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  • 「クリンルーム道」/年吉洋

    外部資金プロジェクトが2件同時に終了してしまった。世の仕事は、アタマを使うか、カラダを使うか、カネを使うか、その3種類しかない。そこで今年は有閑ビンボー研究室を決め込む覚悟で久しぶりにクリンルームに入り、アタマとカラダを使うことにした。もちろん、仕事の内容は「半導体マイクロマシニング&MEMS」である。

    ところが装置の置き場所が変わっている、お気に入りのピンセットが見あたらない、クリンウエアがクリーンじゃない、などの障害物に悩まされ、最初の2、3日は環境整備のために実験室をウロウロし、学生の邪魔になった感じである。しかも、まごまごしてウエハを取り落としたり、心の迷いがあってエッチングの終点確認に躊躇したりで、失敗が多い。それでも昔取った杵柄。だんだん装置をいじり始めると体の方が操作を思い出して、気が付くとエコノミーモードで作業を進めている。複数のプロセスを時間差でこなし、その場で比較実験の立案と遂行、うまくいった時には、ゴミが舞わないように小さくガッツポーズする。端で見ていると、たぶん、気味が悪い。

    デバイスの仕上がりが綺麗なときには、実験中の所作も綺麗なんじゃないだろうか。逆もほぼ真で、カラダが綺麗に動けたと思うときには、会心の作品ができたりする。そのような時はアタマも冴えており、先を見越して動いているので、実験中の所作も流れるように自然である。たとえば、不織布の上のウエハをピンセットでこうやって拾い上げて、左足を半歩下げて反転、ドラフトに向かって現像液にこうやって浸すと同時に、左手の腕時計の秒針を目視確認、色の変化を見つつ45秒後に取り出して優しく流水洗浄、すかさず再反転して新しい不織布の上でウエハを乾燥。この一連の作業は一平米の面積内で完結し、無駄な動きは無く、すべて理由がある。それは、舞踊か、あるいは、茶道の所作に通じるものがある。お茶も踊りも習ったことはないけど。

    いまどき、ウエハを一枚一枚手で操作するなんて、工業的にはまったく見合わない。量産には自動機械がある。かといって、カラダをつかった実験に意味が無いとは思わない。世界初の試作品は、かならず人間の手から生まれる。よく見て、考えて、慎重に作業を進めた手から、新しい価値が生まれる。クリンルームにも、一期一会がある。

    (年吉 洋:生産技術研究所マイクロメカトロニクス国際研究センター・准教授)

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