浅野キャンパス3度目の正直?/相田仁
組織再編に伴い、3月に工学部12号館に引っ越しを行った。研究室の学生のほとんどにとっては、浅野地区は未知との遭遇だったようだが、私自身にとっては学生時代も含めると3度目の勝手知ったる場所であり、低層階なのでなかなか来ないエレベータにいらつく必要もなく、快適に過ごしている。とくに7月からは工学部2号館の間で用務員さんに郵便物を運んでもらえるようになり、すっかり工学部2号館から足が遠のいた感がある。今回は私の東大における居室遍歴を紹介することにしよう。
1)東大で最初に自分の机をもらったのは卒論に配属された時で、浅野地区の工学部10号館の4階であった。ちょうど窓の下のお寺で銅の屋根を葺いているところで、朝の光が反射してやたらとまぶしかった。大学院の修士課程は同じ工学部10号館の3階に移ったが、研究室の中に大きな本棚を持った図書コーナーがあり、他の研究室からも国際会議の会議録などを借りに来ていた。
2)博士課程になって、弥生門脇の工学部13号館の3階の席に移った。何年か前まで授業料の出納窓口のあった建物だったので、(出納窓口は竜岡門近くの本部庁舎に移っていたが)たまに授業料を払おうとする人が姿を見せた。
3)大学院修了後助手に採用していただき、工学部2号館4階の研究室の所属となった。4階にあるのは所属研究室だけで、あとは屋上となっており、夏期はしょっちゅう飲み会をした。
4)専任講師になると工学部3号館2階に教員室を割り当てていただいたが、最初は図書室のすぐ近くの不整形の部屋に桂井先生と同室だった。この頃は出勤して在室表示を変えると共通秘書室の人がお茶を持ってきてくれた。2年間米国に研修に出かける際、教員室が足りないと言われて、荷物を4段のキャビネット2つくらいに詰めて部屋を明け渡した。
5)帰国後教育用計算機センターの主任となり、教育用計算機センターの4階に教員室をいただいた。当時4週5休とか4週6休といって土曜日は出勤している人が少なく、土曜日は職員の人が皆の分の昼食を作ってくれた。
6)1995年に工学部14号館が完成し、教員室、研究室共に工学部14号館6階に移転。トイレの便器に銀杏マークが入っていることなどが話題となったが、集中冷暖房のため冷暖房は全館一斉切り替えだったり、エレベータがなかなか来ないなど不便な点がいろいろあり、精密の先生が奇数日は奇数階のみ、偶数日は偶数階のみエレベータを停めることを提案されたが実行されず。
7)2003年10月、柏の基盤棟2期工事完成に伴い、基盤棟西側6階に教員室と研究室の主立った部分を移転。教員室からは柏の葉公園を一望することができ、研究室は設計時点からかなり注文をつけることができたので、使いやすい間取りだった。ただし、空調に関して、並びの教員室で冷暖房のモードが同じである必要があったり、研究室の空調が当初能力不足で、交換してもらったところ何度も壊れたり、問題点が多かった。
8)工学部新2号館の完成に伴い、2006年3月に工学部14号館にあった教員室、研究室を新2号館10階に移転。エレベータがなかなか来ないことに関しては工学部14号館以上。また、教員室が並びの小部屋と冷暖房のモードが同じである必要がある点は柏と同じで、並びの小部屋を計算機室として使っていたため、電気ヒーターで暖房をとる羽目に。
9)組織再編に伴い、2008年3月、柏基盤棟と工学部新2号館にあった教員室・研究室を工学部2号館に移転。