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  • 今年は/齋藤嘉博@クラス1955

      新年おめでとうございます。
    昨年はコロナに明けコロナに暮れた一年でした。それが終わるでもなく、さらにオミクロンなんていう新顔。今年はなんとか自由に旅の出来るようになればと願いながら。

      小生今年94回目のお正月を迎えました。随分長いこと生きてきたものです。1928年、私が生まれたこの年には林芙美子が放浪記を発表し、アメリカではディズニーのスティームボートウィリーでミッキーマウスが誕生した歳でした。そして振り返るとこの間に世界は人間社会からロボット社会へとその変容がひどいことに驚くのです。
      小学校時代、ソロバンは必須でした。大正から昭和へ、五つ珠から四つ珠に代わった時。暗算、九九、高校では対数を学んで対数表と計算尺の操作。コンピューターが話題になるのが大学時代。 正月1.jpg
      初期には水銀柱の記憶装置が使われて山下先生、元岡先生の研究室ではパラメトロンをお使いだったのでしょうか。私に初めての計算機はトランジスターの使用でしたが記憶容量は32キロビット。プログラムは数字言語で16が足し算、18が掛け算だったように覚えています。スミソニアン博物館には1800本の真空管を使った初期の電子計算機がいまでも飾られているでしょう。その後MIT留学時に使ったのはFORTLANで書いたIBM7090。大容量の記憶にはテープが用いられていました。大型とはいえ、たかが9999の線形計画法の計算に1時間もかかったのでした。懐かしい思い出です。
      電話は交換手のジャック差し込みによる手動からストロージャー。ダイアルからプッシュホン、そして自動車電話、モバイルへと進歩しました。子供のころ電話のあるお家は大変少なく、呼び出し電話は落語のテーマにもなったくらいです。
      3mほどのアンテナを張って聴いた鉱石ラジオ。そして二球、並四、スーパーと進化。名古屋で開局した中部日本放送のラジオを東京にいた我が家、自作の受信機で聴いた感激はいまだにわすれません。
      テレビは6インチのブラウン管を使っての自作時代からハイビジョン、そして壁に掛けられる液晶の大画面でまだ足りずに、4K8Kへと。我が家にはいまだに放送衛星初期の80cmφのアンテナが残っています。 正月2.jpg

      そう。そうした経緯を経て計算機と電話とテレビが一体になったウェアラブルのスマホを今小学生が持っているのですから。と言う小生、スマホが使えなくてお蔵に入ったまま。いや大変な世界になったものですがこのブログに顔をだして頂ける諸兄。皆さん同じ経験なのですネ。そして今の若い方達にはもうけっして経験のできない過去。

      しかし進歩の裏に公害、大気汚染、洪水竜巻の災害、海洋汚染、そして多くの犯罪とマイナスの面がつきまとっていました。あっちへ行け、こっちへ曲がれと指示するカーナビのままハンドルを動かす習性はコンピューターの奴隷になって、ネットが盛んになればなるだけサイバー攻撃の楽しさが増え、SNSでの弊害、事故や不自然は大きくなるばかり。

      さてこれからの90年、いや50年は??

      空には自動車が戦後のハエのように沢山飛び交って交通渋滞。テレビはすべてヴァーチャル番組。でも地震の予知も火山噴火の予知もできていない!ましてあの世のことは皆目。いやうまくいけば冥途との交信も可能になるかもしれませんネ。そうすると「この世よりあの世の方がイイね、宇宙旅行より楽しそう」と多くの人があの世への旅を試みる。地球上には人間がいなくなって。

      今年、寅年の初夢はこんなところでしょうか。先年京都の千本閻魔堂で頂いて私の机の上にある閻魔様のお人形がニコニコと笑っておられます。

      諸兄、今年もコロナ回避でお元気にすごされますように。

    3 Comments »
    1.  懐かしいIBM7090の話が出てきましたが、僕もあれにはだいぶお世話になりました。しかし、その前に、当時、東海村の原研に導入されたばかりのIBM650という、もっとずっと小さい計算機を使っていました。そして、さらに、その前は、飯田橋にあった有隣電気(?)の電磁石を使った国産(多分、富士通製)のディジタル計算機のお世話になっていました。電話交換機に使われていたような、電磁石のon-ofで2進法を実行するタイプでした。当時、僕は、のちに学位論文のもとになる新たな着想を得て、計算に取り掛かっていたのですが、5行5列の行列の固有値問題で、ただし、各要素がベッセル関数になっているのを解く計算でしたが、答えを得るまでに1時間以上もかかっていたと思います。プログラムを書く言語も全く違ったものだったように記憶していますが、そのあとで、IBMの機械でFORTRANを使うことになり、その桁外れの威力に驚きました。全く、今では想像もできない時代でした。

      コメント by 武田充司 — 2022年1月1日 @ 21:46

    2. 実に久し振りにのぞいてみたら、つい書き込む気になりました。ご無沙汰している間に大きな(?)病気と入院・手術を何回か経験しましたが、どうやら生き延びて順調ならこの秋に90歳を迎えます。
      高橋編集長の頑張りによって、このブログもすごく長生きできたことを祝したいと思います。
      なお、小生のメアドは変更しています。

      コメント by 大曲恒雄 — 2022年4月6日 @ 18:01

    3. コメント by 大曲恒雄 — 2022年4月6日 @ 18:12

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