アルバニアの旅/大橋康隆@クラス1955
記>級会消息 (2014年度, class1955, 消息)
7月3日マケドニアのオフリドのホテルで朝食後、バスに乗ってアルバニアのベラートに向かった。
暫くして国境を越えると、山岳の所々にコンクリート製のトーチカが現れた。その一か所でバスが停車して見学した。(写真1)アルバニアは、1944年に共産党臨時政府を樹立したが、1948年にはユーゴスラビアを脱退し断交して、ソ連の援助を受けた。1961年にソ連を批判して断交し、中国の援助を受けた。しかし中国が文化大革命後、開放路線になり、1976年に援助停止。以後鎖国政策をとり、多数のトーチカを設置して、自主防衛に努めた。その結果、現在でも使用しないトーチカが数多く残存している。
バスに4時間乗って、ようやく「千の窓」を持つ街、世界遺産ベラートに到着した。観光客が多くて、ベラート城は混雑しているので予定を変更し、先ず「千の窓」が林立するオムス川沿いのゴリツァ地区を見物した。(写真2) 文字通り「千の窓」は壮観である。モスクも「千の窓」に囲まれると存在感が希薄になってしまう。(写真3) オスム川に架かる橋の上からは四方に素晴らしい建物と山が広がっていた。「千の窓」を堪能してから、ベラート城に登ったが、ここからの眺めも壮観であった。(写真4)城内にはいくつかの教会があり、その中の生神女就寝教会が、現在はオヌフリ・イコン博物館として公開されている。ベラート市を観光後、バスに乗って2時間30分で、アルバニアの首都ティラナのホテルに到着した。
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$00A0写真1
トーチカ
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千の窓
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モスク
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$00A0写真4
ベラート城より
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国立歴史博物館
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時計塔とモスク
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7月4日朝、ホテルからバスでティラナの中心地スカンデルベグ広場に来た。先ず目に入るのは、国立歴史博物館である。建物の正面にある大きなモザイクが印象的。(写真5)各時代の衣装で、武器を持ったアルバニア人が描かれている。市内観光後、この博物館に入場して、アルバニアの複雑な歴史を辿った。広場からは30mの時計塔とモスク(ジャミーア・エトヘム・ベウト)が見える。(写真6)近くにはオペラ劇場があり、広場の中心にアルバニアの英雄スカンデルベグの像が立っている。(写真7)この広場から南下して国立美術館、国際文化センターを眺めながら、マザー・テレサ広場に到着した。南側にティラナ大学、東側に考古学博物館がある。複雑な歴史に翻弄された国の首都とは、とても思えない変貌振りである。再び、スカンデルベグ広場に帰り、国立歴史博物館に入場した。古代、中世、民族復興期、独立、第2次世界大戦、共産主義時代と年代順に整然と展示してあるが、短時間では十分消化できず残念であった。強く印象に残ったのは、暗黒時代の独房が再現されて展示されていたことだった。その凄惨さは見るに堪えなかった。我々は太平洋戦争の戦中、戦後の悲惨さを明確に記憶している最後の年代であり、体験の真実を正確に書き残しておくべきだと痛感した。
ティラナ市内観光後、バスで1時間少々北上して、英雄スカンデルベグが死守したクルヤ城を訪れたが、現在は博物館になっている。(写真8)ここで若いカップルの結婚式が行われており、我々も写真を撮影させてもらった。クルヤ城から市街を見下ろすと、急ピッチで復興が進んでいる状況が良く分かる。(写真9)この町のレストランで昼食をしていると、隣のホールで先程のカップルの披露宴が盛大に行われていた。そのうちに、親戚の方が我々の所にワインを持って現れ、自分のカメラで一緒に写真を撮って欲しいと言われた。過酷な時代を過ごした方々とはとても思えないが、漸く訪れた幸せに一同拍手をした。クルヤ観光後、バスに4時間乗り北上して国境を越え、モンテネグロの首都ポドゴリツァのホテルに到着した。
アルバニアの面積は、四国の1.5倍、人口は約300万人、通貨はレクである。歴史は複雑で詳細は省略するが、英雄スカンデルベグが現れ、1450年から37年間、オスマントルコから独立を保った以外は、大国の支配を受けてきた。1944年に共産党臨時政府を樹立したが、共産主義時代を経て、1991年に臨時憲法を制定して、米、英と国交を回復した。しかし急速な近代化に追従できず、1997年にねずみ講問題で経済が破綻し大混乱に陥った。1998年に新憲法を制定。2009にNATOに加盟し、EU加盟を申請。2014年にEU加盟国候補となった。日本は資金、技術援助を行ってきたが、東日本大震災に対しては、アルバニアから義援金が送られた。
2014年9月1日 記>級会消息