ゼミか打ち合わせか/松浦幹太
小生の専門である情報セキュリティ分野は、年々、学際的性格を強めています。学会で注目される論文のアプローチだけでなく、入門希望者の出身学部学科や卒業生の進路を見ても、その傾向は顕著です。松浦研究室の定例打ち合わせでは、まさに異なる人々が、盛んに議論を重ねています。随分以前のことですが、ある時、社会科学系出身の学生が打ち合わせで発表する際、配布資料に「松浦研ゼミ資料」と印刷していました。その日の打ち合わせは既に長時間に及んでおり、やや疲れていた質問者が研究内容はさておいて「研究と無関係な些細なコメントですが」と前置きし、資料で「打ち合わせ」のことが「ゼミ」と書かれていると指摘しました。私は「語感としては確かに打ち合わせの方が私の意図に合っているね」と簡単にフォローしただけで、すぐに研究内容の討議へと会を進行させました。私の経験では、社会科学系出身の学生は「ゼミ」という語を盛んに使うようです。単にちょっとした表現の差異と見る向きもあるかもしれませんが、先月、これが実は些細なことではないかもしれない、とあらためて思い知らされる機会がありました。
ちょうど日本で立て続けに暗号と情報セキュリティの国際会議が開催されている週でした。国際会議では、懇親会の場などでホスト国の伝統芸能を味わう機会に恵まれることが少なくありません。ホスト国の参加者にとっても、貴重な機会です。そしてその日私は、何年かぶりに、雅楽の演奏を聴きました。演奏の合間に、丁寧に雅楽の説明がなされました。その都度通訳が英語でも説明して下さったので、私は同じ説明を二度聞いて内容を確認することができました。雅楽には指揮者がいませんが、笏拍子(しゃくびょうし)などの打ち物を打って拍子を取ることによって全体がうまくまとまるのだそうです。そして普通は、一つの打ち物に皆がひたすら従うという意識ではなく、少数の打ち物を象徴としつつ皆で協調するという意識で準備するのだそうです。この仕組みは「打ち合わせ」と呼ばれ、実は現代の業務等で打ち合わせと称する会合の語源なのです、と説明が続きました。実際、語源に関する書籍などでも、細やかな意識にまでは必ずしも言及されていないものの、そのように説明されているようです。気になったので同時に調べてみますと、ゼミすなわちゼミナールの意味は、特定の教員が指導し少数の学生と討議する演習形態の講義、などと理解されることが多いようです。ニュアンスレベルですが、比較的強い直接的なリーダーシップが感じられます。
松浦研究室では、それぞれの研究発表に対する最初の質問やコメントが必ず指導教員以外から出されるようにするためのディスカッサントという仕組みを持っています。語源や定義から違いは明白だと主張すると言い過ぎかもしれませんし、本質的には実はあまり違わないのかもしれませんが、語感として「ゼミ」よりも「打ち合わせ」の方が私の考えているlaboratory meetingのあり方に近いのは間違いないようです。この次「打ち合わせ」で同様の話題が出る機会があれば、前回よりも詳しく語感に言及することになるかもしれません。
異なるバックグラウンドを持つ人の話や、その人と指導者のやり取りをただ単に聞いて「(自分にとって)新鮮だから面白い」と喜んでいるだけでは、学際的な風土を真に活かした独創的な進歩を期待することは難しいでしょう。研究室員が自由で深い討議に広い視野で能動的に参加するよう意識し、これからも研究室打ち合わせを続けていきたく思っています。常にあと一歩、自分の力で踏み込む習慣。それが研究の生産性を高める基盤であり、大学院教育の基盤でもあるような気がしてなりません。
いつも頑張っている所。ご苦労様です。7月2日(土)明治公園で原発に頼らない集会が開かれます。もちろん、参加します。歴史の節目です。よろしく。高月
コメント by 高月 正清 — 2011年6月29日 @ 21:02