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  • シェクスピア雑感/斎藤嘉博@クラス1955

     1月号に掲載された大橋兄の“リア王”を拝見してコメントを書き、数少ないキャンセルの席を待ちました。

     運よく最終日の切符が手に入り、出演者の熱がそのまま伝わってくる大変よい舞台を観ることができて、雨模様の夜の四谷を満足した気持ちで帰ることができました。
    シェクスピアホテル(44%).jpg
    シェクスピアホテル
     シェクスピアといえばさまざまなことが思い出されます。ピーターラビットの家を対岸に見るウィンダミアを昼に出発してM6高速を走り、途中ロチェスター近郊にあるウェッジウッドのショールームに寄り、ストラトフォード・アポンエイボンに着いたのはもう7時ごろ、夏の長い陽も落ちかけている時でした。シェクスピアホテルに入ってその夜はオテロと札がかかった部屋で一晩を過ごし、翌朝シェクスピアの生家へ。彼が青年期までを過ごしたところです。ここで戯曲が執筆されたわけではないので、モーツアルトやゲーテの家のように書斎があるわけでもなく、調度品なども後に展示されたもので、文豪がここで少年期を過ごしたのかアという気を感じる程度。しかし近くには彼のお母さんの実家などもあり、辺りを歩いてイギリスの田舎町に共通の、どこが中心かわからないようながらんとした街の様子とエイボン川の流れの雰囲気に浸ることが出来たのでした。もう15年も前のこと。
     シェクスピアの戯曲はいくつかのオペラに使われています。なかでもヴェルディ作曲のオテロとマクベスはピカいちと言ってもいいでしょう。しっかりした台本に支えられて歌もオケもすばらしく私の大好きな曲です。マクベスの「女の股から生まれたものはマクベスを倒せない」「バーナムの森が進撃して来ないかぎり安泰だ」とのたまう魔女の予言が全くその通りになる筋書は、この世が魔女に操られているさまをぞくぞくと感じさせるような気がするのです。同じヴェルディ―のファルスタッフも戯曲ウィンザーの陽気な女房たちを下敷きにしたもの。
     シェクスピアの戯曲の中でも一番有名なハムレットはスカルラッティやトマなどがオペラにしていますが上演も少なく、この世界ではいまいち精彩がありません。しかしデンマークのクロンボ―城を訪ねられた方は多いでしょう。あのお城の暗い廊下を歩くと“毒殺されたのだぞ”とのたまう先王の亡霊が見えるような感じに襲われます。その割には城の外は明るいバルト海に面した海岸線。幅わずか7kmのエーレスンド海峡を挟んでスウェーデンのヘルシンボリが見えます。私が訪ねた時には丁度この海峡でヨットレースが行われていて色とりどりの帆が舞っていました。ただシェクスピアはこのお城に歩をはこんだことはないそうです。
     もう一つ印象に残っているのは“夏の夜の夢”。ザルツブルグのプペット劇場でこれを観て、操り人形の素晴らしい動きに感心しました。しかし「夢」の思い出はずっと昔にさかのぼります。まだ終戦後間もないころ、たしか帝劇での宝塚歌劇団の舞台。花組の越路吹雪が全盛のころでした。真夏の夜の夢は雪組の公演。春日野八千代のオベロンだったと思いますが、私はパックを演じたかわいいえくぼの乙羽信子に魅せられて、それ以来晩年の連続テレビ小説“おしん”にいたるまでカジさん(乙羽信子の愛称)のファンになりました。
     さて件のリヤ王ですが。以前はこの戯曲、どうしてこんなに複雑で難しいのだろうと思っていました。冒頭からコーディリアの率直な意向と、心にもない世辞を口に出す姉娘たちへの遺産の分配。そして傷心のリア王が荒野の徘徊をするシーン。最後にコーディリアの死を迎え、悲しみにみちて王も死んでいくという筋は明快ですが、これにグロスター伯爵とその二人の息子の話しが絡んで、大変分かりにくくなっているように思えたのです。しかし今回もう一度本を読み直し芝居を観て、なるほどその複雑さ、わかりにくさがこの世のややこしい人間関係を万華鏡のように映しだして、芝居を面白くまた奥深いものにしているのだとようやくわかってきました。舞台でのリヤ王は80才という設定。これを観る私たちも80才。大橋兄の稿に「80才を過ぎた身にはタイムリー」とありましたが、まったく同感で、80になってようやくその中身が少し理解できるようになって来たのかと感じました。
     でも、どうして何年も育てた三人の娘の本当の心が王には分からないのか、そんな状況で王としての役割が勤まったのか? 荒野の徘徊と合わせるとやはり王も認知症に近くなっていのかもしれませんネ。そんなことを考えながら図書館の棚を見ていましたら、「シェクスピアに学ぶ老いの知恵」というタイトルの本が目に入りました。著者は今回の劇の翻訳にあたられ、白水社版のシェクスピア全集の訳者であり、そして我々と同年代、ほぼ80才の小田島先生。本にはシェクスピアの戯曲に書かれた50ほどの名セリフをとりあげてそれに評論、解釈をされています。当然ハムレットからの引用が一番多いのですが二番目がリア王から。
      リア これが見えるか?見ろ、この顔を、この唇を、見ろ、これをみろ!
      エドガー お気を確かに、陛下、陛下!      
     王の臨終でのこの台詞に、小田島は、コーディリアの心を読み取れなかった自分を責め苛む悔恨の言葉とも聞こえると著しています。とすれば王はまだ認知症にはなっていなかった?
     身を寄せた長女ゴネリルのつれない仕打ちに
     
      リア  誰でもいい、教えてくれ、わしは誰だ?
      道化師 リアの影法師だい
     王冠を譲ってしまえば実体を失った影法師さという常識的な解釈の裏に、王冠をかぶっていたときがリアの影法師で王冠を失ったときのリアこそが実態のリアだという裏の解釈も成立すると書かれています。さらに
      リア 人間衣装を剥ぎ取ればあわれな二本足の動物にすぎぬ
     嵐の吹きすさぶ荒野でエドガーに言ったこの言葉は、王が自分に言った台詞、自己認識からうまれた言葉であろうとのべて書かれていますが、この二つのセリフ、いずれも私には「色即是空」と聞こえるのでした。
    写真説明 シェクスピアホテル シェクスピアの生家も同じような外観です
    1件のコメント »
    1. 私の投稿を読まれて「リア王」を観劇され、丁寧な解説をしていただき一層理解が深まりました。
      ストラットフォードアポンエイボンを訪れられたそうですが、私にとっては大変懐かしい思い出の場所です。ハーバード大学留学後、夏休みの間、研究助手として音声符号器、復号器を設計、製作して大学院学生にデモを行いました。そのおかげで1962年の秋に欧州旅行をして帰国しました。最初にロンドン大学を訪れ、休日に観光バスでオクスフォード大学を見学してからストラットフォードアポンエイボンに行きました。そこで「真夏の夜の夢」を観劇し、シェクスピア夫人の生家を見学しました。しかし、NECでは一言多くてよく叱られていた私もこの話は絶対に喋りませんでした。何故なら、関本忠弘(元社長、会長)先輩が、米国COMSAT研究所出向後の帰路に奥様とストラットフォードアポンエイボンで「テンペスト」を観劇したことを大変自慢されていたからです。何でも一番が好きな先輩より先に「真夏の夜の夢」を観劇したとは言えませんでした。実は、今日最後のNEC社友会に出席して懐かしい先輩後輩と最後の別れをして、過去のことは時効になったと実感しました。

      コメント by 大橋康隆 — 2015年2月16日 @ 19:07

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