坂東三十三ヶ所/斎藤嘉博@クラス1955
記>級会消息 (2012年度, class1955, 消息)
旅は日常の生活リズムから離れてホントニ沢山の新しい刺激を与えてくれます。
まだ交通の不便だった昔から人々は旅を楽しんできました。お伊勢参りは昔のパック旅行の典型。これは遠すぎると江戸からは近くの大山参り。そして帰りには品川でお楽しみ。しかし道中にはゴマのハエ、巾着切、西洋ならギャング。Travelの由来がtravailにあるのもうなずけます。このブログにも旅の話題は花盛り。巡礼は宗教の聖地をめぐる儀式ですが、これも旅の一形態でしょう。
私が西国三十三ヶ寺めぐりを始めたのは1973年のことでした。牡丹を見ようと奈良の長谷寺に参ったときに霊感をえて「そうだ、三十三か所巡りをしてみよう!」。もともとこの巡礼の発端は長谷寺の徳道上人だそうですのでこれも因縁でしょうか。しかし仕事が忙しいなかで白装束に身を固めて歩くというわけにはいきません。関西に行くたびに二寺、三寺とお参りを続けて番外の三寺を含めた三十六のお寺の納経を終えたのは1986年の6月のことでした。13年と二か月かかったことになります。しかしその間に寺から寺への途中などで普通の観光地以外のたくさんの山々やひなびた村を楽しむことができました。それこそ旅の醍醐味です。巡礼というよりは“寺めぐり”はひとつのシステムですので計画と目標があり、また終わった時にさわやかな達成感があるのがすばらしいのです。その後もう一度と発心して回り始めたのですがそれは半ばで挫折していまだに完結していません。
関東には坂東三十三か所があります。皆様ご存知、浅草の観音様はその拾三番札所になります。鎌倉の大仏で有名な長谷寺は四番。坂東の巡拝は近場なこともあって車で日帰りすることが出来ますので1981年4月に一番の杉本寺から打ち始めて83年10月には相模、武蔵、上野、下野、常陸、上総、下総、安房の8か国、最終補陀落山那古寺までを番号順に周り終えることができました。 | |
納経印
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伊香保温泉にほど近い拾六番の水沢観音は水沢の手打ちうどんの本場でお昼には事欠きません。17番の満願寺から18番日光の中禅寺に行く途中で、道をすこし遠回りし閉山された足尾銅山の跡を訪ねました。赤茶けた山肌とすべての機械が止まって静かになったヤマ。過去の繁栄を想像しながらなんとなく平家の落人を連想していました。拾九番の大谷寺は大谷石の採掘場近く。この石切り場は一時陥没などで話題になりましたが、中はスタジオや冷暗倉庫、ワインセラーとしても使われていて夏でもヒヤリとする涼しさ。面白い空間です。
益子焼で有名な益子の西明寺と弐拾壱番の八溝山日輪寺のお参りの間にはほぼ一年の空白があります。もう記憶にはありませんが仕事が忙しかった頃なのでしょう。八溝山は福島県との県境にあって標高1022mでさほど高くはありませんが、東、南には高い山がなく、見晴らしはなかなか。
駐車場から寺のある谷に降りる、したがって帰りに登るのがちょっと難儀なお寺ですが、山の上からの静かな眺めは想像以上でした。 二十七番の銚子観音(円福寺)も印象に残っているお寺です。ここは家内と一緒でしたが、朱塗りの欄干から海を眺めることが出来、欄干に腰を下ろしてしばらくの間潮風に吹かれていました。 |
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26番札所:
清滝寺(筑波) |
西国三十三寺とこの坂東三十三寺、それに秩父三十四寺を合わせると百の観音を詣でることになります。「そうだ秩父の巡拝をしてみよう!」。四国八十八寺はもう無理としても近場であり比較的地域にまとまっている秩父巡拝なら可能だろう、この稿を書きながらそんなことを考えていました。ウンまだ歩けるうちにそれもいい。今なら数十段の石段もまだ上れそう。もしそれが成就したらまたご報告いたしましょう。
2012年7月11日 記>級会消息
このブログを見ているとさいとうさんが元気な理由が良く判ります。海外旅行もそうですが、国内でも何か目標を持って家から外へ出る習慣を身につけているのだなと思いました。私も新しい花を探しに外出をするよう心がけている積りです。
今後も秩父巡拝を計画中とのこと、成就されることを祈っています。成就報告を心待ちにしています。
コメント by 高橋 郁雄 — 2012年7月12日 @ 16:46