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  • コソボの旅/大橋康隆@クラス1955

    6月29日~7月10日まで「バルカン6ケ国の旅」のツアーに参加した。

    男性9名、女性11名、計18名の参加者で、カップルは4組であった。いずれも旅慣れた方々であり、100ケ国以上訪れた女性もいた。私と同年令の男性がいたが、タッチの差で私が最高齢者であった。ツアーのルート図に示すように、コソボ、マケドニア、アルバニア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、セルビアの6ケ国を訪れたが、途中クロアチアのドヴロヴニクに立ち寄った。アルバニアを除き、旧ユーゴスラヴィアに属しており、各国とも異なる歴史や特色があり、訪れた国別に順次紹介したい。
    6月29日夜22:00に定刻より30分早く、トルコ航空TK0053便は成田空港を出発してエアバス320でイスタンブールに向かった。定刻より遅れて出発した経験は多くあるが、30分も早く出発したのは初めてだ。2年前にトルコを旅した時と少しルートが変わっていた気がする。後部の座席であったが、意外に揺れが少なく快眠できて6月30日現地時間朝5:00にイスタンブールに無事到着。7:35にTK1017便に乗り継ぎエアバス319で8:10にコソボの首都ブリシュティーナの空港に到着。
    空港から直ちに専用バスに乗り、1時間30分でデチャニに到着。後期高齢者には、いささか厳しい旅程であったが、覚悟の上であった。世界遺産ヴィソキ・デチャニ修道院に入場して見学したが、内部のフレスコ画は見ごたえがあった。(写真1)昼食後、バスで25分ペーチに到着。世界遺産ペーチ総主教修道院に入場して見学。(写真2)山裾にたたずむ褐色の修道院は印象的であった。世界遺産に早く登録することで、貴重な修道院の保全が保たれているそうだ。観光後、バスで2時間、ようやく首都ブリシュティーナに到着。バスから市内観光をした。バスの正面から撮影したマザーテレサ大聖堂が印象的。(写真3)バスの側面から社会主義時代に建設された若さとスポーツの宮殿も撮影したが、近代建築物であった。夕方ホテルに到着して、やっと休息がとれた。
    ルート図.jpg$00A0 写真1 デチャニ修道院.jpg$00A0 写真2 ペーチ修道院.jpg$00A0
    $00A0ルート図
    $00A0写真1
    $00A0   デチャニ修道院
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       ペーチ修道院
    写真3 マザーテレサ大聖堂.jpg$00A0 $00A0写真4 プリズレン.jpg $00A0写真5 生神女教会.jpg
    $00A0写真3
    マザーテレサ大聖堂
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       プリズレン
    $00A0写真5
       生神女教会
    7月1日の朝、ホテルからバスで1時間30分、コソボで一番美しい町プリズレンを訪れた。(写真4)自由時間に、城塞へ登った人達もいたが、私は町の写真を撮影することにした。今回のツアー参加の目的が、油絵の風景の探索である。レヴィシケの生神女教会(写真5)や時計塔、聖ゲオルゲ教会、聖母大聖堂や各種イスラム建築物が沢山あり、すっかり満足した。レストランで昼食後、カチャニック峡谷を通りマケドニアに向かった。今回のツアーの専用バスの運転手は真面目なマケドニア人であった。
    コソボ共和国は、2008年2月17日に独立宣言したが、国連加盟193ケ国の内、日本を含め106ケ国が承認している。セルビアは、コソボはセルビア領と認識しており、セルビアを支援するロシアは未承認。隣国ではギリシャ、更に少数民族問題を抱える中国、インド、スペインなどは未承認である。ただ、コソボもセルビアもEUに加盟することを望んでいるが、加盟のタイミングが両国で異なると難しいことになるであろう。コソボの人口は220万人位で、92%がアルバニア人、4%がセルビア人で、残りは多民族である。面積は、日本の岐阜県位で、通貨はユーロである。主要産業は農業とサービス業位で、鉱物資源は豊富だが経済基盤は脆弱で投資は行われていない。若者の失業率が高くて、若者は国外に出稼ぎに行き、その送金で25%の世帯が生活している。首都プリシュティーナはコソボの別世界であり、地方の人々との貧富の格差は大きい。
    コソボと言えば、内戦により1万人以上の死者がでた陰惨なイメージがある。しかし、現在は3~5%の経済成長が安定的に続き、人々はおだやかに暮らしている。2008年3月8日日本コソボ友好協会が設立され、JICA、ODAなどの支援が行われてきた。2010年3月にコソボ駐日大使が着任した。2014年4月にはサチ首相が来日して首脳会談が行われた。こうした地道な支援を日本人はもっと認識し、世界平和への貢献を世界にアッピールすべきだと思う。
    2 Comments »
    1. バルカン諸国は私の知らない地域ですので、地図を片手に貴稿を拝見しました。朝ブリシュティーナに到着してその日一日バスでの観光。貴兄の若さに脱帽です。稿を拝見して小生もくたびれました。このあたり民族問題は複雑でまだまだくすぶりが残っているのでしょう。今のウクライナを連想しますが、貴兄の懐にはすばらしい画題が沢山集積されたことでしょう。

      コメント by サイトウ — 2014年8月2日 @ 16:19

    2. 地図を片手に丹念に読んでいただき有難うございました。年齢もわきまえず、旅行案内の写真に惹かれて急遽ツアーに申し込んだ時は、定員に対して残り3名で、家内と2人ぎりぎり間に合いました。ひと月前のツアーは雨が多くて大変だったようですが、今回は好天と、元気な年配の参加者(特に女性パワーには圧倒され)に恵まれ、幸運でした。珍しい場所なので、画題は豊富でしたが、私の技量で充分活用できるかなと思っています。経験豊富な参加者から貴重なノウハウを多く教わり、現地ガイドさんや添乗員さんから多くのことを吸収して、貴重な体験でした。

      コメント by 匿名 — 2014年8月4日 @ 10:48

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