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  • 興福寺展/斎藤嘉博@クラス1955

     銀杏の葉の色づいた上野公園の芸大美術館で行われている興福寺仏頭展に行きました。

     興福寺で思い出すのはまず猿沢の池に鹿。昔餌欲しさに寄ってくる大きな鹿が怖かったのを覚えています。先年国立博物館に展示され、若い人たちのあいだに大変人気があったという阿修羅像もこのお寺の国宝。今回の仏頭展にはお馴染みの銅造仏頭のほか木造十二神将立像と板彫りの十二神将という国宝がずらり。興福寺に出かけてもこのように身近に仏を拝むことはできません。 興福寺展パンフレット(30%).jpg
    興福寺展
    パンフレット

     仏頭は白鳳時代、685年に鋳造されたとされる東金堂のご本尊。このお顔は大変穏やかでしかも近代的な感覚に満ち溢れています。1411年に火災で胴体を失ってから500年のあいだ行方不明となっていたというこの仏が、1937年の金堂債権の折に発見されて再び日の目をみるようになったとか。今この仏頭をみていると昔、東金堂にあったと想像される高さおよそ5mの全体像より、頭だけの現在の姿のほうが身近な親しみやすいもののように見えるのです。見慣れているからでしょうか。それは件の阿修羅像の表情となにか共通する趣もあるように思います。
     同じフロアに展示されているのが木彫りの十二神将。本来は薬師如来を囲んでお守りしている姿。広い展示場に配置されていると神将群像全体としての激しい魅力はやや散漫になっているような気がしました。しかし像のまわりを裏からも横からも身近にみることが出来るのは素晴らしい体験で、後ろから見た神将の腰の曲線の軟らかさ。ミケランジェロの大理石の彫刻にはいつも感動するのですが、木彫りの暖かさはまたそれとは別な感慨をもようします。以前国立博物館で薬師寺の日光月光菩薩を後ろから拝見した時には、仏の姿を後ろから見せるなんて失礼だと憤慨したのですが、今回はいかめしい大将ですのでそんな嫌悪もなくゆっくりと細部を拝見。
     十二神将といえば新薬師寺を想い出します。昭和22年の秋に興福寺を訪ね、その足で新薬師寺を訪ねたときのことでした。戦後間もないころのこと、寂しい舗装もない道をあまり見栄えのしない、傷ついた白壁の塀に囲まれた新薬師寺にたどりついたところはまだ観光客もほとんどいないさびしいお寺でした。しかし薄暗い金堂のなかで薬師如来を囲んでいる十二体の神将を見た時の感激は今も忘れません。とくに目をみはったのが写真によく登場する伐折羅大将。髪の毛を火炎のように逆立て刀を持って大きな目で下をみた姿。強くいかめしいのですがそのなかになんとも言えない穏やかさがありました。その後2回ほど新薬師寺を訪れていますが、最初の感動は増幅されるばかり。それは塑像でしたが時代が下って鎌倉時代に作られた今回の興福寺の神将は木造。塑像の石のような感覚とは違って着衣の裾や手足に見られる細かい彫りが温かみを感じさせます。そして怒りの表情はやや穏やか。ユーモラスな感じさえします。この仏像にはそれぞれの仏の頭に十二支の動物が乗っていました。昆羯羅(びから)大将の頭にはねずみ、招杜羅(しょうとら)大将には牛、真達羅(しんだら)大将には寅といった具合。新薬師寺の神将にはなかったもので、方角と十二支の動物の姿とがはっきりと関連づけられていると知ったのは新しい発見でした。
     今回の展示にはもう一つ板彫りの十二神将がありました。厚さ3cmの檜の板十二枚に大将が彫られています。板彫りなのにその姿の躍動感は見事。そして二階に展示の木彫りの大将よりずっとユーモラスな感覚が表現されています。如来を守護するという大役を背負ったこの像に、これだけのユーモアを彫り込むことが出来る当時の仏師たちのゆとりにはただただ敬服するばかりです。
     板彫りの神将は平安時代の作であとはほとんどが鎌倉時代以降の作品でしたが、ひとつの白鳳時代の仏頭のおかげで1500年前の世界に浸ってきたような良い気分で帰途につきました。

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