• 最近の記事

  • Multi-Language

  • 微分解析機の温故知新/渡辺勝

    150407watanabeMasaru70年前の計算機が動いた!

    これは、2014年7月11日18時10分のNHK総合テレビ[首都圏ネットワーク]で放映された、動画の字幕です。画面には、機械的計算機が音を立てるように、動くさまが映りました。70年前といいますと、第二次世界大戦の最中ですね。まさにその通り。これは戦時中、東大旧航空研で試作された、微分解析機という名の計算機に、そっくりなのですが、詳しくはあとで説明しましょう。

    実は小生も、東大生産技術研究所(以下生産研と略称します)が、西千葉で発足して間もない頃、微分解析機の開発に関わりましたので、そのお話しを致します。

    その前に、微分解析機について、ご存じない方もおられると思いますので、その説明から始めましょう。ご存じの方は、読み飛ばして下さい。

    <<

    微分解析機とは、微分方程式を解く計算機という意味です。機械的なアナログ計算機であって、変数はすべて機械軸の回転量で表わされます。微分方程式を解くには、積分の形に変換してから、計算機上で解くとわかりやすいです。たとえば、

    150407equation1    とします  (1)

    150407figure1積分演算は、積分機を用いて行うことができます。積分機の動作原理を図1に示します。水平な回転円板の上にローラーが載っていて、もし滑りがなければ、円板の回転が、そのままローラーに伝わります。ローラーの回転角をzとしますと、次の式が成り立ちます。

    150407equation2

     

     

    150407figure2yは円板の中心からローラーまでの距離ですが、ローラーが円板の直径に沿って相対的に動く仕掛けにしておけば、yは可変となって、被積分関数を表すように出来るという次第です。

    上記(1)の微分方程式を解くには、まず図2のように積分機を記号化しておきます。次に、図3の結線図に従って、必要な装置を接続します。各装置には、それぞれの初期条件(たとえば左側の積分機入力[y]には1、右側の積分機には0)を設定します。独立変数[x]軸に直結したモータを起動しますと、初期条件に従った解が出力卓に描かれてゆきます。150407figure3なお、図の説明文では、積分記号に$を使いました。

    この例では、もし機械誤差がなければ、出力卓に、sin x = 0 、cos x = 1で始まる真円が描かれる筈です。実際には、主として機械軸が反転する際に、バックラッシュといわれる遊びがあり、そのたびごとに円の半径が増加してゆきます。これによって微分解析機の精度を決めることができますので、サークルテストと呼んでいます。

    >> 以上で微分解析機の説明を終え、本論に入りましょう。

    日本での最初の微分解析機は、戦時中、東大工学部の佐々木達治郎教授が中心になって試作され、駒場にあった当時の航空研に設置されたものです。昭和航空計器会社が製作を担当しました。  (冒頭に述べました70年前の計算機は、阪大におられた清水辰次郎先生が、同社に小規模の同型機を発注され、先生の理科大転任の際、移転されたものと思っています。)

    戦後、第二工学部応用数学教室の山内恭彦先生が、佐々木先生(軍人故に公職追放の憂き目に遭われた)より引継がれて、私どもが、当時手計算でやっていた量子力学のシュレーディンガー方程式や電子衝突確率の計算に試用いたしました。しかし精度や容量の不足のため、一般の実用には程遠いものでした。そこで、私どもは、第二工学部が廃止され生産技術研究所が発足して間もない頃、新たに、より大型で、高精度の微分解析機の開発を始めた次第です。1953年に最初の4台の積分機が出来あがり(写真1)、1955年に次の4台の積分機を増設して完成しました。(写真2)

    150407watanabemasaru1写真1

    150407watanabemasaru2写真2

    特に精度を上げる点では、大変に苦労をいたしました。そこで完成後すぐに、前に述べましたサークルテストを行いましたところ、円半径の増加率で0.12%という世界最高水準の精度が達成でき、皆で喜びあったことが忘れられません。詳細は、生産技術研究所報告の第9巻、第1号に述べてありますので、興味ある方はご覧ください。この微分解析機の開発には、瀬藤先生以下、歴代の生産研所長はじめ、生産研の多くの先生方のご協力を得たことを深く感謝しております。

    あたかも、この計算機の完成を待っていたかのように、生産研でのロケットの開発が始まりました。早速、小型ロケットの垂直上昇性能チャート図を作り上げました。また、ロケットの2次元軌道の計算には、積分機8台を用い、その中の一台にはフィードバック接続(積分機の出力を、自身の円板回転に用いる方法)という巧妙な手段を施すことで、実行できました。これにより、レーダーによって得た実験結果との比較、発射直後の風の影響などの検討が可能になりました。微分解析機の良い点は、軌道計算の過程が見える形で行え、結果が刻々と描かれてゆくことでしょう。

    その後、1970年になって、日本初の人工衛星“おおすみ”の打ち上げに成功しましたが、それを真っ先に確認したのは精測レーダーだと伺いました。このレーダーに付属するオンライン計算機は、軌道の予測計算と実測データを突き合わせながら、結果をプロッターに描いてゆきます。このシステムの設計のお手伝いをしましたが、その際に微分解析機での軌道計算のイメージが役立ったと考えております。

    デジタルコンピューターの普及した今日でも、世界には、微分解析機の愛好者がいること、また実際に、組立高級玩具Meccanoの部品を使い、小型の微分解析機が作られていると聞きました。その理由は上記した点にあると思いますが、更に言わせて頂けるなら、蒸気機関車のダイナミックな魅力が人を惹きつけるのと似たものがあると考えます。

    最近になって、生産研の微分解析機に関して、おきたことに、話題を変えましょう。

    以下の3項目です:

    1. 生産研の歴史アーカイブスへの展示
    2. 情報処理学会よりの技術遺産認定
    3. 微分解析機の実運転の実現

    ただし、3番は、私ではなく、理科大近代科学館と情報研究所とにより、和田英一先生の並々ならぬ熱意と、ご指導のもとで、行われたものです。

    これらの解説を行うには、これまでの微分解析機の説明では不足の点が幾つかあり、まず、それを先にお話しましょう、第一は、トルク増幅機についてです。この装置は、図1に示されているローラーの先に取り付けられております。回転円板とローラーとの摩擦によるローラーの回転トルクは微弱なため、連結軸や他の装置を動かすことはできません。

    150407watanabemasaru_torukuzouhannki写真3

    そのためトルクを増幅する仕掛けが必要です。 微分解析機で使用したトルク増幅機は、実行可能性を考えて、機械的な増幅機を採用しました。実際は2段になっていますが、その1段目を写真3に示してあります。互いに逆方向に回転する一対の黒鉛円筒に、スチールベルトを巻きけ、その間の摩擦力を利用してトルクを増幅する仕掛けですが、詳しいことは、文献を参照してください。

    第二が加算機です。この装置は、平行して廻る2本の軸の回転を加えて、第3軸に伝えます。 自動車がカーブを廻る時には、内側の車輪は小さく、外側の車輪は大きくまわることが必要ですが、古い自動車では、それに差動歯車を使っていました。それと加算機とは、まったく同じ構造です。

    150407watanabemasaru4写真4

    写真4に加算機を示します。

    次に、曲線の自動追尾装置を説明します。微分解析機には入力卓が付属しています。 ロケットの軌道計算での、空気抵抗のような、実験的に得られる不規則な曲線の入力に用います。 また、逐次近似計算の場合は、前段の計算結果を、次段の計算の際に、取込む必要があります。従来は人手により行っていましたが、誤差が出やすく、また疲れもあります。そこで、この操作を自動化したのが、写真5に示す装置です。

    150407watanabemasaru5写真5

    この装置は、墨書きした曲線の白黒の境目を光学ヘッドにより検出し、光電子増倍管により電気信号に変換し、さらに、増幅器で拡大しています。これをサーボモータに伝え、送りねじを回わすことで、光学装置を曲線に沿って動かす仕組みです。

    以上で、微分解析機に必要な追加の3装置の説明を終えます。

    生産研の微分解析機は、その後、研究所と共に六本木に移転しましたが、私の定年の際に、すべて廃棄処分になりました。その際、上に述べた3装置だけは、保存しておきました。それが、後々役立つことになろうとは、まさに神のみぞ知るという次第です。

    1. 2010年に、当時の野城所長のもとで、生産技術研究所創立60周年記念として、歴史資料アーカイブス事業がスタートしました。私も前記した生産研報告“微分解析機に関する研究”を提出いたしましたところ、採用されて、感謝状まで頂きました。それに引き續き、同報告に関する実物モデルとして、トルク増幅機などの主要3部品もご要望があり、展示に加わりました。
      2013年には、中埜所長に引き継がれ、駒場の敷地内に60年記念館(S棟)が完成して、その中にアーカイブス事業の数々の歴史資料が展示されました。資料を提供した方々が、「感謝の集い」に招待され見学することができました。同年6月1日のことです。詳しくは、生研ニュース143号8頁をご覧下さい。
    2. これと並行するように、生産技術研究所の微分解析機を、情報処理技術遺産として認定する審査が始まりました。東大工学部名誉教授で、情報処理学会の計算機の歴史委員長、和田英一先生からの依頼で、上記の報告書をお送りしましたところ、「パラパラ」とめくったら「パラメトロンの計算」があったと、先生独特の洒脱な言い回しで、関心を寄せて下さいました。一年余の審議を終え、2012年には、技術遺産として認定され、名古屋工大で催された認定式には、当時の藤田博之副所長が出席され、情報処理学会の古川会長から認定証書を授与されました。詳細は,生研ニュース135号10頁にあります。認定証書をこの記事の最後にのせました。
    3. 微分解析機の実運転の再現について、私の見聞きした範囲で、述べることにします。理科大近代科学館には、積分機3台、入力卓と出力卓が各1台ありますから、サークルテストなどの実運転が可能です。和田先生の熱意ある指導のもとで、情報研究所の橋爪宏達教授が参加されて、実際の作業が進められました。まず、ネジ一本にいたるまで、徹底的に分解して、特殊油で洗浄し、再度組立をしたと聞き、徹底ぶりに感心した次第です。

    いよいよ実運転の開始です。本記事の冒頭のニュースは、私がテレビのスイッチを入れた時、偶然にも視聴できたものでした。世の中には、霊感が実在することを感じた次第です。サークルテストを行う計算機の動きがハッキリと見えました。結果は、私どもが旧航空研で得たのと同様に、1%程度ということでしたが、何十年も動かさずにいたのですから、これは上出来と思っております。放送の方は、短時間しか見られませんでしたが、その後、橋爪教授から、サークルテストの描画をはじめ、運転のすべてを動画にして収めたDVDを送っていただき、詳細に見られたことは、感激でした。

    本稿を終えるにあたって、遠い西千葉までお通いになり、私どもの微分解析機を使って下さった、当時大学院学生の関根名誉教授や、有山(元)電通大学長、香山、杉本の諸兄ら、さらに、電気試験所で原子力研究を担当されていた山田太三郎博士配下の方々、そのほか多くの方に、感謝を申しあげます。

    (東京大学名誉教授)

    1件のコメント »
    1. 小生の学位論文をまとめるにあたり、中国電力の実系統を用いた実測試験(今では考えられないことですが・・・)の結果を理論値と突合せするのに夜遅くまで渡辺先生の微分解析機にお世話になりましたこと懐かしく思い出しております。夜遅く駅まで来ましたとき戸締りが心配になって引き返したこともありました。微分解析機の計算結果は、電気工学・電子工学彙報第8号98ページ以降に記載されています。渡辺先生ありがとうございました。今から約60年前のことです。

      コメント by 関根 泰次 — 2015年5月11日 @ 16:58

    Leave a comment

    コメント投稿後は、管理者の承認まで少しお待ち下さい。また、コメント内容によっては掲載を行わない場合もあります。