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  • オルタ湖を訪ねて/大橋康隆@クラス1955

     2001年8月に北イタリアを旅行した時、マジョリ湖畔のストレーザに数日滞在して周辺を訪れた。その時、最も印象に残っているのが、ストレーザの西方にあるオルタ湖である。


    列車で訪れるには、コの字型に乗換えて行くので効率が悪い。幸い、一日に一回だけマイクロバスが山越えして1時間足らずで行けることを発見した。ところが発着場所が判らない。様々な人に尋ねてやっと判ったが、自分の宿泊ホテルの近くにある港前の小さな広場の隅であった。
     8月6日の朝9時に、マイクロバスに乗り込みオルタ湖に向った。乗客は少人数であったので、すぐに会話が弾んできた。中でも、アイルランドから訪れた夫妻には驚いた。息子さんの奥さんが日本人で、川崎を訪れたことがあるそうだ。私も、NECで勤務中にロンドンからダブリンに日帰りで出張したことがあるが、町を見物したことはない。話が進むうちに「雨月物語」を知っているかと尋ねられ、読んだことはないが概要は知っていると答えた。こんな遠くに来て「雨月物語」が話題になるとは思ってもみなかった。

    1写真1 サン・ジュリオ島(70%).jpg

    1写真2 サン・ジュリオ島(70%).jpg

    1写真3 バジリカへの道(70%).jpg

    写真1
    (サン・ジュリオ島)
    写真2
    (サン・ジュリオ島)
    写真3
    (バジリカへの道)
     会話が盛り上がっている内に、オルタ湖に到着し、(写真1)に示す美しい湖に浮かぶサン・ジュリオ島を眺めながら、各自のホテルに向かった。ファックスで予約はしてあったが、ホテルではパスポートを預けるように言われた。このホテルには、近隣の各国から年配の常連客が長期で泊まるらしく、一見の客は家内と私の二人だけであった。ホテルからは、(写真2)に示すように、サン・ジュリオ島が良く見える。早速、荷物を置いて連絡船でサン・ジュリオ島に向った。

     (写真3)に示す細い道を登ってバジリカを訪れ、古い歴史を探訪した。バジリカを連絡船から撮影した写真から、帰国後油絵を描き、NEC OB パレット会に出展した。(油絵 バジリカ)

    1油絵 バジリカ.jpg

    1写真4 オルタ市庁舎(70%).jpg

    1写真5 オルタの教会(50%).jpg
    油絵(バジリカ)
    写真4
    (オルタ市庁舎)
    写真5
    オルタの教会
     午後にサン・ジュリア島からオルタ市に帰り、市庁舎(写真4)や教会(写真5)を訪れ、更にサンクロ・モンテに登り、森の高台から、オルタ湖に浮かぶサン・ジュリア島を撮影した。(写真6)坂道を登るのは、かなり体力を消耗したが、高台から周囲を眺め回すと疲労は瞬時に回復した。
    1写真6 サン・ジュリオ島(70%).jpg 1写真7 宿泊ホテル(70%).jpg 1写真8 サン・ジュリオ島(70%).jpg
    写真6
    (サン・ジュリオ島)
    写真7
    (宿泊ホテル)
    写真8
    (サン・ジュリオ島)
     夕方ホテルに戻り(写真7)、夕食の時に不思議な体験をした。常連客は座席が決まっているらしく前列に、私達は最後部の座席であった。夕日が沈むオルタ湖に浮かぶサン・ジュリオ島が神々しく輝き、白髪の常連客と共に宇宙船に乗って、あの世に飛び立って行くような錯覚に陥った。残念ながら、この荘厳な雰囲気に圧倒され、素晴らしい夕景を撮影することは出来なかった。夕食後、ホテルの窓から撮影したのが、(写真8)である。

     翌朝、後ろ髪を引かれる思いで、再びマイクロバスに乗って山を越えストレーザに帰り、アンジェラに向った。12年前は、体力に余裕があったのかタイトなスケジュールであったが、可能な時にやりたいことはすることだと思う。
     2001年8月といえば、1ヶ月後に米国で多発同時テロがあり、翌年は海外旅行を取り止めた。2001年11月に、岡山朝日高校卒業50週年記念アルバム(2010年5月1日クラスブログ掲載)を発行したが、その中でブラジル出張からの帰途、テロ前日にニューヨーク空港を通り、異様な雰囲気を感じたという同期生の話が掲載されている。

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