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  • 風神、雷神/斎藤嘉博@クラス1955

     この4月、国立博物館で「栄西と建仁寺展」が開かれました。

     栄西は1141年生まれというから丁度平安時代から鎌倉時代に移る時期。比叡山で天台密教を修めたのち二度の入宋を果たして日本に禅を伝えた禅宗の始祖です。
     私の家の宗旨は臨済宗ですのでその祖にあたります。また建仁寺は京都五山の三位、栄西が京都に始めて作った禅宗のお寺で、展示には誓願寺盂蘭盆一品経縁起、興禅護国論などの古文書や建仁寺ゆかりの屏風、障壁画など。それに毎年寺の方丈で行われる四頭茶会の場の再現など見応えのある多くのものを観ることが出来ました。
     しかし建仁寺といえばなんといっても俵屋宗達の描いた国宝「風神雷神の図」が目玉。
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    栄西展パンフレット
    建仁寺の屏風の前で(30%)明2.jpg
    建仁寺の屏風の前で
     パンフレットにも「国宝5年ぶりに参上」と書かれ、展示の最後の部屋に、右にやや緑色肌の太鼓を鳴らす雲に乗った雷神、左に風袋を肩にかけた白い風神を描いたお馴染みの構図の屏風が置いてあり、多くの方がその前に集まっていました。
     ウーン、やっぱりいいですネ。丁度この時期博物館本館では「日本美術の流れ」として縄文土器から浮世絵までの流れを展示してある中に、尾形光琳の描いた風神雷神屏風が展示されるという粋な計らいがありました。この間を往復して比べてみますと。ご存じのように構図はまったく同じ。風神の肌色が光琳のほうがやや緑が強く髪の毛の逆立ちかたも違うのですが、そんなこと以上にこの宗達、光琳二つの絵の持っている雰囲気が違うのに気付きます。よく見ていると宗達の二神の目玉は瞳が白目のほぼ中心に、しかし光琳の絵は中心をやや外れた位置に描かれていて、それが絵の雰囲気を大きく変えているようでした。それで光琳の絵にはちょっとした茶目っ気が感じられるのです。
     こうして国宝の屏風絵を楽しんだのですが、なんだか物足りない気がのこります。「そうだ京都に行こう!!」どこかで聞いたようなセリフに乗って早速京都に飛びました。建仁寺には十年ほど前に京都五山詣でをして、その折に屏風も拝観しているのですが、その印象だけでなにかお寺全体のイメージがはっきりしていなかったのです。
     方丈に入ったすぐの部屋に件の屏風が置かれています。もちろんこれはレプリカ。しかし国宝もレプリカも素人の私には区別はつきません。方丈の間に置かれた屏風の前に座りますと、やはりお寺の落ち着いた雰囲気とあいまって博物館の国宝よりもこのレプリカのほうが私に迫ってくるものを感じるのでした。それにもう一つ気づいたことがあります。先年ヴァチカンでミケランジェロのピエタの像を見た折、それは私に大きなカルチャーショックをあたえてくれたのでした。しかし後年再々度訪れた時にはその像の前に厚いガラスがはまっており、像の出すオーラはそのガラスで遮られてその魅力はすっかりと失われていたのです。そう、金魚鉢の中にある国立博物館の国宝の屏風よりも、手にとれそうな建仁寺の方丈に置かれたレプリカの屏風のほうが風神、雷神の出すオーラが直接的で、わたくしにとってはずっと素晴らしいものに見えたのです。やはり野に置けスミレ草と昔から言われたもの。もののおかれた環境、雰囲気がとても大切に思えるのでした。
     この屏風を観たらやはりそのルーツになる三十三間堂の風神、雷神像をみなくちゃと祇園の三条から七条まで下がって、久しぶりに三十三間堂にお詣りしました。中央の国宝千手観音像の両側に並んだ千体の千手観音像はいつみても圧巻です。その前、三十五の柱間にある二十八部衆を改めて拝観すると興福寺の八部衆や十二神将とは違った感銘を受けるのでしたが、さらにその両脇に置かれた湛慶の作であろうと言われる等身大の風神雷神は迫力満点。風袋にしても太鼓にしても屏風とはまた違った彫刻、立体の迫力を感じたのでした。
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