れが生じてくる。米国GE社では次のCEOを選定するのに5候補の中から5年掛けて色々な観点から検査し、2名に絞り込まれ、最後は現CEOが次期CEOを決定しているということを読んだことがある。このような状況でCEOが選ばれているためか、サブプライム問題で多少の問題をおこしているが、GE社はこれまで順調に成果を挙げて来た。
最も大きいグループとしては国が考えられる。国家のトップは国により異なるが、大統領や、首相である。働かない労働者が多かった英国はサッチャーが首相になって活が入り、米国ではレーガン大統領の時に国威が回復した。我が国の現状はトップが悪いためか、全く混迷の状態の中にある。政治に関しては一般選挙民の殆ど大部分の人はマスコミでのポピュリズムとマスコミで紹介される内容と選挙広報のチラシだけで、どのような人物か全く知らない、会ったこともない人間を我々の代表として選んでいる。その選ばれた議員や全く知らない党員があまりよく知らない人間を国益よりも党利の条件で党首を選んでいる。良く知らない人間が2段構えで選ばれた国のトップは本当に日本のためになるのか、この政治システムはなんだか変な気がしてならない。
中国の場合、主席や首相はそれまでの実績から暗に事前に決められており、形式的に人民大会の投票で決まるのではないかと思っているが、実質的には私企業のトップが決められるのと同じように、共産党が倒れないための最もふさわしい能力を持った人物が選ばれているので、能力、胆力、駆け引き等の点で日本のトップが全く太刀打ちできない能力を持っているのではないかと思われる。日本の歴史、政治そのものを十分に知らない、理念もない人間が議員に選ばれるのはどうゆうことであろうか。民主主義は堕落する性質を持つと某氏が言っていたが、選挙がマスコミその他のポピュリズムに依らず、少なくとも議員候補は最低限の知識と見識を有していることを証明する議員資格を持たねばならない制度も必要だと思う。
昨年亡くなったアメリカ、ハーバード大学の国際政治学者であったサミュエル・ハンチントンがその著書「文明の衝突」で挙げた世界の8文明地域の中に日本を独立の文明圏として扱った事は良く知られる所である。日本は古来、政治システム、宗教、思想、各種技術、芸術を中国、韓国から導入したが、時の経つうちに日本のそれまでのシステム状況にマッチするように創り変え、日本の独自文化を構築してきた。日本が約150年前西欧に門戸を開き、西洋文明を取り入れに専心し、ある程度の西欧化が出来上がり、また、終戦後、アメリカの政治、経済、教育等のシステムが強制的に入ってから60数年になる。アメリカよりもアメリカ化が進んでいると思われるし、アメリカの言うグローバル化に習っている。しかし、まだ日本の良さを持ち、現状のおかしさを感じている人が多いのではないかと思っている。そろそろ政治の分野において日本にマッチした最適なシステムを模索し、創造し、日本化が進められて、1日でも早く真に能力のある政治家が、首相が出現できるようになることを願うこの頃である。
2009年6月22日 記>級会消息