四苦八苦の技術屋英語 (下)/寺山進@クラス1955
記>級会消息 (2008年度, class1955, 消息)
第二部 Native編
前回はNon-nativeの人との会話での苦労話をした。
それでは、Nativeの人ならば巧くいくのか?とんでもない!Nativeの英語でも分からないのは同じである。Nativeと云ってもそれこそピンからキリ迄ある。King’s English 、BritishとAmerican。英国でもロンドンで初めてcockneyを聞いた時は、移民の人が母国語でしゃべっている感じで、全く英語とは思わなかった。米国でも西部、南部、アフリカ系とそれぞれに特徴があるような感じはするが、分からないものは分からない。南部の年寄りなど、口を殆ど開けず唇も動かさずに、「ハッワーラ」としか聞こえないような発音をするが、これは「Hot water」と言っている。アフリカ系の人も分かり難い。「ワナゲラ?」と聞かれてさっぱりだったが、之はどうも「Do you want to get on?」の意味で、Do youを省くとこうなる。車に乗るかと聞かれたのである。
結局の所何とか会話が成立するのは、Highly educated native speakerが「日本人相手だぞ」と意識した上で、努力してくれる時だけである。少なくとも、活字に慣れ単語の綴りを良く知っている相手でないと無理である。そこで、私は「俺の英語が分からない奴は、教育レベルが低いのだ」と思う事にした。これは私の経験的第一の法則と云えるものである。ある程度は真実なのだがそれ以上に、そう思わないと精神衛生上良くない。英語が通じないのは、恥ずべき事でも何でもないと理屈では分かっていても、矢張り落ち込み勝ちになる。それを防止する為にもこの法則は重要である。ただし近頃の若い人は大分様子が違うのかも知れない。外人に慣れているし、英会話も達者になっているようだ。
教育レベルが高いからと云って、油断が出来ないのは勿論である。商談で自分に都合の良い時、つまり我が方に非がある時などには、複雑な内容でも実に分かり易い英語で話してくれる。俺の英語のヒヤリング能力も随分進歩したものだ、と嬉しくなる位である。ついO.K.と相手の言いなりになってしまう。しかし都合が悪くなると、とたんに分からない英語をしゃべり出す。それでも正直な人は早口になったり巻き舌になったりするので、まだ可愛げがある。海千山千クラスになると、逆の場合と同じような調子で話を続けるが、言語明瞭・意味不明瞭、竹下登前首相の英語版になる。こう云う時は私の経験的第二の法則を盾に取る。「都合が悪いからと云ってごまかすな、あくまでも俺に分かる英語をしゃべれ」と突っぱねる事にしていた。
もう一つの武器は、「お前の方だけ母国語でやるというのは、fairでないよ」というハンディキャップ論である。連中はfairと云う言葉に敏感だから、迂闊に非難めいて「unfairだ」と云うと決闘沙汰に成り兼ねないので要注意であるが、同意される確率が案外高い。どうも無意識のうちに、外国語を全然知らない事に劣等感を持っているのではないかと思う。「英語が下手くそで申し訳ない」と云うと、「いや、お前には日本語がある。少しの英語でも加われば、俺よりましだ」と返される事が多い。最初は慰めてくれているのかと思っていたが、案外本音なのかもしれない。しかし中にはつむじ曲がりもいて「お前の下手な英語に付き合うのも大変なんだ、家に帰るとクタクタに疲れる」と云われた事もある。この時は流石に私も腹が立ったから「俺はお前の下手くそな日本語を我慢するから、日本語でやろう」と云ったら黙ってしまった。私にしては上出来であった。
終りに
海外出張の仕事も無くなってから十数年になる。個人的な海外旅行の方も、時差への耐久力が無くなって来た為、打ち止めにしようかとも考え始めている。苦労して来た英語との付き合いもそろそろ終わりかとなると、それはそれで寂しく成って来る。勝手なものだと自分でも思う。
平成二十一年二月二十日
2009年3月9日 記>級会消息
私達の世代は、卒業後社会へ出て初めて英会話の必要性に迫られ、四苦八苦して習得した方が大部分でしょう。それでも救われたのは技術者であったことで、学会、、国際会議、商談等の話相手は寺山さんの分類によるHighly educated native speakerが多かったことである。彼らは日本人が英語が苦手であることをよく理解しており、分かり易く話してくれるのである。私も大きな声で、ゆっくり話す事にしている。それでも、分かり易いのは、英国人と東部の米国人、独語、伊語、スペイン語を母国語としている方達で、西部や南部の米国人の英語は聞き取りにくい。対面しての会話はよいとしても、電話は判り難い。最も困るのはテープである。聞き返すことが出来ない。留学中、週末にワシントンを訪れたが、夕方空港で出迎える予定の学生が見えず、海外留学生オフィスに電話したらテープで急に都合が悪くなったのでxxホテルに泊まれば翌朝迎えに行くと吹き込んであった。ところがxxの固有名詞が良く判らない。困っていたら少し年上の日本人が来て「何年米国に居住したのか」と尋ねられ、「1年以下では無理だ。」と言って代わりに電話してついでだからとxxホテルまで車に乗せて下さった。
私は子供の頃から音痴なので耳には苦労した。フルブライトの英語の試験は立教大学の講堂で9時から行われたが、耳が弱いので早めに行って、最前列の席を確保した。黒板には「気分が悪くなった人は黙って外に出て下さい。」と書いてあり、そんなに長時間かとギョとした。発音のテストは耳では判別が曖昧だが、最前列だったので、口の動きを見ていたら明確に判ったので助かった。
最近は小学生から英語教育との方向であり、また英会話学習のツールも豊富で、敗戦という大変革期で無駄な努力を強いられた時代から見れば結構なことである。ただ英会話の活用を如何にするかが問題だ。独文学の教授がドイツに留学して、「専門は何ですか」と聞かれてホトホト困った話を聞かされたことがある。また日本人は英会話能力とは無関係に議論に割り込む能力が弱い。インド人留学生などは、訛りのある英語でも、我々の10倍以上喋る力がある。今後の日本人は様々な人達を相手に、話や議論や交渉をする能力を向上することが大切であるとつくづく思っている。
コメント by 大橋康隆 — 2009年3月9日 @ 17:49
私もNYに1967~70駐在員として滞在、英語には苦労しました。実は単に言葉の違いだけでなく、発想の違いも苦労の原因にあると思っています。特許関係の情報誌に寄稿したことがあるので、それをいづれ紹介したいと思います。
コメント by 西 道夫 — 2009年3月11日 @ 20:26