アオスタと周辺の旅/大橋康隆@クラス1955
記>級会消息 (2018年度, class1955, 消息)
2001年8月17日午前11時15分ミラノ駅を列車で出発し、西進して1時間半後にトリノ駅に到着した。40分待って、13時25分にアオスタ行きの列車に乗り込んだ。
アオスタは7つ目の終着駅で、2時間後には到着すると安心していた。多分一つ手前のシャティヨン(Chatillon)駅でアナウンスがあり、周囲の乗客が全員列車を降り始めた。イタリア語が分からないので、何が起きたのか分からず、急いでリュックを背負い列車を降りた。 |
地図アオスタ周辺
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駅前には、数台のバスが待ち構えており、落ちこぼれないように乗り込んだ。バスの中で、漸く洪水のため列車が不通となり、バスでアオスタに向かうことが判った。降車した駅の看板を撮影する余裕など全くなかった。アオスタに到着すると、既に薄暗くなっていたが、石造りの遺跡などを撮影してからホテルに向かった。(写真1)(写真2)(写真3)
8月18日朝バスでクールマユールに向かった。途中、両側には山々が聳え、時々山中に教会が現れた。(写真4)クルマユールに到着すると、早速モンテ・ビアンコ(Monte Bianco:モン・ブラン)が眺められるケーブルカーの出発駅ポンタル・タントレープ(Ponta l’d’Entreves:1,300m)に急いだ。残念なことに天候が悪く、ケーブルカーは運転中止中であった。せめて中間乗換駅(2,200m)まででもと思ったが、それも駄目であった。昔、一度だけフランスのエギーユ・デュ・ミディからエルブロンネ展望台(3,466m)まで4人乗りのゴンドラで来たことがあるが、今から考えると幸運に恵まれたと思う。止む無く出発駅で待機していたら、突然雲間が一部開いてモンテ・ビアンコ(4,810m)を撮影することが出来た。(写真5)これで満足して、周囲の風景を撮影してから、バスでアオスタに帰着した。
8月19日朝バスでシャティヨン経由でチェルヴィニア(Cervinia)に向かった。(写真7)チェルヴィニアでは、名前の通りモンテ・チェルヴィーノ(Monte Cervino:マッターホルン)をイタリア側から眺めることが出来る
。(写真8)(写真9)スイス側から見たマッターホルンとは異なる威容に驚かされた。チェルヴィニアには、夏スキーに来る人達が多いが、木造ホテルや民宿がある静かな村落である。チェルヴィニアから、ゴンドラリフトでモンテ・チェルヴィーノ方面に行くこともできる。久し振りにのんびりとした時間を堪能することができた。夕方、再びバスに乗りアオスタに帰着した。
。(写真8)(写真9)スイス側から見たマッターホルンとは異なる威容に驚かされた。チェルヴィニアには、夏スキーに来る人達が多いが、木造ホテルや民宿がある静かな村落である。チェルヴィニアから、ゴンドラリフトでモンテ・チェルヴィーノ方面に行くこともできる。久し振りにのんびりとした時間を堪能することができた。夕方、再びバスに乗りアオスタに帰着した。
8月20日午前中と午後前半にアオスタ市街を見物した。アオスタ駅を15時40分に出発し、2時間後にトリノ駅に到着して、駅に近いホテルに宿泊した。
2018年5月1日 記>級会消息
昔、フランス語に堪能な会社の先輩のお供で、シャモニーからツェルマットに行きましたが、シャモニーではモンブランを、ツェルマットではマッターホルンを眺めることができました。そのとき、ツェルマットではフランス語が通じなくて、大慌てしました。大橋さんのルートは丁度その反対側の、南側から見るモンブランとマッターホルンですね。山の呼び方も変わって、これがまたヨーロッパの旅の楽しさでしょうか。
コメント by 武田充司 — 2018年5月1日 @ 15:42
貴兄の旅はいつも楽しそうでいいですネ。小生2004年にシャモニーからモンブラントンネルを通ってクールマイユに行きました。リフトを使ってコル・シェクルイまで上がりましたが、モンブランとモンテ・ビアンコの山容が全く違うのに驚いたものです。山頂は小さな池に放牧牛が遊ぶ楽しい高原でした。
コメント by サイトウ — 2018年5月1日 @ 20:29
貴兄のこの記事を見て、私もモンブランとマッターホルンを見に行ったことを思い出しました、いつだったかナと思い、このブログの2009年6月22日の記事「シャモニーの思い出」を読み返しました。2001年6月15日のことでした。貴兄のこの記事より約2か月前のことです。私はフランス側から見たのです。それにしても約17年も前のことを今もって詳細に記事に出来るとはと、驚いています。
コメント by 高橋郁雄 — 2018年5月2日 @ 17:40
武田兄、斉藤兄、高橋兄からコメントを頂き有難うございます。クラスメートの中で、少なくとも3名の諸兄と昔の思い出を共有できたことを喜んでいます。車椅子にも乗れず、外出が出来ない日々を過ごしていると、クラスブログの存在は私にとって非常に貴重な生き甲斐になってきました。ブログのお陰で、メールや電話を頂いた諸兄にも改めて感謝しています。
高橋兄は、昔のことを詳細に記事に出来ると驚いておられますが、これには理由があります。定年後暫くは体力的に余裕があり、海外旅行は個人旅行でした。A4用紙2枚に、旅行計画と宿泊ホテルを記載して持参していました。 旅行計画には、航空機、列車、バス、船の発着日時、宿泊ホテルには、日時、住所、TEL、FAX番号が記載されています。当時は、ホテルの予約はFAXで行いました。この資料と写真、現地で入手した地図をつき合わせると、昔の記憶が蘇ってきます。
コメント by 大橋康隆 — 2018年5月4日 @ 14:44