近況報告(尿閉)/大橋康隆@クラス1955
記>級会消息 (2017年度, class1955, 消息)
人生の転機はある日突然訪れるものである。戦中戦後にかけて振幅の多い人生を歩んで来たが、幸い健康には恵まれてきた。 しかし1988年1月21日に第一の転機を迎えた。(クラスブログ2011-03-01「自惚れてはいけない」)
今回第二の転機を2017年10月26日に迎えたので、報告することにした。昨年10月22日~25日まで、岡山県倉敷市に帰郷し、お寺を訪問後墓参、親戚訪問、友人と岡山駅で会食して25日新横浜駅に到着。溝の口直通バスを20分間、屋根と円柱だけで壁のないバス停でビル風を受けて冷えたのが、第一の失敗。翌朝、体温が少し高いので、風邪薬を飲んだのが第二の失敗。これまで10年間、風邪の早期に飲むと非常に良く効いて、副作用はなかった。今回注意書きを改めて見ると、尿の出が悪くなることがあると書いてあるが、尿閉になるとは書いてなかった。
しかし、夕方になると尿が出なくなり、血圧も上がり耐え難く救急車を依頼した。夜間勤務の泌尿器科医は見つからず、幸いにも、I病院の内科医に尿タンク付き導尿管を挿入してもらい、命拾いした。翌日、定期診療を受けていた東京のJ病院に行くよう指示されたが、担当医の診療日でなく、薬だけ処方された。改めて10月30日に担当医の診療を受けたが、導尿管を抜去された。「再び尿閉がおきたら、近くの病院に救急車で行き、それから当病院に来なさい。命に別状はない。」と言われた。帰宅後、2回排尿があったが、夕食後再び尿閉となり、救急車を依頼した。やはり夜間勤務の泌尿器科医は見つからず、救急隊員も血圧が211まで上昇したので焦っていた。幸い月曜日だけ夜間に泌尿器科医がいるT病院に運ばれ、導尿管を挿入してもらった。丁寧に処置してもらったが、導尿管のU字型ゴムの部分がプラスチックで硬いため、少しでも足を動かすと出血するので閉口した。翌週、11月6日にJ病院に行く予定であったが、トランプ大統領の来日で、首都高もその下の国道も交通規制となり、朝11時までにJ病院に到着できないとタクシーに断られて断念し、次回の予約も出来なくなった。
12月4日PSA採血を兼ねて担当医を受診。再び導尿管抜去。帰宅後出血多量のため、I病院泌尿器科でエコー検査、導尿管装着後、膀胱洗浄。J病院へ報告書を書いてもらった。12月11日J病院で受診。PSAの結果は6.7で問題なし。導尿管を抜去されたが、冬休みが来るので、新しい導尿管を再挿入してもらった。この状況を繰り返せば、手術を考慮する可能性を言われた。2018年1月9日J病院で受診。導尿管抜去。長距離通院が高齢のため体力的に負担になるので、川崎市のK病院への紹介状を依頼。午後帰宅後に尿閉となり、夕方救急車でI病院に搬送され、導尿管を装着。翌日家内がJ病院泌尿器科の受付で紹介状を入手した。
1月12日K病院泌尿器科で新患受付(金曜日のみ)。担当医から受診。手術の選択肢はない。死ぬまで導尿管を使用し、4週間ごとに交換しないといけない。手術は高齢で、バイアスピリンを飲んでおり、麻酔に問題がある。前立腺の大きさを測定するため、2月2日に予約を入れ、その時、導尿管を抜去して、新導尿管を挿入することにした。 2月2日K病院でエコー検査後、前立腺が130mL(通常20mL)と判明して驚いた。1997年にJ病院を訪れた時は、通常の3倍であったが、1年間薬物治療で1.5倍に縮小した。ホルモン療法は副作用があるので中止し、以後ハルナール(多くの友人が飲んでいる)のみ処方され、前立腺癌のPSA検査のみ行い、前立腺の大きさを一度も測定していなかった。人間ドックでもエコー検査は肝臓と腎臓のみ行い、前立腺は検査しない。PSA検査はオプションである。
K病院の女性看護師さんは、受診後、処置室に家内を呼び入れ、導尿管の扱い方を色々実演し、丁寧に指導してくれた。昼間はDIBキャップ(マグネット付き開閉弁)の根元を足の腿にテープで接着する。尿意がなくても、2~3時間ごとに弁を開けて、放尿し、アルミ箔で密閉された消毒用脱脂綿で消毒すること。3時間を超えると、DIBキャップが壊れたり、抜けたりする。テープは皮膚を傷めない特注品を教えてもらった。在庫は微妙なので出来ないそうだ。これまで柔らかなテープを使っていたが、尿タンクの直径1cmのプラスチック管を固定するため、肌がミミズ腫れし、破れることもあったので大いに助かった。夜はDIBキャップを消毒しながら、尿タンクに交換する。夜中に数回も起きるのでは、睡眠不足で参ってしまう。尿道口から直径5mmのU字型ゴム管がぶら下がっているので、ここを固定していないと、抜けたら大変なことになる。腕が3本必要だが、家内が買い物に時間が掛かる時は、自分だけで処置する必要がある。トイレの便座に座れないので、居間で箱を台にして、尿道口の近くのゴム管をテープで仮接着し、2本の手でDIBキャップを足の腿にテープで接着する方法を考案した。因みに、排便は便座を上げて中腰で行い、膀胱に圧力が掛からないように、朝食前後と昼食後の3回に分けている。医療器具は、すべて入院患者を前提にしているので、介護には独自の工夫が必要である。特注品のテープでも、皮膚は痛んでくるので、再度テープを半分の幅に切って細くして、#型に張り付けると力が分散されて、皮膚を傷めないことを発見した。病院にタクシーで行く時は、U字型低反発クッションの上に座っている。
前立腺癌の全摘手術は、最近では75才以上では行わず、放射線治療やホルモン療法が行われており、多くの友達の症例を知っているが、前立腺肥大で尿閉になった例は、2つだけである。一つは、日本高速通信で勤務中、年配の社員が都内で外出中に尿閉となり、交番に転げ込み、救急車で泌尿器科に搬送され救われた話。もう一つは、家内の父親が、85才で尿閉となり、前立腺手術を受けたが、退院後間もなく心臓麻痺で亡くなった。80才以上では、90%が前立腺肥大と言われているが、どの程度の大きさで尿閉になるのかは聞いたことがない。多分、救急車で搬送中や、自宅で我慢している間に血圧が上がり、脳出血等で命を落とすか、無事に導尿管を挿入してもらっても、感染症で亡くなる人が多く、統計では前立腺肥大では命に別状はないと考えられているようだ。PSAの他、前立腺の大きさを検査してもらうことを推奨したい。最近は、エコーの精度が向上している。
2018年3月1日 記>級会消息
大橋様、詳細な近況報告有難うございました。大変であることがよく判りました。無理をしない生活をして下さい。良くなることを祈っています。
コメント by 高橋郁雄 — 2018年3月1日 @ 11:22
ご自分の「緊急事態」について、客観的・冷静にレポートされているのに驚いた。
小生が「胆管閉塞・胆嚢摘出」手術を受けた時は「自分がどういう状況で、医者が何をしているのか」など、さっぱり分からなかった。今でも大雑把にしか把握していない。
大橋兄位の対応能力があれば、困難な状況でも、きっと克服してくれると思っている。
コメント by 寺山進 — 2018年3月1日 @ 16:29
つらい日々とお察しします。私も閉便の経験があり、医者に飛び込んだ経験がありますが。どうぞお大事に。
コメント by サイトウ — 2018年3月1日 @ 22:06
何とも痛々しい話ですが、小生も尿閉や前立腺手術を体験しているので“先輩”として気の付いたことを書いておきます。もし何か参考になれば幸甚です。まず、Adviceとして
①近所、または通いやすい所に“かかりつけ医”を見つけること。
本文中のK病院がそれに相当するかどうかよく判りませんが・・。
また、ここで手術の選択肢が無いと言われた由、その根拠は納得できるものですか?
②もし、多少とも納得できない点があれば別の医者を見つけて
“Second Opinion”を求めるべきです。なお、医者探しにはインターネットの検索が結構役に立ちます。地図も付いていているし“口コミ情報”なども得られます。
③前立腺肥大の手術は、小生の経験では予想していたより簡単でした(事前準備は必要ですが1週間程度の入院で済みます)。
以下は小生の体験記です。
・前から頻尿に悩んでいたので、2006/春から東戸塚駅近くのMクリニックを受診し、院長の指示に従っていろいろの薬を試してみた(本文中に出てくるハルナールを含めて)が、結局大した効果は得られなかった。
・2014/9突発性難聴で入院。その際の治療の影響かどうかよく判らないが、退院直前から頻尿が激しくなった(ひどい時は15分くらいでトイレ通いをした)。
・退院して2日後にMクリニックに行く。超音波検査の結果尿閉との診断で直ぐに導尿をしてもらう。更に、前立腺肥大の可能性大とのことで手術を勧められ、K病院(相鉄いずみ野線弥生台駅近く)のN医師を紹介された。数日後、N医師を訪ねた所初期診断の後バルーン(*)を挿入された。
(*)正式には導尿カテーテルというらしい。尿道に挿入した後、膀胱側の“バルーン”を膨らませて抜けないようにする。“出口”にはクリップが付いている。
・何回かの検査の後、2014/12/1から1週間ほど入院して前立腺肥大の手術を受けた。退院後2~3日は血尿が出たがその後回復、以後は大変順調である。ただし、頻尿の方は相変わらず。
コメント by 大曲 恒雄 — 2018年3月2日 @ 10:12
早速諸兄のコメントを頂き有難うございました。大曲兄の貴重な体験とアドバイスに感謝しています。昨年末は混乱して、多くの年賀状に欠礼しました。日本高速通信勤務時代に親しくして頂いた10才位年長の方の年賀状に、次のような添え書きがあり、力付けられました。「前立腺癌が骨盤に転移しましたが、不思議に放射線が効いて痛みが去り、昔の健脚を取り戻しました。これからはオリンピックまでとか百寿までなどと欲張らず、癌と相談しながら一歩一歩余生を送ることにします。」
コメント by 大橋康隆 — 2018年3月3日 @ 14:29