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  • 退職記念講演:はじめに/大橋康隆@クラス1955

     終活の第一歩として大切な写真や文章を整理していたら、退職記念講演「光陰矢の如し」の冊子が出てきた。

     1997年6月18日に57枚のスライドを使って約2時間半行った講演を、録音して37頁の冊子に纏めて記念に頂いた。忙しい中で約200名のNEC技術者が集まり、後程出席者には配布された。更に、講演の中で登場した諸先輩や同輩にも配布されたので、500冊印刷され通し番号をつけて取扱い注意のハンコが押されている。
     これは秘密事項ではなく、偉い先輩方の肩書がリアルタイムで語られているので失礼にならぬための配慮である。
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     内容はいささか不謹慎な自慢話と失敗談であるが、こっそり回し読みして行間を読むと大変役に立ちますと後輩に言われた。もう十分時効は過ぎているし、懐かしい写真もあるので、恥を忍んで以下に紹介することにした。
    はじめに
     私は昭和30年、日本電気(株)に入社してアナログ通信、デジタル通信、光通信の開発に従事した。昭和59年から、日本高速通信(株)で通信事業に従事、平成2年、日本ケーブルメディア・エンジニアリング(株)に移り、平成4年、NECケーブルメディア(株)に社名変更となり、ケーブルテレビシステムの計画、設計、建設に従事して現在に至った。
     顧みると時代の激しい変化に翻弄されながら、あっと言う間に時間が過ぎ去った気がする。多くの先輩、同僚の薫陶を受けながら、その瞬間を、精一杯生きてきたつもりである。人間は生れた瞬間から不公平を容認しなければならないが、自分の努力で是正していくしかない。それが自然の摂理であり、人間の存在感である。カミュの小説「ペスト」に登場する医師リューのように、我々はうんざりしながらもやらなければならない。そうすれば時間という偉大な力が解決に導いてくれるのである。
     この度、会社生活を顧みて、個々の事実は記憶していても、時間軸が不明確になっているのに驚いた。正確な記録を留めているノートや資料は、職場を変わる度に消失し、手帳には忙しい時の記録はあまりない。意外に役立ったのはパスポートや海外出張時のレシート、更に文献であった。 最後には同僚の皆さんに記録の再生にご協力いただいた。初めて考古学の面白さを体験したが、限られた時間では調査不十分な点も多いと思う。諸先輩、同僚との会話は強く印象に残っており、非礼をも顧みず再現させて戴いた。その時の状況を最も端的に表現されているからである。
     この記録はあくまでも私的なものであり、決して公式な歴史ではない。私自身が、それぞれの時点でどの様に感じ、どの様に行動したかの記録である。
    目次
    1.アナログ通信(日本電気)
     1.1 所長面接 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4
     1.2 独創的論文 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4
     1.3 マニュアルを1枚に ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5
     1.4 インピーダンス整合の概念 ・・・・・・・・・・・・・・・・・6
     1.5 徹夜の元凶(漏話と雑音) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・6
     1.6 時間が解決してくれる ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7
     1.7 純国産技術(U型開発) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8
     1.8 トランジスタ化搬供装置(B型開発) ・・・・・・・・・・8
     1.9 伝送理論研究会 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9
     1.10 フルブライト留学試験 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9
     1.11 米国の大学は厳しい ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10
     1.12 時間の観念 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・11
    2.デジタル通信(日本電気)
     2.1 高天原が俗化した(非直線符号器) ・・・・・・・・・12
     2.2 最初の静止衛星(ヒューズ社出張) ・・・・・・・・・12
     2.3 畑の違い(DEX-T1) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・13
     2.4 30年前(技術政策会議) ・・・・・・・・・・・・・・・・・14
     2.5 13頁のプロポーザル(MAT-1) ・・・・・・・・・・14
     2.6 7時以降残業禁止(中容量PCM) ・・・・・・・・・・15
     2.7 SPADEの父 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・16
     2.8 何でも一番(中央研究所) ・・・・・・・・・・・・・・・・・17
     2.9 10年に一度(DATRAN) ・・・・・・・・・・・・・・・・・18
     2.10 CCITT(ISDNの発祥) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・19
     2.11 紆余曲折(同軸PCM) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・20
    3.光通信(日本電気)
     3.1 光はデバイスから ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・21
     3.2 エスキモーに氷(ビスタ・フロリダ電話会社) ・・・21
     3.3 初めて国内空港に(九州電力) ・・・・・・・・・・・・・23
     3.4 空恐ろしい(アルゼンチン) ・・・・・・・・・・・・・・・・24
     3.5 DR.KAOとの出会い ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・26
     3.6 光ケーブル通信開発本部の設置 ・・・・・・・・・・・26
     3.7 光デバイスの外販と大月工場 ・・・・・・・・・・・・・・28
    4.第一種電気通信事業(日本高速通信)
     4.1 電話番からスタート ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・29
     4.2 第一種電気通信事業へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・29
     4.3 パソコンも持っていないのか ・・・・・・・・・・・・・・・29
     4.4 電話番号は資産(0070) ・・・・・・・・・・・・・・・・・30
     4.5 飯の種(料金コンピュータ) ・・・・・・・・・・・・・・・・32
     4.6 資本の論理(延伸問題) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・33
     4.7 日本移動通信(IDO) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・34
     4.8 自惚れてはいけない ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・35
    5.ケーブルテレビ(NECケーブルメディア)
     5.1 システム技術(新分配) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・36
     5.2 パソコンの活用(OA委員会) ・・・・・・・・・・・・・・36
     5.3 4冊の本(ケーブルテレビ電話) ・・・・・・・・・・・・37
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