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  • 福島第一原発事故の拡大(その二)/濱崎襄二

    リンク(その一、その二、その三

    – (5) 電力の安定供給と原発 –

    今日の文明は電力の安定供給を大前提としています。日本は、チェルノブイリ原発事故後も潤沢な電力供給を求めて原発増設を続け、電力需要の約40%弱を原発に依存しました。「電力の安定供給」は、電力の量が豊富であると共に質が良く、且つ、電力料金が低く保たれることを意味します。日本の電力料金は従前から概して高く設定されていましたから、原発停止に伴った所の、昨今の「節電」政策と「再生可能エネルギー優遇」政策によって電力料金の高騰が予測され、そのため、日本の産業空洞化、即ち、雇用喪失が加速されています。日本の現状は電力の安定供給の保障下で造られたため、長期に亙る節電にも、電力料金の高騰にも耐える構造を持っていません。

    万一にも、需要が供給を上回り大停電が発生すれば、日本の都市機能や政府諸機関は勿論、社会の隅々まで(交通・産業・流通・金融・教育、保健・医療・国防・警察、等、)麻痺状態になり、多数の人命が失われ、大損害を蒙る事は必然です。今、直ちに原発を全面停止する事は無謀の極です。更なる文明の発展のためには、更に潤沢な電力が要求されるでしょう。

    チェルノブイリ原発事故以来、加えて昨年の福島第一原発事故によって、ヨーロッパ諸国は原発の今後について揺れ動いています。しかし、何れも10~25年の将来を見込んだ計画的な漸減を目指しています。「科学」の産物としての原発を現実的に克服する(より良い発電施設で代替する)ためには、努力と資金と歳月とが必要です。

    世界の超大国(領土、人口、が共に巨大で、原爆・水爆を製造・貯蔵し、且つ、文明が高い国々)は、国力の維持・発展に不可欠な巨大電力の安定供給のために、急速に原発を増設しています。これらの国々では、原発の克服は国家機密に属するのでしょう。地球を滅ぼす規模の原子爆弾と水素爆弾が世界各地に貯蔵され、電力確保のため夥しい数の原発が稼働し増設されている現代では、何時、何処で大規模放射能汚染が新たに発生するか予想がつかない状況です。近隣の国々の放射能管理動向は極めて重要であり、厳重な相互監視態勢の確立が必要でしょう。

    – (6) 原発は克服できるのか? –

    今回の福島第一原発事故の克服については、先ず、第一に、先述の「非常時無責任体制」(この意味については、(3) 福島第一原発事故拡大の人災 をご参照下さい。)を撲滅・排除して謙虚さを取り戻し、虚偽・欺瞞の無い、相互信頼に基づいた、責任ある体制を再構築する事です。これは、今直ちに、着手できます。この体制の下で勤勉に努力を重ねるならば、地震対策も大津波対策も全電源喪失対策も意味を持ち、(可能な限り)安全に、(原発が克服されるまでの期間)原子炉運転を続ける事ができるでしょう。 

    第二には、事故拡大を含めた福島第一原発事故の全貌を明らかにする事です。この事故においては、因果関係がある所の、1)地震、2)津波、3)水素爆発、4)放射能物質漏洩・拡散、の夫々の実態と災害とについて、計測結果に基づいた分析と究明とが必要です。

    原発が複合体であるため、炉心、核燃料、冷却・配管系、発電・送電系、基礎構造、建屋構造、計測・通信系、運転管理系、事故管理・緊急設備、等々、多岐に亙る分野の究明が必要になります。実際には、水素爆発で飛び散ったとされる超高濃度放射能汚染瓦礫が、原子炉構想物のどの部分の破片であるかについて、特定が進んでいるのでしょうか?原子炉及び建屋の下部一帯が高濃度放射能汚染水に水没したため、肝心部分が未調査のまま放置されています。また、1 ~ 4号炉の夫々における地震直後の計測記録、事故拡大の初期過程における計測記録が極めて乏しいと云う(悲しむべき)現状があります。肝心な炉心の内部、及び、底部の状態、炉心冷却水の漏洩原因等、報道に顕れているのは、明らかな異常が偶々発見された場合を例外として、多分に憶測の域を出ていません。これからの原子炉の安全運転のためにも、破損原子炉を解体する上でも、未調査・未究明部分を残すことはできません。この問題には原子炉工学、原発耐震工学、耐原発ロボット工学上の研究課題を幾つも含んでいます。日本の原発は完成度の高い技術輸入から始まったため、日本では、原発事故は実証的な礎を全く欠いた分野でした。

    第三には、原発が克服されるまでの期間、可能な限り安全に原子炉運転するため、この事故とその拡大の経験に学んで、夫々の設備上の対策を講じる事です。津波予報確度の抜本的向上、津波堤防嵩上げ、予備電源車・予備ポンプ車の整備、予備燃料タンク整備、電池の整備、及び、これらと管理センターの高台移転、等々、はこの対策の一部でしょう。しかし、前述の通り事故の全貌は未だ混迷に包まれています。従って、事故解明に従って、次々と設備上の対策を講じる事が必要になります。原発に限らず「科学」の産物についての絶対安全は保障されない故に、万一の事故に備えた準備は必須です。 

    第四には、期限付きにせよ原発を稼働する場合には、原発が持つ危険性を原発所在地域住民にのみ押し付けてはなりません。原発が本当に安全であるならば、電力需要が最も多い都市、工場地帯に建設されて当然です。原発の安全を保障できない故に、(世界中で、)僻地を選んで建設されました。より安全に運転するためには、都市、工場地帯の電力需要者が原発の危険性を共同負担する事が必要と考えています。地方政府の首長級の人々は、この共同負担の手段(例えば、原発の発電量の半分は、電力料金を下げてでも、その原発の危険負担地域で消費させると云う政策の立案等)を現実的に考えたでしょうか?

    第五には、現状の原発に替わる発電設備を探し求める事です。電気料金の高騰無しに潤沢な電力が安定に供給できる事が、日本の国力維持のために必須でしょう。

    風力、太陽電池、潮力、地熱、等々の、化石燃料に頼らない、所謂「再生可能エネルギー」による発電が原発の代替になり得るのか?と云う問題に真摯に取り組む必要があります。原発の代替を考える以上、百万キロワット以上の発電能力を持つ設備を 10年間運転することが必要でしょう。これにより経年的な保守・維持費を含んだ、電力安定供給のための発電、変電のコストを割り出すことができます。

    また、現状技術の原子炉の改良、及び、核燃料サイクルの改良による、より安全な、そして、放射性廃棄物が、より少ない発電設備の研究は、勿論、極めて重要です。原発に関して、輸入技術からの脱却は、これから始まるのでしょう。(原発を克服する事(クリーン・エネルギー)を謳って、この半世紀の間、世界各国は核融合技術の開発に力を注ぎました。しかし、核融合技術が原子炉に替わる技術になり得ると云う肯定的な結果は未だ得られていません。)

    -(7)日本政府の信用失墜-

    今、日本政府の信用失墜はその極に達しようとしています。虚偽の発表・宣伝による日本国民に対する欺瞞は、国民の政府に対する信用を失墜させると同時に、日本の国際的な信用を失墜させました。日本政府発表は国内でも国外でも信用されていません。

    米軍基地移設問題において、日本政府は、日本国民、取り分け沖縄県民の信用と、米国政府と米国民の信用を失いました。米国との間では、鳩山内閣の発足時に首相が安全保障における日米関係を重視すると言明しながら、前政権が約束した沖縄基地の今後に関する取り決めを守らないと云い出したため、日本の信用が大きく崩れました。その後、日本の二酸化炭素総排出量の 25 % 削減を言明し、内外の深い懐疑を買いました。菅内閣になると、この削減計画に関連して、原発の大規模拡充を掲げました。この時、チェルノブイリ原発事故から 25年が経ち「原発事故はあり得る事」でしたから、大多数の国民は、万全の事故対策が取られていると理解していました。(継続稼働年数 40年に達した福島第一原発1号炉の稼働期限延長も、この拡充計画の一環と聞いています。)

    しかし、菅首相は「3月11日以降、自分は考えを変えた」と云って、公然と原発拡充に関する前言を翻しました。原子炉の炉心安全に関する物理的な状態(炉心熔融)について、次いで、放射能汚染物質の拡散状態(拡散総量と拡散範囲)について、内閣首脳は虚偽の発言を繰り返しました。外国からの好意による拡散情報の提供についても、これを半ば無視し、事故直後の危機状態下において、その援助申し出を断りました。その結果、事故が拡大したために、国内でも国外でも、原発事故についても日本政府を信用しなくなりました。

    テレビ、新聞等の言論報道機関とそれらに招かれた「学識者」は、原発事故に関する政府発表に沿った発言を繰り返し、その虚偽・欺瞞を告発・糾弾しませんでした。その結果、彼らも信用を失墜しました。

    内外の信用を失墜した以上、菅内閣は 5月には事故処理暫定内閣となり、直ちに衆議院解散・総選挙をすべきでした。しかし、実際には 9月まで内閣延命に汲々とし、その間に事故責任の曖昧化が進み、災害処理が遅延しました。後継の野田内閣には、首相を始めとして、菅内閣の閣僚が名を連ねています。彼らの言う所を誰が信用するでしょうか?

    日本の国では政界の自浄作用が見られません!先の第二次世界大戦の敗戦の時にも、外国勢力を後ろ盾とした動き以外には、日本の政界には自浄作用が見られませんでした。(この事が後に「靖国神社参拝問題」としての国際問題に発展しています。)

    -(8)司法権の独立性-

    大震災から一年が近付く頃、震災関係の政府重要会議の議事録が一切残されていない事が判明し、記憶と残存メモを頼りに議事録が作られるとの報道がありました。政府組織内の官僚はもとより、一般の組織・機構で働いている人々は、彼らの義務として、また、日常業務として議事録を作り、何時、何処で誰が集り、如何なる経過を経て、何が決定されたかを互いに確認し、後日のために残します。それにも拘わらず、震災関係の政府重要会議の全てにおいて議事録が現存しなかった事実は、何を物語るのでしょうか?関係会議の総括責任者が、(議事経過の隠滅を図るために)記録破棄命令、記録禁止命令を出したとの推測を妨げません。このような命令があったとするならば、法治国にはあるまじき、前代未聞の蛮行であり、日本の国をこの上なく貶めるものです。更に、政府与党が推進する「政治指導」とは、政府首脳の恣意を実行するための、秘密諜報組織による支配を含んでいるのでしょうか?その一例が、今回の議事録皆無と云う怪事件でしょうか?

    今回の大震災の責任については、先ず、震災当日に施行されていた法令に照らして、厳密に事実を究明・分析すべきです。脱法行為の有無とその責任、損害に関する責任の所在は、立法院、行政府とは独立した司法機構で検察されなければなりません。法制の不備が発見された時に、立法院において法改正が実施されるでしょう。

    JR西日本の福知山線の脱線事故において、運転責任者が速度超過を自覚した時には、もう間に合いませんでした。この事故は運転責任者を始め多数の死者を出した事もあって、直ちに刑事事件として検察による捜査が開始されました。(100年前のタイタニック号沈没事件では、漂流氷山との接触破損・船腹亀裂が原因でしたが、議会の査問委員会において、生存者全員が生き残った経緯を釈明しなければなりませんでした。)今回の原発事故拡大では、政府、東電の首脳は動転するばかりで、限られた時間内の必要処置ができませんでした。その結果、水素爆発と政府の退避命令とによって多数の遺棄致死者を出し、重大な放射能汚染を起こし、福知山線脱線事故に較べて千倍以上の物的損害を出しました。それにも拘わらず、刑事責任を問うための検察庁による捜査が報道されないのは何故でしょうか?この捜査開始が、先述の「非常時無責任体制」を撲滅する第一歩です。

    昭和20年代の造船疑獄、昭和40年代のロッキード事件、何れも三権分立の原則に従って、検察庁による捜査・起訴があり、その過程で、多くの事実が明らかになりました。国会内の原発事故調査委員会は、飽く迄も参考に過ぎないものです。(委員長が委員会発会の席で「責任を問わない」と明言しました。この委員会は個人責任を問わないため、事実の究明能力は極めて限定的です。)現在の司法機構は、行政府、立法院に隷属してしまったのでしょうか?三権分立が崩れている事は、日本国憲法の基本事項に関する違反であり、重大な犯罪でしょう。

    昔から、敗軍の将は軍法会議に掛けられて敗軍の理由・経過と責任とを問われなければなりません。最高責任者は勿論、責任ある立場の人々にとっては、自己の無知と無能は重大犯罪です。

    -(9)放射能汚染の評価基準-

    東日本大震災以前の過去における土壌と海洋と大気との放射能汚染については、種々な過程がありました。1945年の広島・長崎の原爆投下、1963年頃まで断続的に続いた所の、数百発に及ぶ大規模な原爆・水爆の大気中爆発実験、その後スリーマイル島、及び、チェルノブイリにおける原発事故、原子力潜水艦沈没事故、廃棄された原子炉搭載艦艇からの漏洩、また更に、原爆・水爆、及び、核燃料製造・排棄過程における高濃度放射性廃棄物の河川・海洋投棄、等、が知られています。大気汚染による放射性元素は風に乗って地球大気圏を駆け巡り、地表の到る所に降り注ぎました。河川・海洋に投棄されたことによる放射能汚染も海流に乗って広範囲に広がりました。

    広島、長崎の原爆投下後の放射能汚染調査と人体に対する経年的影響調査は、米軍によって始められました。これに続いた1980年以前の汚染については、その都度の当初汚染データーが当事国の軍事機密のベールで隠されたため、一般に知られたデーターは、放射能に関する経時低減法則(半減期の存在)から過去に向かって逆算して汚染データーが得られるのみです。世界的規模の大気汚染では、原水爆実験によるものが最も激しい汚染(北半球で、平米当たり数千ベクレルを遥かに超えたと推測される汚染)を惹き起しました。この原水爆実験は大気構造を含む地球環境を(部分的に)破壊し、(私見では)地球温暖化の引き金を引いたとも疑っています。

    放射線は元々自然界に広く(浅く)存在し、その環境の中で地球上の生物は進化・退化を重ねて今日に至りました。進化・退化の過程では放射線の関与(突然変異)が大きな要因と考えられています。即ち、人類は或る程度の放射能との共存性(放射線耐性)を持っています。問題は、人類と地球上で繁栄した生物にとって、どの程度の放射線量が適度であり、どの程度の放射線量まで耐性があるか?が曖昧である事でしょう。年間数回の医療検査用のX線CT、及び、放射性同位元素を用いたガンマ・カメラによる被曝線量は、平均的な人に対して安全と考えられている線量です。一人分の平均的な人体が発生している放射線量は5000ベクレル程度と云われています。また、我々には、過去における巨大原水爆の大気中爆発が齎した所の、世界を覆った放射能汚染に耐え抜いたという記憶と実績もあります。それらを踏まえて、今後の放射能対策を建てなければならないでしょう。

    チェルノブイリ原発事故の放射能汚染による立入禁止区域内(汚染度が極端に高い場所を除外した区域)では、人間が居なくなった故に、草木は繁茂し、昆虫、野生動物は繁殖・繁栄し、更に跋扈・跳梁していると報じられています。動植物にとっては、人間よりも放射能汚染の方が親しみ易いかのようなニュースです。放射能汚染と動植物との関係については、このチェルノブイリ原発周辺の立入禁止区域内の生態について注目すべきでしょう。 

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