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  • マーストリヒトからアムステルダムへ/大橋康隆@クラス1955

      2004年8月25日朝、マーストリヒト(Maastricht)のホテルを出発し、市を南北に流れるマース川に架かる聖セルファース橋(St.Servaasbrug)を渡って旧市街を訪れた。(写真1)

      マース川に沿って北に進み、左折して西に進むと市庁舎(Stadhaus)のあるマルクト広場(Markt)が現れる。(写真2)更に南西に進むとフライトホフ広場(Vrijthof)に到着する。(写真3)の左側が聖ヤンス教会(St. Janskerk)、右側が聖セルファース教会(St. Servaasbasiliek)である。ここから南東に進み地獄の門(Herpoort)を訪れた。昔ペスト患者はこの門を通って隔離施設に運ばれた歴史がある。
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    地図オランダ東部
      再びマース川に沿って北に進み、聖母教会(Onze$00A0Lieve Vrouwebasiliek)を訪れ、旧市街を一周して再びセルファースト橋を渡ってホテルに帰着した。マーストリヒトは、「ヨーロッパの十字路」と言われ、交通の要所であるが、オランダの街とは思えぬ新旧合わせた不思議な雰囲気がある。旧市街の観光が、意外に効率よく終了したので、アムステルダムに直行する予定を変更した。 
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    写真1マース川岸の家並
    写真2市庁舎
    写真3フライトホフ広場
      マーストリヒト駅を10時58分に出発して北に進み、アイントホーヘン(Eindhoven)駅に12時に到着した。急いで昼食を済ましてバスに乗り、フィリップス研究所を訪れた。1962年秋に、米国留学の帰路に訪問したことがある。当時アナログ時代の花形デバイスであった$6CAA波器の開発設計技術者として、世界的に活躍していたNECのH.W博士(S28入社)の紹介状で訪問したので、デジタルのデルタ変調方式などの研究を見学させてもらった。親切な守衛さんは、午後からは一般見学が出来ますよと言われたが、日程が厳しいので、立派な研究所の建物と、入口に掲示されていた構内地図を、記念に撮影して立ち去ることにした。再びバスに乗ると、車窓から緑の樹々に囲まれた瀟洒な住宅が点在しており、昔案内して下さった技術者の方々も、この様な閑静な住宅に住んでおられたのかなと感慨深かった。
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    写真4ユトレヒト市街
    写真5運河の両岸
    写真6ユトレヒト市庁舎
      アイントホーヘン駅を14時35分に出発して北北西に進み、ユトレヒト駅(Utrecht)に15時29分に到着した。駅は市街(写真4)の西にあり、東に進んで中心部を南北に流れる運河アウデグラハト(Oudegracht)を訪れた。地面から5m位下に運河があり、水面に面してカフェが並んでいる。(写真5)先ず市庁舎(Stadhuis)を訪れ、南下してドム広場(Domplein)を撮影した。広場の西にはドム塔(Domtoren)、東にはドム教会(Domkerk)、南にはユトレヒト大学(Universiteit Utrecht)がある。(写真7)の左にある銅像は、ユトレヒト同盟に立ち会ったヤン・ファン・ナッサウ(Jan van Nassau)である。ユトレヒト駅を18時16分に出発して北北西に進み、アムステルダム駅に18時46分に到着した。
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    写真7ユトレヒト大学 写真8国立美術館 写真9アムステルダム市街
      8月26日午前中は国立美術館(Rijksmuseum)を訪れた。(写真8)レンブラントの「夜警」は、何度観ても素晴らしい。午後はアムステルダム市街をゆっくり散策した。(写真9)夕方スキポール空港を20時16分に出発して、成田空港には8月27日14時30分に到着した。今回のベネルクス3ケ国の旅行は、途中で当初の計画を変更してあたふたしたが、結果としては豊かな異国情緒を満喫して、欧州の歴史の厚みを体験できたと思う。
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