常識と非常識~男って何?女って何?~/峯松信明
研究という作業は、時として、常識を非常識にしてしまうことがある。人々が「当たり前」と思っていたことに対して、実はそれは単なる勘違いであることを示すことが時としてある。
最近、私が手がけている研究を通して、私の中の「男と女」の常識が崩れつつある。私の研究そのものが常識を崩している訳では無い。研究を通して知ることになった方々を通して、私の常識が崩れようとしている。
性同一性障害というのをご存知だろうか?最近はテレビや週刊誌を賑わすようになってきたので、 GID という略語でも通じるかもしれ ない。 Gender Identity Disorder である。生物学的には男、だけど心は女(あるいはその逆)、という方々である。工学研究と性同一性障害とがどう絡むのか読者も不思議に思うだろう。
ちなみに、カバちゃんが GID であるかどうかは知らない。 GID であるとの診断結果が出ていれば、当然 GID である。
生物学的女性が男性としての自己を望む場合、ホルモン投与で外見のみならず、声も男声化される。しかし、その逆はなかなか成立しない。生物学男性が女性としての自己を望んだ場合、ホルモン投与は胸がふくよかになるなどの肉体的な変化はもたらすが、実は、声はなかなか女声化しない。深夜番組で「本当の女性はどれ?」というクイズが時々あるが、声をよーく聞くと大抵分かる。女声らしさ、というのは喉(声道)の形及び、声帯の振動数によって凡そ決まって来る。この両者ともホルモンは変えてくれないようである。そこで必要となるのがボイスセラピーである。実は研究室に、性同一性障害者を対象としたボイスセラピストがいる。私もこれまで百名以上のMtF(Male to Female)の声に会って来た。訓練というのは不思議なもので、Before and Afterの声を聞かせてもらうと、「え!」と驚くものもある。男声と女声を適宜使い分けている人もいる。これは、声道の形状やら声帯振動やらを意識的に使い分けていることに相当するが、どうすれば、ここまで声質を変化させられるのだろうか、と思う方々もいる。声優の中にもこういう特技を持つ人はいるのかもしれない。工学研究としては、入力音声に対して「一般人が感じる女性らしさ」を定量的に自動推定する、ということが可能になりつつある。話者認識技術を応用して、男女というのをバイナリに考えるのではなく、デグリーで考え、定量化する技術の構築である。MtF者は、自分がどのように「聞かれているのか」を気にする方が多い。それを(知りたい方には)こっそり教えて上げよう、という技術である。
技術的にはそれほど困難なことではなく、既に実際のセラピーに導入されている。私の常識がぐらつくのは、この技術がぐらつかせているのではなく(技術的には簡単な応用でしかない)、MtF の方々と会い、彼らの言葉、表情、しぐさ、価値観、世界観に触れるにつれ、男って何、女って何、ということを時として考えさせられることがある、ということである。
当然、生物学的/遺伝学的な男女は変更することは出来ない。最先端の医学をもってしても、生物学的男が子供を宿すことは出来ない。つまり、生物学的男女は時不変であり、ある種の偶然によって運命付けられた結果である。しかし、男女というのは当然、社会学的役割、という側面も大きい。この社会的役割としての男女が時変になる時代が来るのだろうか、、、などと妄想する時さえある。今日は男として過ごそう。明日は女として過ごそう、という具合である。そういう妄想をしてしまうほど、見事に声が変わるのである。当然容姿もである。
変な話しだが、昔、マジンガーZというアニメに阿修羅男爵という悪役がいた。顔の半分が女性で半分が男性という摩訶不思議なキャラクターであった。阿修羅男爵も声を二つ持っていた。女側がテレビに移ると女声、男側がテレビに移ると男声だったように記憶している。35年前の私には不思議であった阿修羅男爵であるが、今の私には、不思議な存在ではなくなっている。
生物学的機能としての男女は時不変だが、社会学的機能としての男女は、時変かもしれない。家では、父、夫、会社では課長、週末は野球チームの監督、、。人は、その場その場に応じて、自らの役割/機能を自由自在に変化させている。人が自在に操れる機能の中に「男」、「女」という項目が入る日は結構近いのかもしれない。
ボイスセラピストを訪れる方々の中に、社会的役割としての男女を時変化したい、という方は殆どいない。やはり「女性として社会生活を送りたい」と願う方々ばかりである。しかし「男」「女」という機能(仮面)を、時と場合によって付け替えることは、恐らく可能である。そうすることの社会的・経済的利点がもし見えて来たら、、、。どうだろうか。
「高度に社会化されたサル」が我々ヒトである。社会的定義が、生物学的定義よりも優先されても不思議ではない。もう一度書いてみる。
生物学的機能としての男女は時不変だが、社会学的機能としての男女は、時変かもしれない。
貴方はどう考えるだろうか?
峯松先生も、私のトレーニングを3ヶ月受ければ、十分、女になれますよ」
私はボイスセラピストに会う度に、こう言われているのである。このコラムには私の現在の顔写真が掲載されている。この写真が長髪になったり、唇の赤みが増す日は近いのだろうか?
今回は、「男と女」の常識/非常識を書いてみた。機会があれば「動物と人間」の常識/非常識を書いてみようと思う。乞うご期待、、、してくれる読者がいれば良いのだが(^_^);。
(峯松 信明:新領域創成科学研究科基盤情報学専攻・准教授)