近頃思うこと(その39)/沢辺栄一@クラス1955
記>級会消息 (2018年度, class1955, 消息)
最近、囲碁の史上最年少のプロになる仲邑菫さんがマスコミを賑わせた。2年前には将棋の世界で藤井総太君が話題になったが、ゲーム、スポーツ等の勝負の世界では若い人間が活躍している。
勝負の世界は勝ち、負けの判定が明確なので強い勝負師、強い選手が直ぐに判るので、将来有望な人間であるかどうかの判定が容易である。若い人材の輩出は幼少の時からの専門的な教育、育成、環境および遺伝によるところが多いようだ。仲邑菫さんの場合お父さんは将棋九段、お母さんは将棋のインストラクターで3歳から将棋の特訓を親から受けていた。野球のイチローも幼少時から親による打撃の特訓を、最近引退した吉田沙保里さんも3歳から五輪代表候補の父親からレスリングの指導を、また、全米、全豪テニスを制覇した大坂なおみさんは3歳からテニスの訓練を、卓球の福原愛さんも幼少時から特訓を受けていた。幼児教育の典型的なものとしては歌舞伎俳優の育成が在る。伝統を守るために生まれた時から歌舞伎俳優にするため厳しく躾けられるようである。
国としてスポーツ、ゲームが大事ではないとは言わないが、国の経済、産業を発展させる科学技術の分野に天才、秀才が多く育成されることが望ましい。幼児教育の専門家でもあるソニーの創始者井深氏も幼児の教育を重視していた。吸収力の最も大きい時期である幼児時代の教育育成が大変大事であることは良く知られているところである。大学や教育研究所の教育専門研究者はどのような研究をしているのであろうか。専門外なので教育学会の論文にどのような論文があるのか知らないが、幼児教育の論文も多々あることと思う。ニュートン、ファラデイ、アインシュタインや湯川秀樹などのノーベル賞受賞者級の、また、エディソン、マルコーニやベル等の優れた発明家の幼少時の生活体験、育成方法等を調査し、共通点等を抽出し、科学技術に秀でた人間の教育育成方法を纏める教育研究者は居ないのであろうか。教育研究の専門家には科学技術いわゆる理科系の素質のある児童の選択法、その児童の頭脳を年少時から育成する方法を明らかにしてもらいたいものである。
戦後の学校教育は自由、平等のうち平等主義が優先し、日教組の影響もあったこともあり、出来ない児童のレベルに合わせられ、優秀な児童の能力を自由に伸ばすことが出来ないと報じられていた。昭和10年頃、私の13歳年上の従兄弟は非常に学業成績がよく、中学1年から飛び級で3年になったことが我が家に語り継がれている。当時、優秀な人間の輩出が強く望まれていた時代であったのかもしれないが、そのような制度が存在していた。故郷に錦を飾ることが望まれ、成功、出世が普通に推奨されていた時代であったと思われる。
日本では戦後横並びの教育が普通であり、父兄に安心感を与えているが、私がアメリカに滞在していた時に、田舎の小学校であったが息子が算数に強かったことで、他の児童とは別に1年上の問題集を与えられて学習をしていた。人間はそれぞれ全く違う個性、能力を持っているのであるから、それぞれの個性能力を伸ばしていく教育を行なうことが普通であると皆が認識するようになれば、能力優先の差別教育だと問題にする父兄も居なくなると思うし、それを更に幼児時代から行なうことが出来れば、素晴らしい能力を発揮する人が多く輩出するのではないかと思っている。仲邑菫さんのニュースに関連して、国の繁栄のために、教育学の専門家が科学技術に適した才能を持っている児童を幼年時代に見出し育成して行く教育方法を創出して欲しいと思っているところである。
2019年2月16日 記>級会消息
勝負の世界では、判定基準が明確なので、若い人や女性の進出が目覚ましく喜ばしいことです。また私は囲碁が好きなので、最近は尿閉のため外出できず残念ですが、パソコンの囲碁ソフトが強くなったお陰で恩恵を受けています。幼児教育の重要性や、個性の伸ばし方の重要性については沢辺兄の意見に全く同感です。更に追加したいことは、全ての若い人達に公平に機会が与えられることです。最近の経済格差が教育格差に繋がり、社会が固定化されている現状が、日本の発展を著しく阻害していると痛感しています。育英奨学金の返還が困難になっている報道を見ると胸が痛みます。私は高校、大学と育英奨学金のお陰で技術者になれましたが、返還には苦労しました。課長になった時は大ショックでした。主任までは労働組合員で、残業代のお陰で生活していましたが、収入が半減したからです。部長になってから漸く返済完了しました。会社勤務6年後、1年間の米国大学院留学は、返還不要の奨学金のお陰で、デジタル技術を習得できました。
今朝、日経新聞に「日本の通信23位に転落」という記事を見てショックを受けました。光通信の初期に従事した技術者として、5G の投資が後手になるとは嘆かわしい限りです。昔の新聞に、日本の閣僚には理系がほとんどいないではないかと中国政府の談話が掲載されていたことを思い出します。
コメント by 大橋康隆 — 2019年2月16日 @ 19:31