60年後?/斎藤嘉博@クラス1955
記>級会消息 (2015年度, class1955, 消息)
秋の日和に大変見晴らしのよい部屋での60年会。60年前の11月の品川は私に一つの想い出のある場所なのです。
在学時代胸の病を得て休学、落第を繰り返してやっと皆様と一緒に卒業をさせていただき、その後しばらく阪本先生の研究室で研究生としてお世話になっておりました。その11月、先生の研究テーマであった医用電子装置の一環で心電図解析装置を作るためにテープレコーダーが必要になり、阪本先生、藤崎先生とご一緒にこのビルのすぐ下にあったソニーの工場を訪れたのです。当時はソニーではなく“東京通信工業”で社屋もバラック。技術的な話が終わったところで井深社長は「これが新しいポータブルラジオです。使ってみてください」と発売されたばかりの携帯型トランジスターラジオTR-55を阪本先生にプレゼントされました。小型でスマート、音もはっきりしたすばらしい製品でした。そして私たちにも小さい1石のポケットラジオを下さったように覚えています。トランジスターはベル研のショックレーたちが1948年に発明したことはご存じのとおり。しかし高価なものでしたから専ら軍用に使われて民政機器への利用はこのラジオが初めてだったのです。真空管から固体化への幕開けといってもいいと思います。
ラジオ放送がはじまったのが1925年、私たちが産まれるすぐ前のことです。私が幼稚園の頃でしょうか、庭にあった二本の青桐の間にワイヤを高く張った大きなアンテナを使って鉱石ラジオでレシーバーからのかすかな声を聴いたものでした。その後3球ラジオ、並4、スーパー、そしてテレビ。テレビもブラウン管から液晶、ディジタル、4k、さらにモバイル、スマホのワンセグとすごい変化。こんな面だけをみても随分長い間、そして劇的な変化の中を生きてきたものだという実感がいたします。
この春NHKのある会合に樋爪さんというフレッシュウーマンが参加されました。そのお嬢さんは苗村先生、阪本先生のお孫さんになる苗村先生の研究室を卒業された修士なんです。阪本先生のお孫さんの先生に指導を受けた学生が社会へ!これにも60年が遠い遠い昔だったのだという驚きと実感を持ちました。そしてこの方たちが卒業60年会を迎える頃の社会は??
つい最近お台場の未来科学館に遊びました。宇宙、深海にかかわる様々な展示の中で丁度asimo 、ロボット人形の実演をするところでした。定刻になるとasimo 君が楽屋から出てきて、手足を伸ばす体操をしたり、小走りに走ってみたり。解説のボランティアの方(チェコの方だそうですが日本語が上手!)が、こうした運動にはバランスのとり方が大変難しいのですと言っておられました。私が「でんぐり返しは出来る?」と尋ねたら「できません」。「三回転ジャンプは?」「いやとても……」
樋爪さんが卒業60年会を迎える頃には「そんなことは朝飯前さ」とasimo 君は明瞭な声でしゃべるでしょう。もちろん7回転連続ジャンプだって。これまでの人間の能力をはるかに超える体力と知能を持って街を闊歩しているに違いありません。では人間は?もうすっかり動物としての本能を失ってなんでもasimo 君頼り。セックスだって興味はなし、子供は冷凍された精子と卵子を使って工場で量産されていることでしょう。ルーシーがけらけらと笑っているでしょうネ。
こんなことを考えながら日々を過ごしております。
注:この稿は過日の60年会での発言にちょっと加筆したものです。
注:この稿は過日の60年会での発言にちょっと加筆したものです。
2015年11月16日 記>級会消息
斎藤さん、有難う御座います。60年会の席では時間も限られていたので、殆どの方が、充分に話ができず、言い足りなかったとか、短くはしょって説明したために意を尽くせなかったという思いを持たれたのではないでしょうか。そういう思いをされた皆さんに、このブログを利用して、あのときの話をもう少し詳しく、あるいは、その続きの話を書いて頂けるとよいと思います。
コメント by 武田充司 — 2015年11月16日 @ 22:32
60年…は長いんだなーと改めて感じました。また、これから60年先の未来を想像しているさいとうさん…この様にいろいろなことに思いを巡らせているとぼけを知らないで過ごせるのではないでしょうか。
健康に注意してまだまだ元気に過ごしましょう。
コメント by 高橋郁雄 — 2015年11月17日 @ 12:11