シャフハウゼンからライン滝へ/大橋康隆@クラス1955
記>級会消息 (2020年度, class1955, 消息)
1998年7月15日朝ニュールンベルク駅を9時28分出発し、南西に進みシュトットガルトで乗換え、更に南々西に進んで、シャフハウゼン駅(Schaffhausen)に14時9分に到着した。
途中シュトットガルト駅で乗り換えたが、思い出深い都市である。今回は通過したが、1962年秋には、3泊した。一日は前日久し振りにお会いしたR.U 教授とシュトットガルト工科大学で、もう一日はS社を訪問。残りの一日は列車で北東にあるバックナンク(Backnang)の T社を訪れた。 | |
地図ドイツ南部 |
今回バックナンク駅を通ったので懐かしくてプラットホームの写真を撮影した。S社を訪れた時に案内して頂いたC博士が、息子はスエーデンのE社に勤めていますと話されていた。後年、ジュネーブの国際会議に出席したら、スエーデン代表団に息子さんが参加していた。「父が自慢していた浮世絵のクリスマス・カードはあなたから受け取っていたのだ。」と驚いていた。1975年5月に京都国際会議場で国際会議が開催された時は、息子さんと仲間を休日に苔寺などに案内した。
スイス領だが、ドイツとの国境に近いシャフハウゼンを訪れたのは、ジュネーブに11年間駐在した新井兄の推奨があったからである。駅から東へ進むと広場に銅像が現れた。(写真1)更に進むと(写真2)の様な家並が現れホテルに到着した。リュックを預けて身軽になり、ホテルの近くにある騎士の家(Haus zum Ritter)を撮影した。(写真3)壁一面にフラスコ画が描かれており、左側には、旧市街の建物に典型的な出窓がある。シャフハウゼンがドイツ風中世都市である面目躍如と言える。騎士の家から南に進むとライン川の近くにIWCシャフハウゼン博物館(IWC Schaffhausen Museum)があるが、今回は割愛した。この博物館では、シャフハウゼンが高級時計の製作で繁栄した工業都市としての一面を知ることができる。
写真4ムノート城 | 写真5旧市街 | 写真6城よりライン川 |
騎士の家から更に東に進み丘の上に あるムノート城(Schloss Munot)を訪れた。(写真4)葡萄畑の丘にある城からは美しい旧市街(写真5)が見える。左方に聳える時計がある塔は、聖ヨハン教会(St.Johann Kirche)で、宿泊ホテルはその近くにある。城から90度方角を変えて見下ろすと、ライン川(写真6)が見える。城には薔薇の庭園があり、囲みの中の草園には鹿が飼育されていた。ライン川の橋を渡ると、城の全景が現れる。(写真7)川岸には、ライン下りの観光船が停泊していた。地図を良く眺めるとライン川はここからスイス領を西に進み、バーゼルからフランスとドイツの国境を北上し、それからドイツ領を北上している。7月8日に訪れたドナウエッシンゲンに「ドナウの泉」があったが、シャフハウゼンからはそれ程遠くないので驚いた。
$00A0 城の麓からバスに乗り、南西に進みラウフェン城(Schloss Laufen)を訪れた。ここから遊覧船に乗り、ライン滝(Rheinfall)を見物した。(写真8)の右上にラウフェン城が見える。ヨーロッパ最大の水量を誇る滝に相応しく壮観であった。滝の中央にある二つの岩にも水飛沫を浴びながら登ったが遊覧船が接近するには大変な技量が必要だと思った。遊覧船は、ラウフェン城の対岸にも立ち寄ってくれ、ライン滝の全景を背景に記念写真が撮影できる様に配慮されている。(写真9)はラウフェン城の真下の観覧席で撮影した写真である。下から眺める滝は迫力満点であった。薄暗くなってホテルに帰着したが、ゲーテが愛したライン滝の威力を満喫できたと思う。
2020年4月1日 記>級会消息