• 最近の記事

  • Multi-Language

  • Dementia/斎藤嘉博@クラス1955

     Dementia という単語をご存じでしょうか。昔勉強した「でる単」には入っていません。辞書には老人性痴ほう症とあります。

     つまり現代用語での認知症。7月にNHKで“認知症の治療と予防”という放送がありました(写真はこの番組のタイトル画面)。65才以上の高齢者の四分の 一、ほぼ800万人が認知症だというのです。 DSCN2312(30%).jpg
     まあごく初期のものまでを含めた数字のようですが、それにしても少しオーバーな表現のような気がします。人口のなかで高齢者の割合が増えているのですから、認知症の方が増えるのは当たり前と言えば当たり前。時恰も9月21日は世界アルツハイマーデー。そこでこのところテレビにも雑誌、書籍にも認知症関連の記事が賑わっています。
     私の友人にも何人か認知症という方がおられます。それが昔は非常に活発に仕事もクラスの世話もされたという方たちですので本当に心が痛みます。私の母も認知症でした。1978年、もう30年以上も昔の話です。私が父の家の離れに住んでいたころでした。折々夕方に「よっちゃん雨戸の鍵がかからないのよ」と泣き声でやってきたのを想い出します。やがて物忘れがひどく、失便があったりと次第にエスカレート。
     1972年に有吉佐和子さんが「恍惚の人」という小説を書かれて、その題名が今の認知症という言葉の役割を担っていました。この小説は出版翌年に森繁久弥、高峰秀子のコンビで映画化されて一層世の中にアピールされることになったのは諸兄のご記憶にあることと思います。 DSCN2315(30%).jpg
     有吉さんは身内には認知症の方がおられなかったということですが、老人の徘徊や失禁の様子をリアルに描かれて、これからはこうした方が増える世の中になりますよと警鐘を鳴らされたのでした。当時私は認知症についてはこの小説を通して以外に知識がありませんでしたので、今ほど世間の常識が進んでいたら、もう少し母に対してよい対応が出来たのであろうと悔やんでいます。
     件の番組では海馬が侵されて小さくなることが認知症の原因であるとして、フランスで研究されたユマニチュードと名づけた治療法を紹介していました。その回復、あるいは進行を遅らせるためには見つめる話しかける触れる寝たきりにしない、の四点が大切というもの。海馬が小さくなるという事は人間で言えば例のルーシーの頃の頭脳にもどったということで子供をあやす様子を考えればいい。そんなことにいまさらフランス人を招聘しなくてもと思うのですが。日本では体を接触させる挨拶はあまりありません。握手も少なく、ましてや女性にハグなどしようものならセクハラ!と言われかねない社会です。
     件の番組はさらに、認知症は生活習慣病であって、糖尿病などの予防とおなじように運動をする、減塩、禁煙が大切と上げています。これも認知症に限らず健康のためにいつも言われていることで目新しいことではありません。血液の泥化を防ぐシロスタゾールという脳梗塞予防薬が認知症に有効であると発見されたことは一筋の光明ではあるでしょう。しかし人間の体はすべて血流で保っているもので、医学の基本は血流の円滑化であると300年以上も前に中国から伝わった鍼灸診療はその基本を弁えたもの。運動も身体の接触も、禁煙もすべて体内の上水、下水に当たる血流を正常にするためのものですから、これも当たり前のことのように思うのです。
     とにかくなんでもいいから能動的に活動をすることだと思います。旅、季節の花を探しての歩き、虫の音や花火の映像取材、そして楽器の演奏、このブログ欄への投稿など、諸兄のされていることは間違いなく全身の血流を活発にし、認知症の予防につながる活動だと思います。ところが認知症はそうしたことをするのが面倒くさくなった、なにもやりたくなくなったといった倦怠感から始まるようです。高齢による体力の低下ということも一因でしょうが、ある健康雑誌に、こうした倦怠感は一種の更年期障害、その治療にはホルモンが有効とありました。私たちのトシでホルモン薬なんてかえって毒になるでしょうが、友人との活発な会話、とくに異性との楽しい会話の時間を持つなどは良い効果があるようです。この発想を広げると認知症の予防には先端医療でもない、新薬でもない、人間は動物の一端だという古典的な医療にまだまだよい芽が潜んでいるように思うのです。長寿が社会的に負担にならないようにしなくては。テレビの話題にはなりにくい地味な予防の研究をもっともっとすすめてほしいと思うのです。
    2 Comments »
    1.  確かにこのブログの編集と、花の取材のお蔭で、認知症になるのが遅くなっているかも?最近、日中ぼけっとしていて、これから何をしようかと考えていることが以前よりも多くなっています。大曲兄がこのブログの終活について記事を書きましたが、何らかの形でこのブログは長く続けたいと思っています。

      コメント by 高橋郁雄 — 2014年10月5日 @ 18:00

    2. 何時ながらですが私もウーンと唸って齋藤さんのブログを拝見しました。全く身につまされる話です。
       ところで題名の「Dementia」ですがこの単語は知りませんでした。一方同じ語源を持つと思われる言葉がイタリア語にあって、「Dimenticare」は忘れる、失念するを意味する動詞です。ただこの言葉には病気や障害などの色合いは薄くて英語で言えば単純に「Forget」です。古代ローマ人が持ち込んだラテン語が今でも沢山の英語に含まれて居ますが、ここではどの様になって居たかは知りません。一方上記の2者は非常に近い概念を持って居る言葉の様です。 
       さて本題の認知症対策ですが、体と同じく生活習慣病とは見方を変えれば怖い話で、ぼやぼやしていると体力低下だけで収まらず恍惚の人になるのかと我が身を振り返って居る処です。しかし効果の期待できる取組例には電気科の諸兄の活動が幾つもあって、皆さん良い事をやって居るなと思う中で齋藤さんご自身の活動も大したもの、このBlogの一文でもその作成過程は脳の活動に随分寄与したのではと思って居ます。

      コメント by 小林 凱 — 2014年10月9日 @ 17:28

    Leave a comment

    コメント投稿後は、管理者の承認まで少しお待ち下さい。また、コメント内容によっては掲載を行わない場合もあります。