• 最近の記事

  • Multi-Language

  • 「ミッドウェイ海戦」ー【Ⅶ】/寺山進@クラス1955

                  旧友南雲忠彦君を偲ぶ
     7 適材適所と信賞必罰
     本海戦の敗因として必ず取り上げられるのが、日本海軍の「硬直化人事」である。

     ハンモック・ナンバー、つまり海軍兵学校の年次と成績順で決まる人事制度によって、航空戦に不適格の「南雲中将」が機動部隊の司令長官に選ばれた。「寧ろ南雲はその犠牲者である」とまで云う人もいる。
     ハンモック・ナンバーを重視していたのは間違いない。しかし何もこの番号順だけで、多数ある海軍幹部の職務を自動的に当てはめて行った訳では無いのである。
     航空が専門である小沢治三郎中将でなく、南雲中将が第一航空艦隊司令長官に選ばれたのには、それなりの理由がある筈だと思う。
     山本連合艦隊司令長官の下に小沢中将が入れば「両雄並び立たず」になる。山本は自分の後任としては小沢を選ぶかもしれないが、部下としてなら航空戦に一家言ある小沢ではなく南雲である。忠実に律儀に頑固なまでに、自分の立てた作戦計画に従ってくれるからである。

     適材適所といっても、状況次第で流動的つまり環境条件によって変わるものであり、絶対的な基準などない。功績の評価がまた厄介である。特に、組織が或る一つの目的に向かって活動しているときには、神ならぬ人間の目による正確な人事評価は不可能に近いともいえる。しかし、評価なくしては賞も罰も行えない。

     新郷英城大尉の名前を知っている人は殆ど居ないだろう。零戦の士官搭乗員であるが、雷撃隊の搭乗員から圧倒的な支持を受けていた。彼が雷撃隊の護衛にあたると、絶対に傍を離れないからだという。当たり前のようだが決してそうではない。敵空母の近辺までは並行していても、敵の防衛戦闘機がたかってくると、どうしてもその後を追って空中戦に入り敵機を撃墜したくなる。戦闘機乗りの勲章は空中戦での撃墜数であって、これは各国海軍どこも同じ、エースと誉めそやされる。しかし雷撃機は裸状態になってしまうので、敵戦闘機に簡単に喰われてしまう。
     新郷大尉は敵戦闘機を追わず最後まで雷撃隊から離れない。つまり一方的に攻撃され被弾し、惨めに撃墜されるリスクを全部背負って、雷撃を成功させることに全力を挙げるのである。しかし敵空母に命中弾を与えても、その功績は雷撃隊の殊勲になる。今風にいえば「あほらしくてやってられない」といった所だろう。しかし組織には必ずこのような人間が必要なのである。その上大尉の部下に対する指導力が素晴らしい。自分だけでなく部下にもそれを求め、部下は全幅の信頼を抱いて大尉に従った。

     組織の中で人事問題や人事評価に苦労してきた旧友諸兄なら、永遠の課題である「適材適所・信賞必罰」の一筋縄ではいかない難しさは、身に染みた実感としてお分かりだろう。しかし、三文文士や一匹狼の評論家には分からないので、安易にこれを口にする。 

     日本企業の「年功序列制度」も、我々が入社した頃は日本の後進性の象徴のように非難された。変革の必要性だけが強調されている内に、いつの間にか「Japan as No.1」になってしまって、おおもとの米国企業が「日本を見習え」などと云い出したのには、寧ろあっけにとられた。尤もあっという間に又「Japan passing」か「Japan nothing」に戻ってしまった。最近の小生はこういう事に余り関心が無くなってきたが、「年功序列」も今頃になって漸く見直され始めているのだろうか。
      
     米海軍の制度は日本軍に比して厳しいことは間違いない。情け容赦なく更迭させる。
     ハワイで南雲中将に苦杯を嘗めた米国太平洋艦隊司令長官のキンメル大将は、無能でダンスばかりやっていたので更迭された等と云う人がいるが、とんでもない。
     山本長官自体「キンメルはあらゆる事態を想定する有能な提督だから要注意」といっている。「真珠湾攻撃では“我奇襲に成功セリ”の打電後わずか5分で、補助艦艇が対空砲火による反撃を開始したので驚いた」とは、他ならぬ淵田総隊長の回想である。米軍の底力は驚くべき事だが、当然キンメル提督の指導の賜物である。
     あらゆる事を想定する提督にしてまさかのハワイ空襲であったが、それでも、無罪になったとはいえ軍事裁判に掛けられた上更迭された。ルーズベルト大統領に政治的に利用された面もあるが、米海軍は厳しいのである。 
     余談になるが朝鮮戦争の初期、韓国軍の幹部が米軍の厳しさに驚き、旧日本軍の「ビンタ」のほうが遥かに増しだといったエピソードも残っている。責任追及の際に、肉体的な暴力などは勿論一切ない。ただし、鼻先に親指を突き立てられ、罵るように厳しく叱責されると、全人格を否定されるようで応えるのだそうだ。  

     本来の信賞必罰からいえば、本海戦後「山本、南雲、両司令長官は即日更迭、予備役編入」とすべきであったろう。しかしこれが出来るくらいだったら、本海戦は実行しなかった、いや米国相手に開戦などしなかった。

     「補足」
     本稿をほぼ書き終えた5月29日の朝日新聞朝刊6頁、「経済気象台」の欄で「年功序列主体の我が国の雇用制度は、これまではうまく機能して社会に根付いているが、グローバル化が進み現実にそぐわなくなっているので、新しい雇用制度を模索すべきである」という記事を見た。
     50年以上前でも、同じような意見を見聞きしたように思う。社会の中で一番変わり難い性質の問題ではあるが、それにしても何か不思議な感じがする。

    コメントはまだありません »
    Leave a comment

    コメント投稿後は、管理者の承認まで少しお待ち下さい。また、コメント内容によっては掲載を行わない場合もあります。