「第九」談義/大曲恒雄@クラス1955
記>級会消息 (2008年度, class1955, 消息)
年末が近づき街にクリスマスソングが流れるようになるとあちこちで「第九」のコンサートが開かれる。
12月初めインターネットで調べてみた所NHK交響楽団4回、読売日本交響楽団6回、日本フィルハーモニー交響楽団7回、など東京のオーケストラだけで何と30回の公演予定が組まれていた。その他、レニングラード国立歌劇場管弦楽団がはるばる遠征して来て(?)5回コンサートを行う。12/23の午後には5つものコンサートが都内で、しかもほぼ同じ時間帯に開催される。
また大阪では「サントリー1万人の第九」という一般公募型のコンサートが毎年行われている。地方都市のオーケストラによるもの、納所君が参加されているような市民オーケストラによるもの、コーラス主体のものなどを含めるとすごい数の「第九」コンサートが日本中で行われることになる。
指揮者の金聖響氏によると(注)「第九」がこれほど数多く演奏される国は日本以外になく、年末の恒例行事としている国もないとのこと。唯一の例外はライプチッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団で毎年大晦日に演奏しているらしい。ヨーロッパでもこの曲はベートーベン最後の特別な交響曲としてとらえられ、演奏機会も同時期に作曲された「ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ曲)」と同じ程度に少ないそうである。
何故「第九」が日本でこのように好まれるのかについては社会学者の分析を待つしかないが、金氏が紹介されている“そもそもの始まり”についてのエピソードは真実味が溢れていて面白い。終戦直後赤字に悩んでいた某オーケストラが正月の餅代を稼ぐためチケットを大量に売りさばける演目はないかとチエを絞った結果、「第九」なら合唱団も加わって大勢が舞台に上がるので親戚や友人にもチケットが売れると誰かが言い出し、そこから年末の「第九」が定番になったとのこと。
「第九」即ち交響曲第九番ニ短調作品125(合唱付)は1822年から1824年にかけて作曲され、ベートーベン53才の時に完成し、その年に初演されている。しかし、ドイツの劇作家・詩人フリードリッヒ・シラーの詩「歓喜に寄す」にベートーベンが初めて接したのはまだ最初の交響曲にも手をつけていない19才の頃で、その2年後にはこの詩に音楽をつけようとしたスケッチのあとが見つかっているとのこと。また、27-28才頃と40-41才頃のノートにもやはりスケッチがあり、ベートーベンがこの詩にかなりの思い入れを寄せていたのは確かなようだ。
ベートーベンは最初第九番の交響曲を器楽オーケストラだけのものとして作り、それとは別に声楽を伴った第十番の交響曲を作ろうと考えていたようだが、結局これが一緒になって「第九」が誕生することとなったらしい。
曲は何となく落ち着かない感じのする第1楽章、諧謔的なハイテンポの第2楽章、天国の調べとも言われる美しい第3楽章と続く。「第九」と言えば「歓喜の歌」だけが有名すぎて他の楽章が目立たない感じだが、この第3楽章の素晴らしさは何とも言葉で表現できないくらいで、小生は「第九」の中ではこの楽章が一番好きである。
さて第4楽章である。ここで歌われるシラーの詩の日本語訳を少々長くなるがそのまま引用させてもらうと(注)
「万物は自然の胸に抱かれ、自然の乳房から喜びを飲み、どんな善人も、どんな悪人も、薔薇の小道をたどり、自然の懐へと入ってゆく。自然は私たちに口づけし葡萄酒を与え、死を分かち合える友を与え、快楽が虫けら(のような人間)にももたらされ、智天使ケルビムが、創造主(神)の前に立つ」 「神の完璧な計画に基づいて、星が天空を動くように、兄弟たちよ、自分の道を突き進め」 「抱き合おう!、何百万の人々よ!この口づけを全世界に、兄弟よ、この星空の上に父(なる神)が住んでおられるに違いない」と続き、最後は「天の果てに創造主を求めよ!その方は、星々の彼方に、必ずおいでになる」で終わる。
この歌詞の意味については、プロの金氏でさえ「本当の所ようわからん」ということのようである。
所で、多くの録音が残されている「第九」の中で最高傑作と言われているものが『フルトヴェングラーの「第九」』(写真)で、1951年バイロイト祝祭劇場でのライブ録音である。
戦時中のナチスとの関係から公的活動を禁じられていたバイロイト祝祭劇場が禁を解かれ、戦後初めて活動を再開した時の記念コンサートで演奏された。
余談であるが、1980年CDの規格を決めるに当たってディスクの直径を11.5cmにするか12cmにするかで議論が分かれた時、この『フルトヴェングラーの「第九」』(演奏時間約74分)が入ることという条件が決め手になって12cm案が採用されたと言われている。
このサイズはそのままDVDにも受け継がれている。
今年も残り1週間余りとなってしまったが、日本中に響く「歓喜の歌」の大合唱でイヤなムードを吹き飛ばし、明るい気持ちで新年を迎えたいものである。
(注)金聖響+玉木正之「ベートーベンの交響曲」 講談社現代新書
2008年12月22日 記>級会消息
確かに、恰も年の暮れの曲のように(紅白歌合戦のように)第九が演奏される妙な習慣が日本で始まり、それが今では欧米のオーケストラでも伝染しているようです。まあ悪い事ではありませんが。
それにしても、大曲君の調査で、東京だけで30数回演奏されるとは、まさかこれほど多いとは思ってもいなかったので、本当に吃驚しました。
私は、昭和20年の中頃から、N響の会員になりましたが、その頃は、第九を普通の定期演奏会で、6月とかで聞いた憶えがあります。
その頃は、独唱者は、バリトン:中山梯一、テナー:柴田睦睦、ソプラノ:三宅春恵、アルト:川崎静子、という二期会創設の大御所が歌っていました。合唱は国立音大が担当していました。
やがていつの間にか、12月に演奏されるようになりました。しかし未だそれ程ポピュラーではなかったので、あっちもこっちもという状況ではありませんでした。
今では、日本発の、ニューイヤーコンサートならぬ年末コンサートとなったわけです。
余談ですが、N響の定期の指揮者に、ブザンソンの指揮者コンクールで1位を獲得した小沢征爾氏が立ち、半年ぐらい指揮をしたのを聞きました。(多分この時に、N響が若い小沢さんをいびったのか、それ以後絶対に指揮をしません。)カラヤン氏も半年ぐらい指揮をしました。懐かしい思い出です。
コメント by 新田義雄 — 2008年12月23日 @ 14:51
大曲さんと同感で、私自身も演奏していて第3楽章が一番神経を使い、また弾き甲斐のある楽章でもあると感じております。諸井三郎氏は「第3楽章は深い祈りとでも言えるような心持を表現しており、ベートーベンが書いた音楽のうちの最も美しいものに属している。」とスコアーの解説文で書いておられます。通常4人のソリストの歌手(ソプラノ・アルト・テノール・バリトン)は第2楽章の激しい動きのある演奏が終わった後、この静かな第3楽章の始まる前に舞台に入ってきて第4楽章に備えますので、オーケストラのメンバーも気分を一層引締めて第3楽章の演奏に入ります。まずファゴットとクラリネットによる導入に続いて弦楽器による第一主題の静かな旋律が流れ出して行きます。本当に美しく心の休まる音楽です。また有名な第4楽章では歌詞のドイツ語を聴きながら学生時代に勉強したドイツ語のことを思い出して演奏していました。私にとっては今年が2回目の「第九」演奏でしたが、大曲さんのご指摘のように12月の「第九」は前評判が高く、チケットは発売直後に完売となり、演奏会場の超満員の聴衆を前にして、熱のこもった演奏をすることができました。
コメント by 納所一晴 — 2008年12月26日 @ 15:10
納所君へ
“現場からの生々しいコメント”を有り難うございました。コンサートは大盛況だった由、緊張感も大変だったでしょうが、同時にオーケストラの一員として超満員の聴衆を喜ばせた満足感を存分に味われたことと思います。来年以降も是非頑張って下さい。
小生は必ずしも毎年「第九」を聴くわけではありませんが、聞き忘れた年は大晦日の夜『今年は「第九」を聴かなかったなあ』と軽い後悔(?)を感じることがあったものです。今年は、ふと思い立ってこの原稿をまとめる気になったために3回も聴きました。聴く度に感じるのですがやはりこの曲には歳末の雰囲気がピッタリのようです。
コメント by 大曲 恒雄 — 2008年12月27日 @ 17:55
大曲君、励ましの言葉有難うございます。私の所属する小平市民オーケストラは来年からベートーベンの交響曲の連続演奏を行うことになり、その第一回目として来年9月13日に「第1交響曲」と「第3交響曲(英雄)」を取り上げます。第9交響曲は今年演奏しましたので、残りの第1交響曲から第8交響曲までを演奏するわけですが、途中2年後ぐらいにまた合唱団との合同演奏が入りますので、全交響曲の演奏が終わるのは早くても3年後ぐらいになり、当分オーケストラではベートーベン漬けが続くことになります。幸い私は、別に音楽教室で現在フランクのバイオリンソナタに挑戦中なので、なんとかベートーベン中毒にかかることは避けられるのではないかと考えております。
演奏会の予定とプログラムは、このブログに紹介して行く予定ですので、ご覧になってください。私としては、この連続演奏会が終わるまで頑張って行くつもりです。
コメント by 納所一晴 — 2008年12月28日 @ 22:41