モロッコ紀行/齋藤嘉博@クラス1955
記>級会消息 (2021年度, class1955, 消息)
京都の路地(ロージ)も狭い道ですが多くは通り抜けが出来ます。ここでは行き止まり、引き返しがあたりまえ。そしてロージは狭くても両側が木造建築ですのでなんとなく解放感がありますが、ここでは両側とも石の壁。全く異世界に迷い込んだ感じです。3時間の散歩を終えてとあるレストランで郷土料理、尖り帽子の土鍋に焚かれたミートボールのダジンの昼食。これはおいしかった。工芸品を集めた博物館、砂漠関連の博物館を訪ね、城壁の外にあるマジョレル庭園を散歩して宿に帰りました。
翌日は一泊二日の砂漠ツアーに参加。マラケシュからワルザザートへ。砂漠の道と思っていましたらオト、アトラス、4,000m級を含むというアトラス山脈越えの山道。しかしちゃんとした舗装道路で、これならレンタカーでも走れたか!と。左に豪快な山脈、右の下にはダデスの谷と景色の良い道、カスバ街道を走っているのですが、いつの間にかぐっすりと寝ていました。
砂漠の街、エルズーガに到着したのは夕方。ホテルに入ると早速キャメルトレッキング。ラクダの背に乗って砂漠の中を散歩。いやサハラ砂漠って大きいですネ。鳥取の砂丘はまア公園の砂場、アメリカのホワイトサンズでは真っ白な砂が一面に広がって感激しましたが、サハラはやはりスケールが全く違います。どこまでも続く茶色の砂。やがて夕陽が砂山の向こうに沈んでいきます。二人のナガーイ影を作ってくれたモニュメントバレーの夕陽も感激でしたが、一桁いや二桁もスケールが違います。そして陽出る国の日本でみる二見が浦の景色を思い出しながら陽沈む国の砂漠の夕陽は誠に感無量。ま二度とこんな時間を過ごすことはないでしょう。翌朝この砂漠の朝を散歩しながらもう一度この砂漠の雄大さを実感したのでした。
マラケシュからフェズへ飛んで後半はモロッコの歴史の旅。フェズは新市街のホテルに泊まってこの日の午後はホテル周辺の散歩。新市街は欧州の街とほぼ同じ。しっかりした道にトラムが走り高級店舗が並んでいます。翌日タクシーでお目当ての旧市街メディナへ。まずフェズの西北、小高い山の上にあるマリーン朝の墓地へ。ここから一望の城壁に囲まれたフェズ(旧市街)は、なだらかな丘陵の上に波打って、この中にごちゃごちゃした迷路街があるとは思えない様子でした。マラケシュの迷路街で経験を積みましたので今回はガイドなしに歩いてみようと一人で緑の美しいタイルで装飾された入口のブー・ジュルード門をくぐりました。世界遺産にもなっている1,200年前につくられた街。1,200年まえといえば平安京の時代。そちらは朱雀大路が真ん中を貫いたすっきりした街づくりなのにとこのごちゃごちゃに呆れながら両側の店を覗きました。一番奥のサファリーン広場まで歩いて、その脇にあるカラウィンモスクを外から眺めて引き返しました。
先の入り口の門に近いダール・バトハ博物館はこの国の歴史を示す、コーランの写本や装飾品、生活品などが並べられて想いを1200年の昔に走らすことが出来ますが、庭はこの建物の持ち主が天国の楽園をイメージして作ったものとか。これも頼道の平等院の庭と比べて宗教が違うと楽園のイメージも全く違うネとの感を深くしたものです。一日ぶらぶらとこの迷路を歩いて無事ホテルに帰着しました。
2021年7月1日 記>級会消息
素晴らしい旅をされました様子、感嘆の至りで拝見しました。モロッコまで行く人は今も少ないでしょう。
それと映画の話で、偶然でしょうが今日(2021/7/1)NHK-BSでカサブランカを放映していました。あの映画の有名シーン(例えばPlay it,Samとかle Marseilles)はYou Tubeに登場しますからボガートのカッコ良さやバーグマンの美貌は今も見る事が出来ます。
もっと古いFilmで「地の果てを行く」はジュリアン デビュブイエ監督ジャン ギャバン主演で、当時支配していたスペインの外人部隊に身を投じたギャバンが最後に死ぬ激戦地は険しい山と荒地、斎藤さんが砂漠へ向かう途中の山越えもこんな景色だったかと、勝手に想像して拝見しました。
コメント by 小林 凱 — 2021年7月1日 @ 16:48
沢山の映画を見ておられますネ。丁度「カサブランカ」をご覧になれたのは誠に偶然でした。近いうちにモンテカルロ記の後日譚を書きましょう。
コメント by サイトウ — 2021年7月3日 @ 09:00