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  • クリスマスカード/小林凱@クラス1955

     今回は趣きを変えて個人的な話ですが、X'mas Cardを通して海外の退職者の日々に触れます。


     毎年この季節になるとX'mas Cardの往来が定例で、国内はE-Mail Cardが主ですが海外は封書です。このカードも退職すると何かの減衰曲線の様に急に数が減ってあと平衡状態になるが、現在はこの期間を経て10通余りとなっています。こうなるとカードは年一回のコミュニケーションの機会と大切にしています。相手は殆ど退職して居て自分と似た境遇にあり、また海の彼方の話なので余りカリカリもしません。今日はこの情報からこの人達の日々を断片的にお話します。

     どんな人から来て居るか? その出会いの場所は米国東部で時期的に3つに分れます。
    第一Gは私が1957,8年に東部の企業に研修に行った時の仲間でほぼ同年輩。米国人が大半でしたが、50年後に続いているのは英、仏、伊から来ていた3人。当時は皆が電気の技術者だった訳だが、最後まで同じ職業だったのは私一人です。
    第二Gは70年代に北米で働いていた時の知己で、製造業の技術者や契約関係が主。他に事務所の秘書が居るが、当時二十歳頃の彼女はその後結婚、離婚を経て一人で息子を大学まで出しました。
    第三Gは83年に数ヶ月の研修に行った折りの同級で、当時50歳前後で企業経験も充分。この中の米・加の何人かとカードを交換しています。仕事は様々だが皆産業界で金融は無し。

     さてX'mas Cardですが、私の様な少数ケースでも中身に地域色あり、先ず数十年もやり取りすると、家族の様子や出来事などを付記する様になるが、ここ近年の傾向で米国からのは綺麗な紙にその一年を詳細に記述してきます。その内容は先方夫婦と子供の一部迄は判りますが、その先はもう私の知らない話が大半。これは同じプリントを沢山の人に送るから色んな相手に対応する為でしょうが、一方これが何十通も来たら読むのが大変だろうなとも思います。
     もう一つの特徴は、全部ではないにせよ、とても素晴らしい様子で記述されている事。例えば、"今年も娘のローラにとり素晴らしい年でした。彼女の仕事はとても評価され,,"とか、"9月には息子のダグの家に皆が各地から集って、皆良くやっていて、それは賑やかで,," そしてその年の海外旅行が語られます。始めはX'mas位は悪い話は避けるのが礼儀かと思ったが、今はその通りに結構だと拝見しています。
     一方欧州勢はこうした印刷物は使わないで、カードの余白か別紙に色々書いて来てこれは亭主の自筆です。クセのある字を苦労して読むが、何処か悪かったとか、息子が突然結婚すると言って来て,,,驚いたとか、それなりに人生の陰翳が入っている事が多い感じです。
     それにしても米国人、特に同年輩のは毎年海外ツアーや、各地の子供たちの処とかよく歩き回っています。殆ど前と同じ住所で、あの大きな家に夫婦二人で冬は暖房費も嵩むだろう、夏はあんなに出歩いて庭の手入れはどうしているのとか、日本でマンション住まいの私が余計な心配をして居ます。その中で80歳過ぎた人から、もう歳だし(実に優雅な表現で)遠くに行くのは控える様にしたとあり、何かホットした。この人は以前IEEEのIndustry SocietyのPresidentをされた方で、ご夫婦とも実に立派な人柄で尊敬して居ます。
     欧州勢は余り長期間出歩かず、子供達の処を廻るとか近くを旅する様だ。ただ近くでも世界遺産や美術館が多くて退屈しない筈。凄いのはパリ近郊の男で、昨年の孫の数が16人で更に増加予定と言って来た。ロンドン近郊のは親から継いだ2世紀ほど経つ元旅籠の家に住んで移る気は無い様で、泊めて貰ったこともあるが快適でした。ロンドン、ミラノの二人は海から遠いが最近までヨットを持っていてこの趣味はリッチ。
     殆どが働いている時からの家に住んで居ますが、退職を機に米東部(冬寒い)から南のMyertle Beachに移り住んでGOLF三昧の人が一人居るが、近年カードの添え書きが奥さんの字になったので、余り気候の良い所もまた問題かなとも思っています。また子供とは近くでも別居です。

     こうした交流の中で政治の話は一切無しで、また以前の仕事に関する議論も余り出て来ません。Retire後は別の好きなことをするのがHappyといった感じが共通ですが、教会活動をしているのは二家族です。以前に働いていた会社のOB会は米、欧ともにあり、Reunion(米)、Riunione(伊)と名前も似た感じで、昔の友人に会うのが楽しみと言っています。

     この辺がX'mas card から窺い知る退職後の様子です。ただ母数が少なく、出会った時の年齢も20、40、50台と違うと付き合いの様子も変り、これで一般傾向を話すことは無いと思います。 さらに米国発の金融危機が世界中を駆け巡って居る現在、この原稿作成時(12月上旬)今年のCardは来て居ませんが、社会情勢が変って行くので色々な影響も出て来るでしょう。
     しかし長い時間軸での話なので、その時々の情勢は別として昨年までの様子として紹介して置きます。

    3 Comments »
    1. クリスマスについては余り楽しい思い出はないが、クリスマスカードについては様々な思い出がある。今年はカードの到着が遅く、昨日第一陣を受け取った。1961年にフルブライトでハーバード大学に一年留学した時に、私のホスト・ファミリーだったDr.Harry Schenckは当時新婚で博士論文を纏めていた。長期休暇時は故郷のCaliforniaに奥さんと車で往復していた。現在は大家族になって、22名の集合写真と2名の個別写真を掲載した上、毎年のように各家族の消息が一頁にぎっしり纏めてあった。
      残念な思い出は、1968年にアルゼンチンのMar del Plataで開催されたCCITTの総会に出席した時に知り合った女子大学生と長年カードの交換をしていたが、ある時、分厚い手紙を受け取った。二人のお嬢さんと一人の息子さんがいて、長女が18歳になり英語が出来るようになったので、母親のスペイン語を英語に翻訳した近況報告と写真が同封されていた。私達が訪れた喫茶店も現在は近代化のため無くなり、すっかり立派な都会になっていた。これからより詳しい文通をしようと思っていたら当地域で洪水があり住所を変わったという知らせを最後に消息不明となってしまった。アルゼンチンについては仕事を含めて深い
      思い出があるので、機会を見て報告したいと思っている。
      (注)CCITTは国際電信電話諮問委員会のフランス語のイニシャル。
      通常スイスのジュネーブで開催し4年に一度の総会は海外で開催された。

      コメント by 大橋康隆 — 2008年12月23日 @ 19:43

    2. この1週間に私にもカードが来たがそれは別として、大橋兄がかってBostonに行っていた事を懐かしく拝見しました。私は1983年に3ヶ月ですがBostonに滞在した。行き先はお隣のMITですが近くなのでハーバードにも何回か行きました。季節は春だったからマグノリアの花が一斉にあの町を彩っていた。冬のBostonにも何回か行ったが雨か雪の印象が主です。

      コメント by 小林 — 2008年12月29日 @ 21:17

    3. 大晦日なので、パソコンを開けてみたら、小林さんのコメントで1983年にMITで研修されたことを知り、昔の記憶が蘇ってきました。実は、私の留学中のアドバイザーで大変お世話になったProf.TuftsはMITの卒業生で、年間8コースの中で「情報理論」を学びました。ハーバードでは、半分のコースまでMITで取得しても良いことになっていたので、もう1年留学できたら、より専門的なコースはMITで学びたいと思っていましたが、休職して留学したので止むを得ません。MITには何度か訪れましたが、寮で同室だったDr.Ivan Hallと米国版「7人の侍」(ユル・ブリンナー)の映画を見に行ったこともあります。寮にいたので、宿題をこなすには何処かの部屋に同じコースを取っている学生がいたので判らない時は教えてもらい、また私の持参した日本語の「通信工学ハンドブック」は重宝で、友人を含め時間の有効活用に寄与しました。寮の向かい側はAgassiz Museumuで、観光バスも止まりますが、1週間くらい紅葉して、素晴らしい色彩でした。これも寮に住んでいたお陰です。帰国後、何度か出張でBostonにも立ち寄りましたが、大学を訪問する時間はありませんでした。定年後、家内と訪問し、Prof.Tuftsご夫妻とも再会しました。

      コメント by 大橋康隆 — 2008年12月31日 @ 10:21

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