CO2 善玉論(その2)/中林恭之@クラス1955
記>級会消息 (2008年度, class1955, 消息)
1. はじめに
ブログへの初参加として、10年以上前に書いた本(コアラの唄)の1章から“CO2善玉論”を大曲君経由で提出させてもらったが、武田君他から早速ご感想を頂き、面白く拝見した。
この“CO2善玉論”は平成7年に書いたものだが、その後、世の中の大勢は私の感覚とは逆に、正に“CO2鬼畜米英論”となっている。選挙が近い最近だが、某大政党のポスターに“CO2は悪の根元”とあり、NHKの番組で、某東大教授が「CO2は最悪の環境汚染物質である」とコメントする始末。私の“CO2善玉論”は大間違いなのだろうか?
このテーマを拾数年間考えているが、どうにも世の大勢に納得できない。そこでヘソ曲りとしては久しぶりに“CO2善玉論(その2)”を書く気になった。
2. 地球温暖化論への基本的疑問
現在の地球温暖化論は、その前提として、次のような仮定の上に成り立っていると考えざるを得ない。
即ち、地球は人類に都合のよい環境を提供してくれているのに、増え過ぎた人類はCO2を多量に発生させて温暖化させ、自然環境を破壊させているので、CO2を減少させなければならないとの論脈である。
この仮定に疑問がある。地球は、自然は、人間に都合のよい環境を提供するはずがない。人類の存在に関係なしに、自然が変動することは、地球の歴史が示している。変動するのが自然の本質であって、それは人類が左右できるようなものではない。人類は自然の変動に受動的に対処する外はない。
北極熊が絶滅する?仕方がない。マンモスだって絶滅したではないか!
3. 温暖化は、人類社会にプラス
気候の一定化は望むべくもないのだから温暖化か、寒冷化か、どちらが人類社会にプラスであるだろうか?暖房エネルギー減とCO2増加による食糧増産の2点から、温暖化の方が人類社会に望ましいことは論を待たない。ただし、海面上昇、穀倉地帯の変動等によって、政治、社会面の問題が発生する。このような政治、社会面の問題は国連中心に解決する他はあるまい。国連はCO2問題に取り組むのも悪くはないが、最も本質的な環境問題である人口問題への取り組みが不足している。
4. エネルギー・環境問題の長期展望
現在、世界で支配的である文明を“西洋型化石燃料多消費文明”と名づけさせてもらう。つまり、現在の文明は有限な化石燃料の上で成り立っている。原子力は化石燃料ではないが、使えば減り有限である点では化石燃料と同等である。現在の軽水炉ベースの技術では石油と大略同等と考えられる。
現在文明を支えている化石燃料(以下、原子力を含む)はその消費量は膨大であり、いかに省エネルギー技術を開発しても、結局は、人類社会は化石燃料を消費しつくしてしまうと私は予想している。それまでの時間は200年前後であろう。
つまり人類社会は、来る200年位の間に化石燃料なしの技術を開発して文明を継続させなければならない。化石燃料の代替エネルギーとして考えられるのは自然エネルギーであるが、太陽エネルギーベースのもの以外、風力、地熱等はその量から言って少な過ぎる。太陽エネルギー利用も、太陽光発電はこれまた量的に化石燃料に代わり得るとは想像し難い。
可能性があるのは、現在、コーンベースのメタノール生産が一部実用化されているが、これを更におし拡げて、全ての植物ベースの燃料生産を実用化するべきである。更に、人工葉緑素ベースのエネルギー生産技術が必要だろう。更に重要なのはエネルギー消費技術の開発だ。現状のエネルギー消費技術は全て高温の熱機関であるが、これを全ての生物が行っている“低温エネルギーエンジン”にすれば効率は画期的に高まるだろう。
ここまで書いて来て気がついたのだが、化石燃料零社会での新技術とは人間以外の生物が現在生きていくために使っている技術に他ならない。このような議論が何故行われていないのだろうか?
〔付録〕 CO2 回収、貯蔵技術開発に関する簡単な試算と疑問
化石燃料は大部分の炭素と、少量の水素で成り立っている。ここではCO2が問題なので水素は考慮に入れないで炭素のみを考えればよい。
燃焼の方程式は次の通り。
C + O2 → CO2
分子量 12 16×2=32 44
炭素1当たり3.7倍のCO2が発生する。
44 / 12 ≒ 3.7
つまりCO2を回収するとなると、その重量は燃料の4倍弱(3.7)に達する。
そうなると、交通(航空機、船舶、車等)手段は基本的に成り立たない。
動かない発電所の場合はどうか。日本の場合、石油、石炭、LNGはほぼ100%輸入である。CO2を回収、貯蔵、搬出するとなると、燃料の4倍弱を扱わなければならない。しかも、CO2は低温の液体CO2である。その貯蔵、ハンドリング、運搬船、地中への圧入エネルギー等々、もう試算したくない。発電所の正味送電端熱効率が大幅に低下するので、更に新たな発電所建設が必要で、ここで又CO2が発生する。化石燃料の寿命が短くなる。
つまり、CO2対策は厳密に正味熱効率ベースで評価されなければならない。 ヘソ曲りは老いぼれてこれ以上計算を進めるエネルギーはないが、元気のよい若手に計算のつめをやってもらいたいと思っている。
残念なことにジャーナリズムは本技術(発電所でのCO2回収技術)を評価し、政府も補助金(つまり税金)を出してあろうことか、J.P.社の酸素吹き型石炭ガス化技術で試験を計画している。石炭ガス化技術は石炭に血道をあげたヘソ曲りの最終成果の一つであるのに、こんなことにカーブしてしまうとはとガックリである。
CO2回収、貯蔵技術は将来の寒冷化時代に備える意義があるのかと皮肉りたくもなる。そうなると放出技術がまた問題だが。
以上、どうもまとまらない話になってしまった。次回はヘソ曲りの原子力論を書いてみたい。
2009年3月30日 記>級会消息
「コアラの唄」を送ってもらった頃は未だ勤務中だったので、本棚に入れたままになっていて申し訳ない。改めて今読ませてもらい、それぞれ異なった道を歩んだけれども、意外に共通点があることも発見しました。
今回の論文の第3、4章には同感です。前回の武田さんのコメントも興味深く読みました。「足るを知らない」人間の強欲が、自然の摂理を乱していることは、厳然たる事実です。200年後までに天罰が降らないことを祈るのみです。
「コアラの唄」にディズニーワールド・ゴルフクラブの事が書いてありますが、私もここで、光ファイバー・システムの開通式の翌日回ったことがあります。海外で初めて光システムを納入し、ドン底から幸運が舞い込んできたのがディズニーワールドで、忘れ得ない思い出があります。
コメント by 大橋康隆 — 2009年3月30日 @ 21:37
次世代の技術革新は、分子生物学を基にした遺伝子工学の分野で起こると思う。既にその兆候は現われている。
何れは、光合成反応が人工的に制御され、食糧や燃料も工場生産される。主原料は、水、CO2、太陽エネルギーであり、製品はメタノール、小麦粉、野菜ジュース等々。
「太陽光を集中させるのが問題か」と思っていたが、この論文を読んでCO2も大変らしい事が分かった。CO2が、現在の石油と穀物を一緒にした様な最重要戦略物資になるかもしれない。
コメント by 寺山 進 — 2009年3月31日 @ 17:05