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  • 60年会の報告/武田充司@クラス1955

     昭和30年(1955年)春に当時の電気工学科を卒業した我々にとって今年は卒業60周年に当たるので、これまで5年毎に開いていた同級会の「60年会」を11月5日(木曜)に品川プリンスホテルにて開催した。

     卒業当時は50人であった同級生も今では31人になってしまったが、幸い全員と連絡がとれた。幹事団としては少しでも多くの人が参加してくれることを願っていたが、さすがに80歳を越えたこの年齢になると健康上の理由で参加できない人が12人となり、参加者は、新井、太田、大野、大橋、小林、小松、斎藤、沢辺、杉沼、高橋、武田、寺山、中林、新田、林、守末、山崎、吉沢、吉田の19名と、守末夫人の合計20名であった。 60年会(63%).jpg
     当日は穏やかな秋晴れという好天に恵まれ、38階の眺めのよい会場には定刻の12時少し前までに参加予定者全員が顔を揃えた。早速、全員揃って記念写真を撮り、太田宏次君の音頭で乾杯して会がはじまった。今回は初めて恩師の先生方の参加がなく、我々だけのくつろいだ会となった。しばらく和食をとりながら互いに旧交をあたためたあと、参加者全員が順番に短いスピーチを始めた。各人が語る思い思いの話を、食事をとりながら興味深く聴いている間に、自分の番が回ってきて、そして、全員の話が終った頃にはもう午後2時をだいぶ過ぎていた。
     そのあと、先ず、1955denkiのブログの編集長として当初からずっと長い間苦労されてきた大曲、高橋両編集長への感謝状贈呈が行われ、高橋編集長からこれまでのご苦労話など何でも思うことを語って頂いたが、最後に、我々のブログは「投稿が途絶えない限り」続けたいという力強い言葉を頂いた。なお、大曲編集長は残念ながら欠席のため、この日の午前中にお宅に届くように感謝状を発送しておいた。その甲斐あって、この時すでに大曲編集長が受け取られたこと、そして、我々の配慮に感謝する旨の伝言が高橋編集長から会場に伝えられた。
     次に、林義昭君から電気工学科の学生時代に病気療養中の級友を支援するために皆でラジオ製作のアルバイトなどして資金稼ぎをしたときの苦労話と貴重な記録資料が披露され、そんなこともあったなあと、今では考えられないような当時の苦しかった時代を想い起した。
     そして、最後に、小松凱君が、最近買い換えたという多機能の自家用の機材を持ち込んで「カラオケを楽しむ様々なノウハウ」の紹介と解説をしてくれた。日頃、「パソコン教室」や「カラオケを楽しむ会」などで指導者として地域の活動をされている実践的経験に基づく話はユニークで説得力のあるものだった。また、小松君の持ち込んでくれたカラオケ用の機材に含まれている2本のワイアレス・マイクとスピーカー・セットが終始会場で使用されたおかげで、皆の話が会場の隅々まで通り大変助かった。優れ物のAV機材を提供して裏方として終始気を配ってくれた小松君に感謝!
     ここで暫く休憩として、各自が席を離れて自由に振舞ってもらう時間を30分ほど設けた。会場には、林義昭君が集めて用意してくれたこれまでの古い資料(注1)が並べられ、皆の興味を惹き、昔話に花が咲いた。また、長い間席に座っていたので、だいぶ疲れてストレスも溜まっていたから、思い思いに久ぶりに再会した親しい旧友との個人的な話も弾んで、あっという間に30分が過ぎてしまった。
     閉会予定の15時30分まであと15分となったところで、今後の相談をするために、幹事はやむなく全員に再び着席のお願いをした。そして、今回の幹事団の経験から(注2)、次の65年会を想定して新たな幹事団を選んで引継ぎをすることは現実的ではないと考え、我々幹事団としては、このような会は今回をもって終りとし、今後は「横浜30会」のような形態で、その時々に集まれる人たちによる年1~2回程度の任意的な会合を持つことで代替したらどうかという提案をし、皆の賛同を得た。
     したがって、今回をもって5年に1度のこうした会合は打ち切りとし、精算をして残金が出れば東大電気系同窓会に寄付して(注3)口座を閉じることになった。
     なお、60年会の報告とこうした決定について、今回欠席された諸兄も含め、31名全員に今月中に会計報告とともに文書で伝達する。また、物故された諸兄のご遺族にも、個別の事情に応じた何らかの対応をとることを幹事団として確認した。
     (注1)閲覧に供された資料は、昭和29年7月発行のクラス雑誌「雑草」(林君提供)、「10年会記念アルバム」(南雲幹事:小林君提供)、「40年会資料」(小林幹事)、「45年会資料」(林幹事)、「50年会資料」(小林幹事)、「52年会資料」(大曲幹事)、「55年会資料」(大曲幹事)
     (注2)「60年会」の幹事団は5年前の「55年会」終了時に、大野、小松、宅間、武田(代表)、納所の5名が指名されてスタートしたが、数年前から宅間幹事が体調を崩し活動が無理となったため、林君に入ってもらった。ところが、昨年(2014年)秋、納所幹事(会計担当)が急逝されたため、さらに新井君にお願いして入ってもらって5人体制を維持した。しかし、今年6月、幹事代表の武田が、突然、腸閉塞で手術、1ヶ月の入院を余儀なくされたため、60年会の準備で最も忙しい大切な時期を4人の幹事で乗り切ることになった。こうした苦い経験から、65年会の幹事団を指名して後を任せることは現実的ではないと判断した。
     (注3)これは昨年秋突然亡くなった我々の会計幹事だった納所君の発案。
     最後になって申し訳ないのですが、JR品川駅から会場までの短い道のりが案外分かりにくいので、当日は、大橋、沢辺、寺山、山崎、吉田の諸君にお願いして、案内係として、小松君特製の団扇を目印として手に持って要所に立っていただいた。お蔭様で一人の遅刻者もなく定刻に会を始めることができた。これらの皆さんに対して幹事団として改めて謝意を表します。
    2015年11月15日
    60年会幹事:新井彰、大野栄一、小松凱、武田充司、
    林義昭 (文責:武田)
    3 Comments »
    1. 武田兄へ
      まずは60年会が盛大に催されたこと、また貴兄が幹事長の大役を無事果たされたことをお慶び申し上げます。
      実は、貴兄に60年会の幹事長をお願いしようと思ったキッカケは、52年会の時に皆さんにお願いした近況報告でした。
      貴兄の近況報告は大変ユニークでただ1行だけ、「元気です」というものでした。ちょうど次の幹事長を誰にお願いしようかと考え始めた時期だったので「最適解が一挙に見つかった」という感じがしたものです。
      その後の説得工作(?)は、必ずしもスムースに進んだわけではありませんが、最終的には快く引き受けてもらいました。
      世の中は皮肉なもので、健康上の問題はないものと思っていた貴兄が本番を前にして大病を患い入院されたとのこと。林兄から聞いたときはビックリしましたが、際どくセーフだったようで本当に良かったと思います。しかし、その間の気苦労は大変なものだったとお察しします。
      まだ体調が元通りというわけではないと思いますので、ゆっくり恢復につとめて下さい。

      コメント by 大曲 恒雄 — 2015年11月17日 @ 11:30

    2. 大曲さんのコメント、有難う御座います。噂によると、大変きびしい大曲さんということで、そのあとを引き受けて、大丈夫かと思ったりしましたが、まあ、僕なりのやり方でやることにして、いろいろ不備な点、いらいらする点もあったことと思いますが、こうして、とにかく、無事に終了しました。皆さんの寛容と協力のたまものです。心から感謝しています。

      コメント by 武田充司 — 2015年11月17日 @ 21:02

    3. 今回は本当に楽しい機会でした。当日の好天も幸いし色んな意味でこの会に相応しいものになったと、武田幹事長始め幹事の皆さんに感謝です。また5年毎に開催してきた会をきちんと終結されたのも同感です。まだもう少し出来るとの思いもあるかも知れませんが、元気なうちに惜福の余韻を残すのも良い事でしょう。
       なおレポートにある横浜30会ですが、これは大曲兄のご尽力でスタートし続いています。次回は私が幹事で特に変わった事はありませんが、今度の話を踏まえてご案内しようと思って居ます。次回は2016/3/30(水)正午 横浜駅前の中華レストランで開催予定です。

      コメント by 小林 凱 — 2015年11月20日 @ 10:13

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